100kmをチャリで走る
チャリでの経験を積む。まず100km越えを。
なんといっても、アイアンマンでの自転車は180kmもあるのだ。ひゃ、ひゃくはちじゅうって、なんだそれは。人が走る距離なのか。気が遠くなる。
富士スピードウェイでチャリ100kmマラソン

午前3時半まで仕事をして就寝。
5時半、携帯電話で目が覚めた。
「いまどこですか?」
「あ、寝てました。すぐ出ます」
10月1日であった。
ワイフと娘とともにインプレッサ1.5にORBEAオルカを積み込み富士スピードウェイにむけて出発。この日、サーキットを22周する自転車100kmマラソンにNKロケッツのメンバーといっしょに出場することになっていて、その試走が午前6時からだった。
下道で35km程度。7時前に富士スピードウェイ着。
F1規格にリニューアルされたばかりの壮大なサーキットでの自転車レース。試走してみると、前半は長い下りで、ペダルを漕がなくても60km/h近くでる。その分、後半は勾配8%の厳しい上り坂。同じ試走で走る人たちの脚力も機材も半端じゃなくレベルが高い。
「なんか、みんなのゼッケン、ぼくらのとちゃいませんか」
「タテとヨコと、ふたつついてるし」
俺たちのゼッケンはひとつだ。
「それに、ゼッケンにスポンサーの名前入ってるみたいだね」
俺たちのゼッケンにはスポンサー名のかわりに「フレンドシップ・サイクリング」とある。
「かれらはフレンドシップじゃないんでしょか」
フレンドではなかった。彼らは実業団。そもそも11時スタートのレースで試走が午前6時からというのがおかしいと思っていたが、この日は実業団のレースが併催されていて、彼らの試走に混じってもいいですよ、という意味だったのだ。
実業団のレース、全日本ユースレースとが行なわれ、そのあとにわれわれのフレンドシップな100kmマラソンがスタート。300台以上の自転車がひしめく。危険防止のため、競輪のように先導車がついてのローリングスタート。先導車から白いフラッグが振られたときにスタートとなるが、いつ旗が振られるかは分からない。およそ2kmを時速35km/h前後でじりじり走る。下りが終わり、いよいよ上りにさしかかろうという直角コーナーで、スタート前だというのにいきなり多重クラッシュ。俺の隣のやつが巻き込まれたが、ぎりぎり回避。もう超ラッキーと、どきどきしていると、白旗が振られているではないか。このタイミングで振るから、てっきりスタートやり直しの合図かと思っていたら、周りがどんどん加速。マジですかマジですかと坂を上る。先頭集団を維持して2周目に。
5周目にさしかかるメインストレート、前が開けた。知らないうちに先頭に。2秒後、抜かれた。30.2km地点まで先頭集団に食いついていたのだが、ここがヘヴィスモーカーの悲しみ、坂をのぼりきりメインストレートに入った途端、ふくらはぎ硬直。スポーツ選手ふうにいえば肉離れだが、スモーカーの本音でいうところでは、
「いてててー。あし、つったー」
と、1kmのロングストレートをまったく漕ぐことができないまま慣性だけで走行。ほとんど止まりそうな速度で痛みに耐える。しかもピット入口は過ぎたばかり。オフィシャルに頼んで、何が何でもとりあえずピットに入れさせてもらおうと思ったが、下り坂になってしまい、やむなく惰性で走りつづけた。
そのまま何とかだましだまし走り、徐々に足の調子ももどってきた。
しかし今度は70kmを経過したところで猛烈な空腹。補給食を入れるべきポケットには煙草とウィダーインゼリーがひとつ。しかもスタート前に半分飲んじゃってる。しぼりだすように残り半分を胃に流し込むが焼け石に水。
残り2周のところで、恐れていたハンガーノック。もう動けない。気力だけ、というが、動かないものは動かない。残りのスポーツドリンクをすべて胃に入れる。甘味が腹にしみて美味い。
食いたい食いたい食いたいを連発しながら、頭のなかは食べることだけで、あと2周、とにかく2周で食えると力走。人生でここまで食い物を切望したのははじめての経験だ。
最後のストレート。おとーしゃーん、がんばれーと娘の声援に、スタンディングでスパート・・するも、3回濃いでおわり、あとは惰性でゴールラインを抜けた。
ああやっと食える、やっと、やっと。と思って、よろよろとピットから駐車場に行くが、誰もいない。む、無料配布のチョコバナナがあったはずだと、ヨロヨロと大会本部テントに行くと、あったはずのチョコバナナのテントがない。
「あ、あの・・チョコばな」
「ごめんね。終わったよ」
駐車場にもどった。クルマの鍵は閉まっている。金もない。タイヤによりかかってポケットを探ると煙草がでてきた。一服すると、そのまま気を失なった。
おとーしゃん、おとーしゃん。暗闇の遠くから声がする。ああ戻らねば、娘が呼んでいる、と目を開けた。
「食い物。とにかく食い物・・」
大会が終ったあとで、チーム女子部キャプテンに言われた。
「マドカちゃんの声がすると、どこにいても、ぜったい反応するんだよね」
どんな状況、どんなに多くの声のなかでも、娘の声に忠実に反応して加速する父の条件反射に驚いていた様子だった。
小田原農道探索の面目躍如
チャリ100kmのあとは、この日の最大の耐久レースとなることが予想される「小田原ナイト・アルコール耐久」に向け、チーム6名が3台のクルマで富士スピードウェイをあとにした。
休日ということもあり、国道246号は交通量が多く、この先の渋滞が予想される。すかさず右折。ここからは原チャリTZR50Rによる探索の成果である南足柄広域農道。ほとんど他車に会うこともなく、ひたすらワインディングロードを進む。ここをはじめて走るワイフは大喜び。嬉々として右に左にハンドルをまわす。
「富士スピードウェイと勘違いしてるんじゃないかと思いましたよ」
いっしょに走ったNKロケッツキャプテンが、あとでそう言っていた。
「後ろから見てて、ぜんぜんブレーキ踏まないんだもん」
「横で、ブレーキ踏むなぁって言う人がいるから」とワイフ。
「イチハラさん、寝てなかったんですか?」
「らんらんとしてましたよ、このひと」
らんらんとしていた俺はほんとは運転を変わってもらいたかったのだが、彼女があまりに楽しそうだったので言いそびれてしまったのだ。そのかわり、鬱憤(うっぷん)を罵声に変えて飛ばした。ブレーキ踏むなぁ〜踏むのはアクセル、踏んだままツッこむんじゃぁ。トランクに積んだ自転車ががっこがっこいっている。ぼこぼこである。娘はぐっすり眠っている。小学2年生の女の子ではあるが、クルマ酔いは無縁である。北海道バトルツアーで鍛えられたのだ。(俺は今でもクルマ酔いする)
小田原ナイト探索の面目躍如
家に着くと日暮れ間近だった。急いで3人分の自転車ジャージを洗濯し、海側のバルコニーに干す。
そして本日の耐久第二部の小田原ナイトへくりだした。男3人、女2人、女児1人の6人で、おしゃれ横丁にある海鮮居酒屋へ。
たまたま隣の席に、東京から輪行で小田原を経由し箱根越えをしてきた3人のチャリダーがいて、自転車談義に花が咲いた。箱根駅伝のランナーと自転車とどっちが速いかの話題になり、彼らは2時間半かけて芦ノ湖まで上ったという。駅伝が50分ぐらいだったから、やはりマラソンの方が速いようだ。
「でも下りなら負けませんよね」
「んだんだ」
駅伝のルートとは違うが、旧街道の方はどうかと訊ねると、勾配がきついから上ったことはないそうだ。どのくらいで上るのかと訊かれ、43分と答えると驚いていた。(酔っぱらって間違ったタイムを言っていた。箱根湯本〜芦ノ湖では46分が正しい)
「でも、気合入った人には、ばびゅーんってブッちぎられちゃいますよ」
今日の富士スピードウェイで、後半、さんざん実業団にブッちぎられたのを思いだしながら言った。結局、トップには3周か4周かラップされた。何周ラップされたか分からないほどの大差である。今日の酒は苦くてじつに身にしみる。酒の肴は辛酸にかぎる。
宴もタケナワで6時間経過。もはやどのぐらい飲んだか覚えていない。
二次会は本町へ移動。駅前は序の口。たかだか100年ぐらいの歴史。駅から10分ぐらい離れているが、ここ本町の飲み屋街である宮通りは戦国時代からの由緒正しい盛り場である。しかし酔っ払いすぎたのか、探索の成果を思い出せない。裏通りの裏、そのさらに裏の猫道みたいな路地を抜けたところにある店の場所が思いだせない。娘とワイフは離脱し、家で待機し後方支援にまわり、残る4名はばらばらに別れてマラソンで店を探す。
この店、ここ数日はスーパーに行くついでに毎日娘と場所を確認していたはずだった。しかし酔っぱらうと、まったく分からない。狭い一角なので、あっちの通りで宮さまが走っているのを見たと思ったら、こんどはこっちの通りで走っているのを見たり、夜の繁華街で俺たち何をやってるんだ??
「しっかし、ほんと、みんなノリがいいなぁ」
と、ぜえぜえ息を切らせながら感嘆の声をあげると、女子部キャプテンが毅然と言い放った。
「わが家では、誘われた飲み会は断らないという家訓があるんです」
彼女は九州の女である。
さて、どうにか目的の店を見つけたが、すでに暖簾はしまわれていた。宮通りの店じまいは早い。近くに一軒、暖簾のでている居酒屋を見つけて突撃。あらためてビールの乾杯からやり直した。しかしここで思わぬ番狂わせが発生。アルコール耐久の部で第1シードの宮さまが、まさかの眠りこけリタイア。女子部キャプテンに連れられ、うちに回収された。
残ったチーム主将と俺は三次会のナイトパブに向かった。さすが誘われた飲み会は断らない家訓。彼もまた九州の男である。しかしこの時点で午前2時半をまわり、フィリッピンパブ「マリポーザ」は閉店。オープン記念2000円の看板に誘われ、新規の店で歌を歌いまくり、女の子に触りまくって午前4時。
「アフターなんて、どうお?」
「このあとミーティングなんですぅ」
「ありゃま。んじゃ主将、うちらもそろそろ出立しますか」
うなずく主将。さすが断らぬ家訓を持つ九州の男である。
「え〜、どっか行くのぉ?」と女の子。
「仙石原にススキなぞ観賞しに」
「酔っぱらってんじゃーん」
「あいや、チャリだし」
冷静に考えれば、同じ飲酒運転、クルマの方がむしろ安全だったかもしれない。
耐久クライマックスにむけ、箱根へ(22時間経過)
パブで歌いすぎて、がらがらの声。飲みはじめてから9時間半、レースに出発してからだとすでに22時間が経過していた。しかし本戦はここからなのである。
うちで半乾きのジャージに着替え、チャリを国道1号線に据えた。
「んじゃ行きますか」
主将とふたり、夜の東海道を西に進む。四車線道路の真ん中を走ったり、もうむちゃくちゃ。箱根口を過ぎ、6kmほどで旧街道の入口に。いよいよ激坂箱根越えだ。
伝統ある温泉宿があるうちは電灯があってまだよかった。やがて箱根神社を過ぎ、本格的な山岳路に入っていくと、まるで漆黒の闇、まるで何も見えない。
「えいやー」
「ほいっ」
「ほいっ」
「ほいっ」
「えいやー」
と、高校の部活ばりに主将と声をかけあう。お互いの位置確認および生存確認はこれしか方法がない。しらふでも勾配でよろよろするのに、酔っぱらってるんじゃまっすぐ走れるわけがない。
「えいやー」
「ほいっ」
かしゃあーん。
かしゃん? 夜の尾根尾根に響きわたる金属音。引き返すと、主将が落車。
気を取り直して前進をつづけたが、勾配10%の直線坂が延々とつづく難所で、道幅いっぱいに蛇行をしながら上っていると、勢いあまってではなく、勢いなくなって失速、転倒。ポケットに入れていた携帯が道わきの草むらにすっ飛んで行って見つからない。たまに通るドリフト族のクルマのライトの明かりをたよりに、どうにか発掘した。
最大の難所、七曲り
七曲りは箱根のドリフト族たちにはメジャーなスポットである。サタデーナイトにフィーバーしていることは、じゅうぶんに予想できたはずであった。しかし俺たちは酔っぱらっていた。
最初は遠くで聞こえていた半狂乱のタイヤの軋み、甲高く凶暴な排気音が徐々に大きくなってきて、やがて焼け焦げたようなゴムの匂いが鼻をつくようになった。
コーナーを真横になって飛びだしてくるクルマ。そのまま一度もグリップを回復しないままストレートを横向きに進んで次のコーナーに入っていく。芸術的だ。はじめて見た! 主将によるとハチロクというクルマらしい。他にも5台ほどがドリフトの饗宴をくりひろげていた。
「これ、やっぱ走れないっすよね?」
歩道が途切れていた。見ると歩行者用の石段が上につづいている。このあたりは旧街道のさらに旧道、つまり江戸時代からのオリジナルの道があって、歩行者用の散策(登山)路になっている。天下の険、入り鉄砲に出女の箱根旧道の石段をチャリをかついで上るふたり。しかも酔っ払いである。
どうにか石段の上まで来たが、アスファルト道路に合流したところで歩道が途切れている。ちょうどカーブの奥で、ドリフトマシンがいちばん派手に滑空しているポイント。
「そこ、いちばん危ないですよ」
進むに進めずチャリを持ったまま立ち尽くす俺にキャプテンが言った。自転車を放置し、あわてて石段の下に身をひそめる。ちょうど203高地のトーチカみたいになっていて、顔を出すと、ガードレールの下の隙間から路面の目線でドリフトを観戦できた。ゴムの破片が飛んでくる。半端じゃない迫力だ。30分ばかり見ていただろうか。
ドリフト族の折り返しポイントが20メートルぐらい先だということが分かった。あとちょっと進めば安全ゾーンだが、この20メートルを駆け抜けるタイミングがなかなか見つからない。
やっと走りの激しい連中が山を下りはじめ、ちょっとビギナーみたいのが増えてきた。この入れ替わりのタイミングを逃してなるかと、近づいてくる音、遠ざかる音を頼りに、だるまさんが転んだ状態で、危険ゾーンを駆け抜けることに成功。
空は明るくなりはじめ、峠の茶屋、お玉が池を通過し、芦ノ湖着。
タイム、計測不能。
仙石原をまわって帰還(28時間30分)

芦ノ湖で小休止をとったあと、ゆるやかに上ったり下ったりをくりかえしながら湖畔東岸を走り仙石原へ。午前7時、折しも山の稜線からこぼれ出てきた朝日が斜面のススキの穂波に照り映え、一面が銀のさざ波になった。25時間以上が経過しているが、さわやかな秋風に目も冴えた。
ここからは、ほとんど下りだけの行程。途中、コンビニの駐車場で一時間ほど眠って時間調整。午前九時に早川漁港で、家族や宮さまたちと合流する段取になっていた。
下り行程では一般車よりはスピードはでるが、疲労で感覚が麻痺していることも考慮し、追い越しはせず、おとなしく車列の後ろについて走った。40分で早川漁港着。ほどなくインプレッサに乗った一行が到着した。
漁港の定食屋でゆっくりと朝食をとり、午前10時帰還。28時間30分の長い耐久の一日が終わった。

