アイヤーンマン!

スイム3.8km、チャリ180km、ラン42km・・そりゃどう考えてもムリだろー!
ヘヴィスモーカー文士が耐久競技の頂点「アイアンマン・トライアスロン」をめざして突っ走るマッスル叙事詩。

きっかけは、腹が出た

アイアンマン・トライアスロン・・
スイム3.8km、チャリ180km、ラン42km。
そりゃどう考えてもムリだろー!
そこで考えるのをやめて、とりあえず走ることにした。
ヘヴィスモーカー文士が、そりゃどう考えてもムリだろーとおめきつつ、トライアスロンの頂点「アイアンマン」をめざして走るマッスル・エッセー。

きっかけなんてそんなものだ

 たしかに、腹が出てきた。

 ・・ふふふイチハラさんも、腹が出てきましたね、と言われてみて、はじめて自分の腹まわりの現実をみつめた。そいつもたっぷり腹がでていた。新しい仲間が増えたことを歓迎するかのような笑顔だった。33歳、夏のことだ。

 このとき、オートバイとビールと煙草に明け暮れる日常に区切りをつけようと思いたったはいいが、実際に俺にできたことは、近くのスイミングスクールに入会することだけだった。けっきょくどこにも区切りなんかつけられなかった。

 スイミングというのも、そのとき、たまたま北島康介が競泳で金メダルをとった新聞記事が目についただけかもしれない。はじまりなんて、そんなものだ。

 とりあえず、きんきんくんくんの海パンを買った。荒れた文士生活でガリガリに痩せた顔、手足。それらとは不釣り合いに豊かにまるみを帯びた腹。
 体重は三年間で15キロ増えていた。それでも痩せ体型と思っていたから油断しきっていた。まさか15キロ分の不節制が腹まわりに急速充填されていたとは。

 それでも新しく買った水泳用具がうれしくて家のなかで身につけてしまうのだった。ワイフと娘は驚いていた。そりゃそうだろう。

チャンスにビーストたれ

 その年、水泳で世界新記録を日本人選手が出した。すごいことになったと思った。それも堂々たる種目、平泳ぎである。日本人の体格が有利に働く古式泳法とか、パン食い立ち泳ぎ選手権などではないのだ。

 この歴史的快挙に興奮冷めやらぬ俺は、そのままくんくんの競泳用パンツを購い、ついでレーシングゴーグルとキャップを買った。しかしさてどこのプールに行けばよいか。行きつけの喫茶バーの女店主が近くのスイミングクラブをおしえてくれた。翌日には、どういうわけか俺のとなりでその女店主もスイミングクラブの入会手続きをしていた。彼女もまた、腹をなんとかしなければと真剣に思っていたのだ。

 かくして、朝7時15分になると店主がぽんこつスタアレトで「いっちはらくーん」と迎えに来る毎日がはじまった。

 俺は半分以上も尻がはみだしたくんくんの競泳パンツを水面に打ちつけ、激しい水しぶきとともに25メートル自由形に打ち興じていた。店主はとなりのレーンで芋洗い状態のおばちゃんたちのあいだの紅一点となって優雅に水中歩行している。

「若いって、いいわねえ」

 俺が打ち上げる海抜4メートルにもおよぶ水柱の飛沫をぬぐいながら、おばちゃんたちが潤んだ視線を送っていたと、あとで店主におそわった。なんせ平日の早朝の千葉県松戸市だから、来ているのは90パーセントが閉経した熟練の女性たち、5パーセントがバイアグラ必携予備軍の男性、という状況である。

 俺は75メートル目へのターンをし、潜航からゆっくりと水面に浮上しながら、4ヶ月で2万kmをオートバイで走りまくった「冒険家キャンペーン」から得たものについて考えてみた。

 ひとえにそれは「チャンスにビースト(野獣)たれ」ということであったと思う。

 チャンスをつかむというのはかなり難しい。まずチャンスというやつは、こっそりやって来る。唐突にやって来て、くすっと俺らの耳元で笑い、振り返ったときには、もう小さく遠ざかっていく後姿があるだけだ。彼が通り過ぎたことに気づかない者も多いだろう。そして同じチャンスは二度とやって来ない。彼らは徹底して一期一会主義なのだ。

 だから、と、俺はそこですかさず息継ぎを入れ、水中で叫んだ。

「野獣のように待ち伏せるのだ!」

 冒険家キャンペーンをはじめて1ヶ月ばかりのころ、俺はチャンスについてあることに気づいた。最初のころは彼らの後姿ばかり見ていた。行けばよかった、やっとけばよかった、と何度も後悔した。なかなか思うようにタイミングが合わないのだ。でも、天候と仕事、ファミリーの都合、体調、バイクの調子なんて諸要素がすべて最大公約数的に一致する好日なんてものは、日和見でのんびり待っていても永遠に来やしない。

 息をひそめ、神経を研ぎ澄ませ、野生の感覚でチャンスの気配を感じとり、あっちのチャンス、こっちのチャンス、小さなチャンス、大きなチャンスを待ち伏せして、近づき次第、首ねっこをおさえて捕まえておく。捕まえたやつらが小さくしぼんでしまう前に、テキトーにまとまったところでスパっと旅立つ。このことに気づいてから、その年の気象異常にもかかわらず、実に高確率・高水準の冒険を完遂することができるようになった。

 日常茶飯事から、すでに冒険ははじまっているのだ。すわや、となれば、30分以内に旅立つすべての体勢が整っているということは、これまた、仕事、ファミリーにおいても完璧な夜逃げ体勢が整っていることを意味し、まさに日常生活に戦時下のような緊張感を与える。

 俺はプールサイドに手をかけ、次のターンで、クロールから背泳ぎにシフトした。腕を交互にまわし、ゆっくりと進みながら、水垢(みずあか)で汚れた天井のラインを見た。誰がどうやって設置したのか、天井に「背泳ぎ追突注意」と道路標識のような注意板があった。

 そういえば、昔通っていた予備校が「日日是決戦(ひびこれけっせん)」と壁に貼り紙していたが、これはこの言葉の元となった「日日是好日(ひびこれこうじつ)」と同義であることに改めて思い当たった。毎日いつでも好日あらば旅立てる決戦体勢、これぞ「チャンスにビーストたれ」なのである。

 そんなことを考えているうちに俺は気持ちの昂揚を抑えきれなくなって、

「野獣は喰らうっ! 野獣は急襲するっ!」

 水面を激しく叩きながらこう三連呼したら、プールサイドで休んでいた閉経した熟女たちと一斉に目が合った。羞恥を押し殺しクールな表情を装って、俺は背泳ぎのまま深い潜航へと入って行った。水底で体をひるがえし、通常体勢の潜水へとシフトした瞬間、俺の目に飛び込んで来たのは、プールの底に記された「潜水禁止」の文字だった。
 終戦の日。水の中というのは、じつに内省と思索にはよい場所である。

苛烈にして悲壮なるスウィマー

 三ヶ月。店主と俺は、なるべく毎朝、プールに通った。

 なるべく毎朝、という意気込みだったが、実際はけっこうな割合でサボってしまった。以来、雨の日も風の日も(ときどきサボりながら)、ともに贅肉を消尽してきた。

 その店主は10月にオートバイのツーリング仲間と結婚したが、年の暮れに癌が見つかり、スイム通いができなくなった。手術までの半年間、彼女は抗癌剤とともに病と闘う。俺も何かをしなければ、という気持ちが、どういう思考回路で「トライアスロン」になったのかは分からない。石段の長い寺の近くに住んでいたらお百度参りだったかもしれないし、つるべの井戸があれば白装束での禊(みそぎ)だったかもしれない。ただ現実に俺が立っていたのはプールサイドで、俺が着けていたのは小さな海パンだった。

 週6日、きっかり1時間。もはや贅肉削減のためのエクササイズなどという小市民的なものではなかった。原動力は、目をつぶったまま発射する弾丸のように指向する思い・・・いやもっと直截的なもの、目的や方向性を欠いたベクトルそのものであった。

 まわりはほとんどがお年寄り。その内訳の多くは女性である。そして例外なく俺は彼女らにスピードとパワーと持久力で劣っていた。贅肉のために泳いでいたときは、どうやっても相手にならなかった。それが、とつぜん何かが変わった。体から余計な力が抜け、酸素が体のすみずみまで行きわたり、筋肉はただ前に進むためだけに、なめらかに動いた。

 がむしゃらに泳いでいたときは、いろんなものに腹がたった。流れを邪魔するもの、口の中に入る波、ぎらつく天井、マットの上のポリバケツ、いろんなものだ。今では何も気にならない。俺が泳ぎだすと、静かにレーンが開ける。水が穏やかな流れとなって俺を押し出す。半年のあいだ、ずっと2〜300メートルで低迷していたのに、何かが変わり、1キロを突破するのにさしたる時間はかからなかった。

 そのプールには、ジャグジーやサウナといった社交場も完備されているのだが、俺は連日、オートバイクでバボンと行って服を脱ぐと、30分間泳ぎ、再びオートバイクでバボンと帰るだけの課程を淡々とくり返している。9時の始業前か、昼休みしかない。毎日つづけるためには、これが限界だった。

 だから俺には時間がなかった。プールサイドを歩くときも、けっして視線を上げず、コンセントレーションきわきわに張りつめた面持ちで歩いた。これまでの経験上、俺という男は、すぐに人と馴れあってダメになってしまうからである。

 入所した当初は、相対的に若いというだけで、俺が泳ぎだすや、あっちこっちで「いざ目にモノいわせてやらむ」と殺気だった老人たちにバトルを挑まれたものだ。ここ10年減りつづける運動量と相反して増加の一途の煙草のせいでヤニ漬けになった心肺、贅肉によって極大化した水抵抗。すぐに息が切れ、筋肉は軋み音をあげる。日々の鍛練で鍛え抜かれた老男女に追い込まれ、いくたび死相を浮かべたことか。そんなとき、今までの俺ならばすぐに、
「いや〜、まいりましたねぇ。えへへ」とか、
「その水着、とってもイカしてますねえ」とか、まあ、そんなふうに適当なキッカケをつくって誰かまわず、えへらえへらと軟弱に取り入ろうとしたに違いない。

 一週間もたたないうちに、もうエントランスに足を踏み入れるや、「あ、どーもどーも!」「あ、こんちわ!」「いやー、今日は寒いっスねえ」などと愛想のタタキ売り、数週間もすれば、ろくすっぽ泳ぎもせずに、おばあちゃんたちの愛玩ドール、略してアイドルとなって日がなジャグジーで湯治をきめこんでいたことだろう。

 店主のためにも、そのような「ちゃらんぽらん」ではいかんのであった。もはや俺はベクトルという刻印をハートに刻みつけた悲壮なるスウィマーなのだ。
 こうなってくると必然的に煙草もやめたくなった。悲壮なるスウィマーはけっして、ぜえぜえと息切れしないものだからである。しかしそんなことをして、ヘヴィスモーカーの店主が眉をひらいてくれるはずもない。ヘヴィスモーカーのままトライアスロンをめざす苛烈な道こそが、核弾頭のように強力なベクトルなのだ。

 トライアスロンの遠泳は3.8キロ。そのハードルを越さないことには、次の自転車にも、フルマラソンにもつながらない。この一歩から漕ぎだす。

店主の闘病と禊(みそぎ)スイムの日々

ゴールドウィング1800 翌年の初夏、店主の手術は成功した。通院闘病はつづいた。抗ガン剤で髪の毛のなくなった頭に、赤毛のカールしたウィッグなんかをつけて、見て見てと笑っている。

 ひどいときは1週間に6日はサボっていたプール通いだったが、店主の闘病生活がはじまってからは、休むことなく毎日泳いで一年がたった。

 秋になると店主の髪の毛も伸びてきた。そして俺は3kmを泳げるようになっていた。

 店主といっしょに通っていたころはクルマに乗せて行ってもらっていたが(そのときの俺はクルマの免許を持っていなかった)、ひとりになってからオートバイになった。ゴールドウィング1800、ドカティ998ボストロム、ZXR750、ゼファー750・・片道1.5キロを通うのに乗ったオートバイたちだ。

 人が何かをはじめるときには、何らかの目的なり意味なりがあったのだろう。俺の場合、ビール腹をきっかけにスイミングを始め、そこに朋輩の病気が加わってトライアスロンというものになった。当初の目的なり意味から離れたところに立っても、俺は続けた。単に惰性で続けた。そのうち、アイアンマンという超人レースを漠然と意識するようになった。

 話を続けよう。

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【作者紹介】

スローライフ
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市原 千尋
Chihiro Ichihara

1970年香川県生れ。小田原在住。37歳でアイアンマン・トライアスロン、38歳で100kmマラソン、40歳で東海道五十三次をランニング踏覇し、41歳の震災を経て、ふな釣りの道へ。

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