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移民病? 8/30
娘のマドカは小田原に来てから1週間というもの、ずっと熱が下がらない。
週末は筑波サーキットの自転車レースがあったので無理に松戸まで連れていったが、けっきょく実家で寝込んでいた。その後も熱が下がらずに1週間がたつ。
おまけに今日、ワイフの愛機ルイガノRSR2のリヤディレーラーが破損。家に着いたとたん壊れた。金属の軸が折れてプーリーが脱落していた。購入してまだ3ヶ月程度なのに。
と思っていたら、業務用メインコンピューターのiMACが完全にクラッシュ。こいつは移住の1週間ほど前からメーラーの調子が悪く、代替機で済ましたり、OSの再インストールなどを試みていたが、メーラーが直ると今度は業務上いちばん重要なDreamWeaverが起動しなくなるなど、致命的な不安定さがつづいていた。思い切ってクリーンインストールを行なったが、アップル純正の写真管理ソフトiPhoto4のインストールができない。いずれもうちにとっては基幹ソフトで手痛い。やむなく新型iMacをオンライン購入したが、手痛い出費だ。もっとも業務用で昼夜使い倒して2年が経っているので、安全上、交換時期ではあったが、さすがにこれだけのことが立て続けに生じると、なんか不安になってくる。
娘は熱だし、マシンの不調もあって業務がたまりにたまって外に出られないストレスからか、体中がアレルギーみたいに痒くなってきた。水が合わないのかもしれない。松戸の水より悪い水は日本にそうそうはないと思うが、20年も住んでいれば体も適応してしまうのだろう。
仕事から帰ってきたワイフと緊急会議。タフな彼女もさすがにビビりが入ってきたのか、
「右脳はなんて言ってる?」
俺の右脳はわが旅芸人一家の最高決議機関である。最後は絶対的な直感独裁。敬愛するドン・アラモスが言うように、直感は過たず、過つのは判断であり良識とかいうやつである、というのは至言である。
「今回に関してはヤなもの感じないんだけどなあ」
どんなにいいオートバイでもPCでも、乗り換えの直後はジャジャ馬馴らしが避けられないことは経験上、確かであり、これもまたそのひとつなのだろう。なんせうちは長く、移住移民をやってなかったのだから。
「まあ、気を強くしていこや」
マラソンで漁港へ行く 8/31
マドカの微熱はつづいている。夜になると熱が上がり、朝がたは下がるのくり返し。
今日は夏休み最後の日。近くの市営海水プールも今日が最後の営業日だがしかたない。とはいっても、こうしてずっと家に中にこもっているとマドカも俺も鬱屈してきて、つい暴力的な遊びに興じ、また熱が上がるといった悪循環。ここは思い切って、銀行や法務局まわりと食材獲得も兼ねて散策に出ることにした。マドカは自転車、俺はマラソン。
まず家から300mのところにある場末感ただよう定食屋が前から気になっていたので、突入。俺はからあげ定食500円。マドカはあいかわらず渋い選択の味噌ラーメン700円。エアコンなしの扉全開。テレビは夏の選挙戦を映しだし、のれんの内側の玉すだれが風に揺れ、裏通りの息づかいが涼しい。
次にさがみ信用金庫に向かう。明治時代の建築を思わせる重厚なつくり。小田原の銀行や公共施設によく見られる建築様式だ。
国道1号を走っていると遺跡の発掘現場があった。ヘルメットをかぶった学者らしき男性にさっそく話しかけるマドカ。500年前の東海道筋にあった民家のごみ捨て場とのこと。
国道135号に折れて走ると、味政というラーメン屋の前に行列。今度行ってみよう。ここまで合計2kmほどで漁港に到着。お魚市場という一般向けの市場で食材を購入。傷モノのエボ鯛8枚で400円、朝がた釜上げしたサクラエビが1パック350円、本マグロの喉肉2ブロックで900円。この喉肉なるものははじめて食ったが、確かな歯ごたえで馬刺しに似る。
文学通り、浜通りを通って帰還したら、マドカの熱が下がっていた。俺の全身のかゆみも快癒。
原因のひとつはストレスだったようだ。
2学期始業式の日のサプライズ 9/1
マドカにとってはじめての転校。今日は小田原は2学期の始業式である。
転入生は4人。品川からの兄弟と、地元小田原市内の女の子、そして千葉松戸からのマドカ。ワイフは校門までいっしょに来て、そのままカッコよく新幹線ホームへと行ってしまったので、始業式は俺がつきそった。担任の2年3組、剣持(けんもつ)先生はすらりと長身のなかなかの美女。小田原は剣持という苗字が多い。不動産屋の社長も剣持、コンビニのお姉ちゃんも剣持。城下町の名残か。
さてこの先生、話をしてみても表情が変わらない。フランス系アメリカ人のCIA女スパイみたいである。やわらかな薄物のスカートの下に小口径の拳銃を隠していてもおかしくない。帰りしな、クラスの女の子をつかまえて、先生やさしい? と聞き込みしてみると、微妙な表情でくびをかしげ、「1組の先生はやさしいんだけど」とのこと。やっぱりCIAのようだ。
学校がひけたあと、マドカは自転車、俺はマラソンで昼飯を食いに行く。家から500mほどのところにある、いかにも老舗らしい店構えのだるま屋に入った。鯵(あじ)の寿司は8カンで1600円。真ん中の切れ込みから、しっとりと脂がにじむ肉厚。シビれた。この世でいちばん美味い寿司って、アジなんじゃないかと思った。松戸にいたころは、たまにアジをつまむぐらい。アジの序列はかなり低かったが、不当な扱いであった。
そのまま警察署に行き、免許の住所変更を行なった。裏にスタンプを捺しただけで10分ほどで終わった。
マドカが海に行きたいと言うので、そのまま海辺にでた。小さな公園で高校生男女が箱ブランコをやっていた。松戸では安全上の配慮から箱ブランコは撤廃あるいは動かないように固定されていたので、マドカも大喜び。安全上の配慮か、くそくらえ。
波打ち際でシャボン玉をやった。風にのってテトラポッドの陰に入り込み、ふたりの世界に熱中していた高校生男女がびっくりして飛び出してきた。シャボン玉爆弾。青春か、くそくらえ。
午後4時前、家にもどるとすぐに電話が鳴った。
「あ〜、さゆり〜!」
電話を受けた娘の声がぱっと明るくなった。前の学校の親友が心配してかけてきてくれたのだろう。
「え? なに? さゆり、わかってんの? あそびにくるって、うち、今、おだわらにいるんだよ」
二、三やりとりをしたあと、受話器を片手に、マドカは叫んだ。
「おとーさん、さゆりちゃん、おだわらにきちゃったって!」
歩いて出迎えに行くと、お堀端通りを歩いていたさゆりちゃん父子に会った。そしてなんと、マドカが喉から手がでるほど欲しかったタマゴッチを持ってきてくれた。うちも何度か手にいれようと店に行ってみたのだが、いつも入荷待ちでマドカもがっかりしていただけに、ほんとうにうれしそうだった。
「まさか、これを持ってきてくれるために?」
「いやぁ、たまたまヨーカドーで売ってましてね。会えなかったら、玄関にでも置いてきて、お城でも見物して帰ろうかなと思ってましたから」
って言ったって、始業式の日から気合の入った父娘である。さゆりちゃんのお父さんは俺と同い年で、しかも元Kawasaki乗りの公務員。松戸の小学校に在学中も何度か話をした程度の間柄だったので、かなりサプライズ! 近所の友だちと遊ぶのにもいちいち電話でアポをとる今の小学生の風潮は好きでなかったが、100kmを越えて引っ越していった友だちの家にいきなり行こうという気概は、サプライズを心から愛する俺にとっても、まことサプライズ。
また、俺が高校生で茨城から松戸に引っ越したとき、ただひとり見送りに来て手を振ってくれた男が、引っ越し先のマンションに着いたときに、「やあ」と言って俺たち一家を出迎えたときのサプライズもまざまざと蘇ってきた。俺も新居に行くのははじめてだったし、やつも知らなかったはずだ。いったいどうやって俺たちより先に着いたのか、答えは簡単で、とりあえず新松戸に行ってみた、とのことだった。引っ越しなんだからトラックがいるはずだ、と、それだけ。今の新松戸なら考えられないことだが、当時はまだそれほど建物も多くなかった。以来、彼とは、自転車18時間耐久旅行や、エキスポ一番乗り自転車ツアーとか、オートバイ関西ツアーとかいろいろやったが、時間を決めた待ち合わせをしたことはない。出会いは偶然に、別れは立ち止まらずをいつも実践してきた。俺たちはサプライズの虜(とりこ)になっていた。彼の乗っていたオートバイが、のちに俺の手に渡り、『最速クズ鉄伝説』を生みだした。
サプライズは人生である。
四人はいっしょに小学校を見て、海に行った。浜辺で缶ビールを飲みながら、昔よく伊豆や箱根にオートバイで走りに行った話なんかをした。俺はもっぱら西湘バイパスなので小田原を通ることはほとんどなかったが、彼は仕事が終わったあとに深夜、三京→下道→西伊豆と、よく小田原クランクを通過していたとのこと。オートバイだと、左にひらっ、ハングオンの腰を体重移動しつつ、右にひらっと、イメージは切り返しに近い小田原クランクだが、実際に歩いてみると、
「けっこう距離ありますね」
「うん。ぼくも最初歩いたとき、あれれけっこう遠いなって。オートバイだと、ひらっ、ひらっ、おしまいっ感じなんですけどね」
話しているあいだに、いつの間にか二人の女の子たちは波に引きずりこまれて全身ずぶ濡れになっている。
「あ〜あ・・」
部屋にもどり、女の子ふたりで風呂に入ってもらった。俺はふたりが落とした砂と格闘。ワイフが帰ってくる前に証拠隠滅しないと、万が一、熱をぶり返したときに、ああん? と知らん顔できない。
夜は創業400年の定食屋に行き、またビールで乾杯。うな重、かんぱちの焼き魚定食、まぐろ丼を四人で食す。名残りを惜しみ、新幹線乗り場まで見送った。別れぎわ、彼が言った。
「そういえば、日が出ているうちにビール飲んだの、ひさびさで気持ちよかった」
家に帰った。午後9時。
ワイフから電話があり、今日一日のことを話すと、
「ありえなーい! そのノリ、おとーさんに合ってる・・」
そういえば娘の入学式の日に、なみいるにわかカメラマンらがぞろぞろ子どもを追っかける光景にうんざりしていたワイフの目に止まったのが彼だった。一眼レフデジタルを持ちながら、子どもパパラッチをやるわけでもなく、ずっと夫妻といっしょに話をしていたという。そのときは彼もワイフもお互いにKawasaki乗りとは知らなかったはずだが、入学式に行かなかった俺に「おとーさんと合いそうな人がいる」と言っていたのを思いだした。
またオートバイを買って乗ろうかなとも言っていた。ぜひ新たなサプライズを実現してもらいたいものである。
●本日の鍛練
マラソン8km、ビール2リッター

しぇいしぇいしぇいが聞きたくて 8/2
小田原に移民したといっても、仕事はある。家事もある。
小田原移民から2週間がたとうとするが、自転車、オートバイで箱根伊豆方面に行くわけでもなく、ただ、日常生活確立のための奔走と、業務環境の構築にかかりっきり。別荘ライフで小田原に来ているわけではないのだから、当然といえば当然だが、街道筋という場所がら上、平日から自転車やオートバイで箱根越えに向かうもののふが多くて、見るたびに臍(ほぞ)を噛む。天気がいいと余計にくやしい。
昼飯はマラソンで1kmほどのところにある早川口のラーメン屋、味一に。いつも行列ができているので気になっていた店だ。6人から10人がつねに店の前でならんでいるが、この日も6人待ち。20分ほどで店に入れた。
「しぇいしぇいしぇい、しぇーい」
すわる隙間もないほどの調理場に立つオヤジが言った。漁師を引退したバルタン星人みたいな声だ。いらっしゃいませが長年の風雪に耐えるうちに、しぇいしぇいしぇいになったのだろう。客席はカウンター8席のみ。クーラーはなし。となりのサラリーマンふたりが席を立ち、勘定を済ますと、
「してぃしてぃしてぃ、してぃー。してぃしてぃしてぃ、してぃー」と、ひとりひとりに言うオヤジ。ありがとうございましたの語尾を連続させて、してぃしてぃしてぃーに進化。長い歳月を感じた。
入れ替わりに、カップルが一組が店に入ってくると、
「しぇいしぇいしぇい、しぇーい。しぇいしぇいしぇい、しぇーい」
と、またひとりひとりに言う。
メニューは壁に貼ってあるが、じつに大雑把。メンマもやしラーメン、メンマラーメン、塩大盛りラーメン、チャーシューメンなど6種類程度。塩ラーメンは大盛りじゃなきゃいけないのだろうか? メンマラーメンは大盛りにしちゃいけないだろうか? メニューにないものを言ってみた。メンマもやしチャーシュー大盛り。
オヤジは戸惑うでもなく、さらさらとメモ帳に書く。どうやら受け入れられたようだ。マドカはあいかわらず味噌ラーメン。これもメニューにはないが受け入れられたらしい。
調理場がせますぎて、オヤジは四人分のラーメンをつくるために、カウンターの台、俺たちの目の前にどんぶりを並べはじめた。白い粉を小さじで入れる。洗練された動きはなく、試し試しといった感じ。次にしょうゆさしに入れた褐色の液体をちゅるる〜っと入れた。こんなラーメンのつくり方は初めて見る。動きは遅く、前の客がラーメンを食べ終えたあとになって、ようやく俺たちのラーメンができた。行列ができるわけだ。単に回転効率が悪いのだ。でも、このオヤジ、なぜかものすごく魅力がある。
味は漁港のラーメンらしく魚のダシがきいて、さっぱり風味。上に浮いている脂は魚油か? マドカは気に入ったようだ。俺たちのあとにツウっぽい単独者がふたり入ってきて、ともに味噌ラーメンを注文。ひとりは、にんにく入れてね、と言った。マドカが味噌ラーメンを頼んだのはアタリだったようだ。勘定を済まし、出るときには全身汗だく。
「してぃしてぃしてぃ、してぃー」
オヤジの舟唄のような声に送り出された。
「どうだった?」
「うん。おいしかった」
「おとーさんは、まあまあかな。でも、これはおもしろかったね」
俺は、しぇいしぇいしぇい、しぇーい、とオヤジの真似をした。
「してぃしてぃしてぃ、してぃー」
「しぇいしぇいの方が似てる」
「うん。なんかコツが分かってきた」
帰りみちに肉屋で量り売りの鳥モモ肉を買い、ふたりでラムネを飲んだ。歩きながら、ずっと、しぇいしぇいしぇいを言いつづけた。なんかこれを聞きたくて、またあの店に行ってみたくなった。
天下の嶮 箱根クライムアタック! 9/3
ついに休日だ。小田原に来てはじめての休日。(先々週は引越、先週はレースで松戸に行っていた)
午前6時。ORBEAオルカ号のペダルに片足をかけ、煙草を吸いながら国道1号に面したわが家の前で網を張る。箱根の旧街道を走るのははじめてだし、しかも自転車だ。慣れてそうなチャリダーが通ったら、くっついて行ってみようと思っていたが、20分、誰も通らない。なぜだ? 昨日まではあんなに通っていたのに! あきらめ単騎出走。
4kmほどで旧街道入口。都心の金持ちの隠れ宿の雰囲気ただよう閑静な温泉旅館のつらなりを抜けて、猿沢橋から本格的な山岳コース。天狗神社を通過すると、長い長いマジで長い10%勾配がつづき、延々とスタンディングでペダルの奴隷。次の難所は七曲がり。七曲がりって言うのに、ぜんぜん七つじゃない。終わることなく眼前に現れるヘヤピンカーブを丹念に、いや、ただのろのろとクリアーしていく。頭が朦朧、足は棒棒。坂がゆるくなったと思ってシッティングにもどっても、メーターを見たら10%勾配を指している。YO、完全に感覚がおかしくなってるじゃんジャンキー。でも10%を39Tのデュラエースでシッティング。ふだんなら絶対に無理じゃんジャンキー。これやはりクライマーズハイ?
走り屋のあいだで有名な峠の茶屋にやっと着いた。が、素通りした。芦ノ湖まで無着陸を達成したい。もう少しだろうとタカをくくっていたが、ぜんぜん上り坂が衰える気配はない。茶屋からたっぷり標高差150mは上っている。
やっと国道1号との合流信号。無着陸達成のために信号無視した。これがいけなかった。何も考えず上り坂の方を選んでしまい、いつまで行っても芦ノ湖の看板が出てこない。おかしいと思っているうちに「国道1号最高標高地点」を通りすぎ、下り坂へ。もうここまで来ると間違っていようがまっすぐ進むしかねっす、速度50キロ越えてるしもう止まれない。そのまま下り切って、けっきょく家まで無着陸でもどってきてしまった。
地図を見ると、直線距離で芦ノ湖の100mぐらい手前に肉薄していたのだが、交差点で下り坂を選ばなければならなかったのだ。朦朧とした意識の中、無意識で上り坂を選択するあたり、クライマーズマゾヒズムに罹患していたようだ。
●所要時間:1時間29分
●走行距離:37km
●登坂高度:768m
●最高速度:57km/h
二日連続箱根アタック 9/4
昨晩はうちの隣の隣にあるスペイン料理屋に行った。
小田原に引っ越したとき、横浜に50年近く住んでいる超食通、女通の社長であり友人のZ氏からメールがあり、小田原で最高の店といえばこことおしえてくれたのが、じつはうちの隣の隣だったのだ。ちなみに隣の隣の隣、つまりうちの隣には創業400年の定食屋がある。
店のマスターは小田原生まれのスペイン育ち。スペイン語を話す小田原人。ワイフがイタリア語をまじえながら、店主といろいろ何をどう食うべきかについて入念な打ち合わせをしている。俺にはメニューがちんぷんかんぷんなので、ワイフにすべてを一任した。しかしイタリア語でいいのかと訊くと、
「スペイン語とイタリア語はおんなじようなもんだから」と、かかかと笑うワイフ。そんなものか。
マスターの話では、日本で最初にスペイン料理を披瀝したのはこの店だとか。30年やっているという。ワイフが東京で有名なスペイン料理屋の名前を言うと、彼はかかかと笑い、
「スペインじゃ、食い物屋はぜんぶ厳格に格付けされててね、五本フォーク(ミシュランでいうところの五つ星みたいなもんらしい)が最高、これがいわゆるレストラント(不思議な発音で言うマスター。おそらくスペイン訛りなのだろう)、お客さんが言ってる店はオードブルしか出せない格ですよ」
そして、かかかと笑う店主。ワイフも合わせて、かかか、と笑っている。
俺はふたりに訊ねた。
「つまり、おでん屋みたいなもん?」
「そうそう、おでん屋で懐石料理だすとお客さん、怒るでしょ。スペインじゃそれが徹底して厳しいの」
「で、ここはレストラントなんだ」
かかかとマスターは笑った。
料理は文句なしに美味かった。スペインの料理は俺に合う。シンプルでさっぱりだ。ビールを飲んだあとに、ワインを注文。
「お客さん、三杯以上飲むなら一本とった方が得だよ」
「んじゃ、ボトルで」
ぐびぐびっと一本開いちゃったので、おかわりを頼むと、マスターはカラビンを持ち上げて、ありゃ、と言った。
自転車乗りの聖典との噂の『茄子アンダルシア』に出てくる茄子の酢づけがかねがね食ってみたかったので、訊いてみると、スペイン人はキュキュは食わないと言う。キュキュというのは茄子のことだ。
「でも映画じゃ、これがないとはじまらんと言ってたんだけど。アンダルシアの結婚式で」
「アンダルシアは田舎だから、まあ、そういうこともあるんでしょ」
まっとうなスペイン人は嫌いでも、俺はやっぱりアンダルシアの茄子の酢づけを食ってみたかったが、マスターは邪道と決めつけている。考えてみれば俺はスペインのチャリに乗っているし、レーシングスーツもオレンジ一色のスペイン純正。レーシングスーツに印刷されているスペイン企業の名前を言ってみたが、マスターはどれも知らなかった。それに俺が自転車の話に振ろうとすると、微妙にはぐらかされる。
じつは小田原市は競輪の収益で潤っているが、地元の人たちはあまり快く思っていないらしい。しかし競輪の収益がないと困るので表立っては異論を唱えないが、「自転車」という言葉がでると座がシラーっとなる。
そういえば土曜日に都内に出勤したワイフが、電車に自転車を積んで来る人たちをたくさん見たという。てっきり小田原は自転車が盛んなのかと思っていたが、どうも多くは箱根をめざして外から来ているようだ。
店が終わったあと、ワイフと娘といっしょに海に行った。台風が近づいているせいで波が高い。すわりこんで線香花火をやっていると、とつぜんでかい波に襲われ、ワイフと娘が水没。俺はなぜか両耳に線香花火をはさんでひとり逃げだしていて無事。のちに娘とワイフのあいだでは、俺の耳にはさまれた線香花火がなぜ落ちなかったのかが語り草となりやがて伝説となる。ほどなく、もうひとつの知らない家族もいっしょになって浜辺で波逃げボールゲームをやった。みんな全身ずぶ濡れ、青春家族ゲームである。海水浴場用の水道で、娘にパンツの中に入った砂を落とすように言ったら、横でワイフまでそうしていた。完全な酔っ払いである。
一、二時間も遊んだだろうか、深夜12時に帰宅。
五時起床で五時半、二日目の箱根に向けてORBEAオルカ号にて出立。今日こそ芦ノ湖を拝む。
旧道箱根口のセブンイレブンから計測を開始し、途中、七曲り峠で四輪の走り屋集団のドリフトにもまれながらも熱い声援を受け、43分で峠の茶屋を通過。53分で芦ノ湖セブンイレブン着。
帰途のダウンヒル、最高速度62.5キロを記録するも走り屋にブッチぎられた。下りの峠で、なんでチャリがクルマなんぞに負けるんやとムキになって、信号で追いつくごとに何度もアタックしたが、最後には「お遊びもオワリよん」とばかりにGTRにチョイ本気を出されて、あっという間に消されてしまった。
どうもクルマを侮っていたが、突っ込みも、コーナリング速度も、もちろんストレートの加速も、すべてにおいて勝機を見いだすことはできなかった。家に帰ってタイヤを見ると、飛び散ったゴムかすがダマダマになってタイヤにへばりついていた。ちょうど250キロでモテギサーキットのダウンヒルで突っ込みブレーキをやったときのオートバイのフロントタイヤにできるダマダマを5分の1サイズにした感じだ。速度が5分の1だからサイズも5分の1か。こんな阿呆なことをやっていると、タイヤとブレーキパッドの消耗はそうとうなものになりそうだ。
このあと、ドカティでもう一回箱根を往還してこようとしたが、カバーを開けてびっくり。先週の台風の影響か、ドカティのエンジン、クラッチカバーが白錆だらけ。タンク、カウルには白く塩が浮いている。海岸の家、号泣。
クラッチカバーはバイク屋も卒倒する完全開放の穴開きなので、中のクラッチプレートやスプリングまで錆び錆び。泣きそうになりながら、というより泣きながらメンテナンス。クラッチカバーをふつうの密閉タイプに戻そうかと一瞬迷ったが、退廃的ロココの精神、このピカピカリンの田舎成金趣味の象徴たる穴開きクラッチカバーをやめるぐらいならドカティを降りた方がよい。腐食のあとがケロイドのように残るが、なんとか見れる姿になったドカティをだそうとして、ワイフに買ってもらったばかりのブーツがないことを発見。一度も使ってないのに、いくら探しても見つからない。引越前にはあったから、引越のどたばたで消えてしまったらしい。出走をあきらめ、家族とインプレッサで小田原市民がみんな買い物に行くという郊外の巨大ショッピングモール「ダイナシティ」に行った。ここにスポーツクラブがあったので無料体験入場し、1.8kmをイッキに泳いだ。しかし最後の最後で65歳ぐらいのクイックターンのおじいちゃんに優雅に抜かれた。
熱い週末であった。
<チャリ>
●走行:39km
●登坂高度:820m
<スウィム>
●1.8km
小田原の日常、徐々に 9/5
小田原移民暦、第三週。
娘の小学校は給食がはじまり、俺も落ち着いて仕事ができた。雨と筋肉痛でほとんど家から出られなかったせいもあるが。
多くのモノが壊れ、娘が熱に伏し、俺は俺で体中が痒くなったりと、いろいろあったが、この2週間で日常生活の大枠がだいたいできてきたように思う。
●スウィム
日課のスウィミングは6kmほど離れたところにあるダイドースポーツクラブに決定。
●ストレッチ
同スポーツクラブにヨーガ講座があるので利用してみようと思う。ワイフは会社のヨーガ部の部長らしいので、よい相乗効果がありそうだ。無料で受講できるカラテ教室、太極拳、ヒップホップ、社交ダンスあたりもよい。
●ラン
漁港までほどよい距離。江戸時代の鯖街道を往還する運び人足みたいに、リュックに海産物を背負って走るのだ。
●チャリ
箱根越えは1時間半あればできることが分かったので、平日でも早朝なら仕事前のひと汗によさそう。ただし、タイヤ、ブレーキパッドの消耗は半端じゃない。今日、仕事をしていたら、横に安置してある自転車がいきなりプシューっといってパンクした。心霊現象かと思ってビビったが、バラしてみると摩耗したタイヤとチューブが裂けていた。走行中でなくてよかったが、ダウンヒルのバトルは自転車にとってそうとう苛酷らしい。
●仕事
マッキントッシュのメーンマシンを買い替えたが、そろそろ届く予定。現在のマシンはメーラーがクラッシュしていて使いものにならない。バックアップマシンのメーラーもクラッシュ。ブラウザメールでしのいでいる厳しい現状。
●会社
法務局で小田原市の法人としての登記簿謄本が取得できるようになった。これをもってメーンバンクに移転手続きをするが、なんと小田原には東京三菱銀行もUFJもない。平塚まで行かないと。
●家事
ほぼ安定。あとは細部のブラッシュアップをじっくり進める。今日はホームセンターでモップをゲット。次は8分別対応ゴミ箱を狙っている。小田原はゴミ収集ルールがすごく厳しいので。
これ以外としては、塩害にあったオートバイの整備と対策を進めることと、小田原ナイト行脚にむけての先達の確保が課題か。
バドミントンと、まご茶漬けと、iMAC-G5 9/6
ダイドースポーツクラブに入会。
いきなりバドミントンをやった。学生時代以来だ。ちゃんとシューズとラケットを買おうかな。
プール1.5km。
娘の小学校の災害時引き取り訓練に参加し、下校後、ふたりで漁港に行った。
遅い昼飯に、おさかな市場の片隅にある「まご茶漬け」の店に入った。カウンターだけの店だが、安くて美味い。ついビールも二杯に。
夕食用にマグロ2柵500円、朝釜揚げのサクラエビ400円。朝食ストック用に傷モノ干物詰め合わせ。エボダイ2匹サバ1カマス1アジ1キンメ1が入って350円。
家にもどると、新しいiMACが届いた。旧機からアプリケーションを含めてそっくり環境を移行するのに数クリック、2時間放置で終了。デスクトップの散らかし具合も、アプリケーション内のカスタム設定も忠実に再現されている。あまりの便利さにあっけにとられた。調子にのってiTunes(標準装備の音楽管理ソフト)で80年代にオーケストラでラップしたオーストリア出身自称ロックシンガー・ファルコのRock me Amadeusを買ってみた。(オリジナルはなく、カバー曲だったが) 視聴できて1曲150円、ワンクリックで買える。なんて時代だ!
台風一過でスカーッと行こで 9/8
14号台風一過。
朝、ベランダの先にひろがる相模湾を見ておしっこを漏らしそうになった。8月の台風一過のときの海はコーヒー牛乳みたいになっていたが、どうしたことか今日はエメラルドグリーンとさわやかなライトブルーが帯状に溶け込み、朝日を受けて無数の光輝をまたたかせている。まっすぐ水平線上には伊豆大島が淡いブルーを背景に影絵のような明瞭な線を描き、右手には真鶴(まなづる)が手をのばせば届きそうに見えるほど伊豆半島が近い。左手のゆるくカーブした砂浜の延長線上には三浦半島の緑がのびている。秋の匂いが潮風にまじっていて、何度も目をこすり、首を振った。あはーと何度もため息がもれる。目の覚めるようなブルー。
小田原に来てからというもの、晴れていると昼間に仕事をするのが馬鹿らしくなるという危険な精神状態になっていて、つい追い込まれて夜更かしするものだから、ずっと寝不足だ。ここのところ台風のおかげで天気が悪かったのでまだよかったが、それでも朝刊が来るまでデスクに向かっている毎日。しかしそんなこと関係なく、今日という日はスカーッと行くしかないでしょう。
一夜漬け程度に軽く塩漬けのドカティを整備し、開店直後のレッドバロン小田原へ。オイル、オイルフィルター交換をしてもらっているあいだ店内をのぞく。新車のドカティ・ボストロムがあった。俺のボストロムとは世界に155機しかいない兄弟。なんか里子の兄弟を見るような目になってしまう。
よぅよぅ、おいちゃん、おいら買ってけつかれ。ごめんな、ワシ、金あんましちゅうかほとんどないねん。そんなこと言わんと、おいら63番なんやで。ワシんとこ78番やわ、頭とケツの155番のゼッケンはとってしもたけどな。へえ、何番にするのん? ほんまは2にしよ思てるんやけど、おかんが、なんで2やねん、オトコなら1にせんか馬鹿たれ言うてな、今、気合と相談中で白ゼッケンの欠番や。ほか、ごっついおかちゃんやねんな。そやな、そやけど、おかちゃん金持ちじゃけ、いちお頼んでみたるわ。おおきに、おいちゃん、よろしゅな。
とまあ、ほんとうに買い取ってやりたい衝動に駆られてしまう。少し安くなって200万を切っている。とはいえ、今どきこの下品なドカティに200万出すやつ物好きはいるだろうか。
オイル交換を終えて、次は法務局へ。やっと小田原が本店記載となった登記簿謄本がとれたので、そのまま、メーンバンク三菱銀行に向かう。一番近くの三菱銀行でも平塚まで行かないとない。自転車で行きたかったが、ドカティもかなりいい感じだったし、そのまま国道一号を東進した。
走ってみればあれだけ昔から伊豆には通っていたにもかかわらず、東名高速、小田原厚木道路、西湘バイパスといったメジャー路線が並走する激戦区のため国道1号は通ったことがないことに気づいた。
低い屋根が軒をつらねる旧家と枝の屈曲した松が街道の両脇に並び、前と後ろに山、横に海、うわぁ〜東海道やんけぇ、マジ東海道やわぁ、なあキタさん、ッて湧き上がる歓喜。このままお伊勢詣で参ったろかと一瞬魔が刺したが、方向逆やんけ。しっかし、なんで今までこんないい道を通らんかったんかなあ。メジャーハイウェイに囲まれているせいか交通量もさしたることはなく、海風で地中海のように強い日差しとからっとした空気。地中海には行ったことないけど、今はここが地中海、ボローニャの空と海と目の前に俺を呑み込むストラーダ。イタリアンロッソにアメリカンスターの劣情ボストロム・ドカティもたまらず咆哮炸裂。あぁなんて楽し。
平塚はデカい町だった。なんか都会にやって来たなぁって感じ。駅前の巨大な銀行で住所変更手続きを済ませ、帰途に。途中、気になる店に立ち寄ったり、郵便局に寄ったり、飯屋に寄ったり。昔の俺って走ったら止まらなかったよなぁ。なんか歯止めがきかずうらうら楽しんじゃってるが、台風一過だからいいよね。
勢いあまってダイドースポーツクラブに寄ってスウィム1.8km。
むぅ、家にもどって今度はチャリで伊豆半島に出撃したいところだが、娘が学校から帰ってくる時間だ。
朝はヒルクライム、夜は突撃小田原ナイト 9/9
ワイフと娘を送りだしたあと、始業までのわずかな時間を使って、GAAP(ガープ)(*脚注参照)にまたがり東海道へと滑りだす。
登坂が目的だが、人生は重荷を背負って遠き道のりの家康の言葉に従い、28-300mmデジタルカメラとナビゲーションシステムを装備して走った。
当初は真鶴をめざしたが、途中、石橋山古戦場跡という古ぼけた看板の魅惑に誘われ、木々のトンネルのような勾配15%の細道をのぼる。27段変速とはいえ、装備重量20kg近い自転車をペダルを漕いで引っぱり上げるのはシッティングでは不可能。南東斜面を所狭しと埋めるみかん畑のあいだの細道を上りに上る。上っているうちに枝道の枝道に入り込み、みかん畑は消えて木々のトンネルの勾配15%がつづく。汗は滝、目はかすみ、朦朧(もうろう)とするが先は延々たる勾配。何度も挫折しそうになったが、そのたびに気合を入れ直し、やっぱり挫折しそうになり、気合を入れ、けっきょく挫折して足を着いた。すでに500m近くのぼっている。ナビゲーションはすでに道を見失い、役立たず。歩いて自転車を押して上る。やっと下り坂になったが勾配がきつすぎて怖い。ディスクブレーキがフェードしてきたのか、だんだんきかなくなってきたので、いったん調整、そしてまた下る。
ところが工事中通行止めの看板で行く手を阻まれ、マジかよと思ってもどうしようもない。下りに下ってきた道を引き返すってことは、また上るわけですか。マジですか。こういうときはとりあえず思考停止、と、煙草を吸っていると、遠くで野犬の遠吠え。いやぁ、じつに森閑としとりますなぁなんて余裕なふりをしていると、だんだん犬の声が激しく近くなってくる。こりゃいかんと、煙草をくわえたままチャリに飛び乗り、登坂。時速5km。歩いた方が早いぞこれ。いざ野犬が迫ってきたら、反対向きになってカミカゼしかない。轢き殺す。ぜったい。チャンスは一回だけの片道燃料。小さいころから俺は犬が死ぬほど怖い。チワワも怖い。
どうにか犬の声は小さくなり、やがて聞こえなくなった。ふう。と思ったら、急に足ががくがくになってきた。早く仕事にもどらねば、今日は平日である。携帯電話圏外。家に着いたのは11時前だった。
午後3時。仕事をしていると、皇族の流れを引くという噂の宮さまから電話が入った。今週は遅い夏休み中だという。なんせ皇族の流れを引いているかもしれないので、
「なんなら小田原にでも御幸にいらっしゃれば」
と御挨拶をすると、
「えー、じつは小田原で迷ってまして・・。家族もいっしょだったりします」
すわプラーーーイズ!
娘を引き連れて駅までお迎えにあがった。御用車レガシーが駅前皇室臨時駐車場に厳かに停まっていた。こんなときのために御用駐車場を借りておいた。小田原に引っ越して以来、一度も使ったことのない駐車場にご案内申し上げ、すぐ海に行き、ビール。このあとの予定は未定という宮さま一家を、小田原駅前おしゃれ横丁のぜんぜんおしゃれじゃない居酒屋にお招きし、しこたま飲んだあと、もう帰れませんね、それじゃあ大奥とご子息らは家でゆるりとおくつろぎいただき、宮さまとふたり小田原ナイトへくりだした。
駅からは10分以上離れた旧繁華街の宮小路。こんな離れたところじゃ不便ではと思ったが、鉄道が開通するずっと以前からの小田原の盛り場とのことだからしかたない。街道のちょうど裏手にあり、うちからは歩いて数分。網の目のように細かい路地に入り、猫の通路のような細い裏路地を抜けたところにあった小さな居酒屋に入り、情報収集。韓国系が多いが、高いので地元の人もあまり行かないという。ここらへんはフィリピンが意外に多く、中国はあまり見ない。特に危ない店もないようだ。さっそくフィリピンへ。前払い4000円。カラオケ代は別だが、それ以外はいっさいなし。
それにしても驚くほど客が多い。ぞくぞくと客がやってくる。ほとんどが地元客のようだ。時間になると、カラオケ予約がまだ入っていたが、15秒の猶予もなく、びしゃりと追い出された。この厳しさ、小田原ルールなのか、それともわれわれが異邦人だからか。お忍びでお遊びの宮さまと、よろよろと帰途についた。
ともあれ、小田原ナイト突入達成である。
殿下、鏡にはご注意・・
石垣山一夜城のサプライズ 9/10
前日、小田原にサプライズ降臨された皇統宮家を迎えての二日目の朝。
小田原ナイト名残りの軽い二日酔いに頭を振りながら、オートバイ2機で出撃。この日のために整備しておいたTZR50Rを宮さまにお乗りになっていただいた。これでTZR50Rが御用車両、御用達オートバイとなった栄誉も高らかに、というか、御ひさびさの御オートバイとのことで、御ころびになってはと、ドカティ・ボストロムで白バイのごとく一号線を封鎖しつつ、御用車両をご案内申し上げる。
真鶴までの道のりを、宮さまは心から愉しまれた様子で、ひとまず安堵申し上げる。
帰途、戦国時代に豊臣秀吉による小田原攻めの本陣となった石垣山へのワインディングへ。一晩にして小田原城を見下ろすこの山腹に白壁の城郭を築きあげたという太閤秀吉の逸話をご説明申し上げ、興味深そうに御耳をお傾けにおなられる殿下。でもほんとうは昨日、歴史案内の看板をくまなく読んでまわった受け売り。実際には築城には80日かかったのだが、杉林に隠れるように石垣と骨組みを地道につくっておき、最後の仕上げの晩に、白い紙を貼りつけ、いっきに周囲の木々を伐採。翌朝、相模湾ごしに差し込む朝日を受けて、東側斜面に照り映える白壁の城郭。昨晩まではなかったこの城を見つけた小田原城天守内での動揺ははかりしれない。秀吉らしい派手な演出、石垣山一夜城。サプライズ。

周辺探索by原チャリ 9/11
風邪をひいた。というより気合で抑えこんでいたつもりが悪化した。気合なんか入れないでおとなしく寝ていた方がよかったのに、ついまた気合を入れてしまって登坂。
何かにぶつかったり、困ったり、鬱屈したりすると、理由もなく急坂をチャリで漕ぎ上ろうとする悪癖に陥りつつある。小田原という土地は至るところに風光明媚な急坂がごろごろしているだけに、おさまりがつかぬ。おそらく逃避でしかないが、汗だくになって登坂していると、なんか生きている気がするから病的だ。これは一種の堕落なのではないかと思うようになってきた。
おまけに仕事が山積。よく晴れた日曜で、しかも真青な海の向こうから真鶴半島がおいでおいでをしているのを見ぬふりしてデスクに向かう。早朝から西湘バイパスを何百台ものオートバイがエギゾーストノート高らかに走りすぎていく。それを横目に見ながら、けほけほ咳をしながら仕事。ワイフと娘は、小田原漁港祭りに行った。
昼過ぎ、たまらずチャリを引っぱりだす。が、熱っぽくて頭がくらくらし、断念。が、断念しきれず、原付オートバイTZR50R改80Rにて周辺探訪にくりだした。
夕方と合わせて1時間半×2本。迷ったり引き返したりしながら、地図に載っていないナイスワインディングを走りつなぎながら、よさそうなコースをいくつか発見。箱根ターンパイクなどの超メジャーワインディングも家から数分だが、あまり興味ない。無名の生活道ワインディングを探索するのにTZR50Rはぴったりだ。
南足柄広域農道と、宮城野温泉の方に向かう林道がよかった。ほどほどで引き返したが、次はDUCATIボストロムで少しエリアを広げて探訪&コース構築しよう。
しっかしだ。日本が衆議院選挙でたいへんなときに、俺はこんなことをしていてよいだろうか? 最近どうも、享楽的な革命家、堕落した革命家に陥りつつある。気候温暖・風光明媚・酒池肉林・魑魅魍魎の小田原、恐るべし。夢うつつの毎日がおさまりそうにない。が、ここは、おさまるまで徹底的に享楽をやりつくすべきか。

※画像の赤のラインは走ったルート。
新たな島を2つ発見 9/15
海の表情は毎日違う。
夏の盛りはよく晴れていても、海上の水蒸気のせいか大島は見えなかった。このところ大島の見える日が多い。秋の空気を肌で感じる。
今朝は曇り空だったが、不思議なことに遠方の大島がくっきり見えた。右手にもうひとつ島が見えた。はじめて見る島だ。地図を見た。位置的には初島だろうか。
もっと見ていると、大島と三浦半島のあいだあたりに、うっすら第三の島が見える。地図を見てもそれらしきものが見当たらない。八丈島? 方角的には大島の裏にあたり、小田原からは見えないはずだ。とすると、三宅島か。やや方角が合わない気もする。楽しい謎だ。
朝がたいっきに仕事をし、大江本を読み、脳を活性化。雲行きがあやしくなってきたので、急ぎORBEAオルカ号で箱根旧道登坂へ。昨日よりは体調がいいし、最初から積極的にペダルを踏み込んだ。峠の茶屋まで36分30秒。昨日より1分30秒縮まった。初日からは6分30秒短縮されている。パワーがこんなに短期間に上がるわけがない。単にコースが頭に入ってきたことによって、力の入れどころと抜きどころが分かってきただけである。仕事もみんなそうだ。力の入れどころと抜きどころ。そんな小さなことで大きく結果が変わってくる。人生の妙。
寒気が入ったのか、突然おそろしく寒くなった。登坂のあとは、あいかわらず咳がマシンガンのようだったが、帰途についた。前日、ブレーキパッドとリヤタイヤ(&チューブ)を新品に交換したので、かなりフィーリングはいい。この急な下り坂は、まともに走ると数回でタイヤとパッドが消耗する。エコ運転を心がけようとしていた矢先、なにやら中途半端に気合の入ったクルマに抜かれ、追いかけている途中に最高時速69.5kmをマーク。しかしけっきょく負けた。歩行者がいても減速しないような、美学ゼロのヤカラに負けるのはなんとも悔しい。
そもそも、なぜ下りで自転車がクルマに負けるのか、いまだに理解できない。自転車はもっと速く走れるはずだ。七曲がり峠ではベタづけだったが、そのあとの長いストレートでビビりが入った。これがいけない。90キロは必要だ。
コークスクリューの激坂、足柄峠 9/16
悪趣味なドカティでプールに行った。
行きがけ、エンジンのスス取りのため、ちょっと遠回りして、南足柄広域農道を全線走ってみた。クルマもオートバイもチャリもほとんど皆無で、15kmぐらいのワインディングを効率よく往復できた。大好きだった往年の北茨城広域農道にとても雰囲気がよく似ている。路面状況がいまいち信用できず、北茨城広域農道ほど走りやすくはないが、近年、走り屋たちのサーキットと化して白バイも巡回するようになった顛末を考えれば、ここは誰もいなくて安閑としていてよい。復路、なんか楽しそうな枝道があったので入り込んでみると、九十九折りの曲節路を経て足柄峠にでた。
ドリフト族も大喜び、チャリダーもひいひい愉悦の激坂、コークスクリュー、ヘヤピンの連続。平日の昼間だったせいか、ほとんどクルマもチャリもオートバイも皆無。なんでも今月号のマゾ系チャリ雑誌『ファンフライド』の記事に、この足柄峠を激登するコースが紹介されているらしい。近々、攻略してみよう。
スウィム1.8km。

矢羽根マットと物干し台 9/19
室内のチャリンココーナーに、工事現場ふうの矢羽根マットを敷き、物干し台を使ってホイール待機スペースをつくった。あと2つはホイールを待機させられる。ということは、軽量な山岳用のホイールを新調してもよいということではないかとワイフに訊ねると、「クリスマスね」と言われた。
5回目の箱根登坂。36分50秒で、前回よりも20秒落ち。前半でやや力を抜いて体力を蓄えておこうとした作戦が失敗。やはり山岳用ホイールがないせいだ。ワイフにもう一度訴えよう。俺は基本的にモノのせいにする男である。
三連休最終日ということもあり、下りの国道1号線はチャリでもスリヌケできないほどの大渋滞。オーバーヒートしやすい体質なので、やむなくずっと対向車線側を走ってきた。レガシーと一回、バスと一回、正面衝突しかけ、巻き込みを食らいそうになったのも一回(ほとんど接触していた)。
慣性力の強い平地用エアロホイールでのダウンヒルは危険である。やはり山岳用ホイールが必要だ。ワイフに訴えてみよう。俺は基本的にモノで解決しようとする男である。
仙石原のススキ 9/23
箱根旧街道を登坂し、仙石原に行った。
十五夜の月をここで見たかった。
すすき野に銀波わたる満月夜 ちっぴ〜ろ
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