突き抜け語録 人生から

壁がある。
動かなければ、ぶつからない。
歩いてぶつかるのと、走ってぶつかるのとでは、痛みが違う。
だが、全力だから突き抜けられる 壁もあるはずだ。
ポケットに言葉と勇気を。
突き抜け語録。

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人生から

人は流れをつくり出すことはできない。

流れに乗ってカジを取ることができるだけだ。

(ドイツ帝国宰相ビスマルク)

鉄血宰相といわれた鉄血男びすまるく。彼がいうのだから間違いない。

一方で流れをつくることはできなくても、流れからはずれることはできる。

Chihiro 01.5.15

「吟子さん、外の世界って、厳しいんだろうね。あたしなんか、すぐ落ちこぼれちゃうんだろうね」
「世界に外も中もないのよ。この世は一つしかないでしょ」
 吟子さんは、きっぱりと言った。

(青山七恵『ひとり日和』)

 こういうふうにきっぱり言ってもらえると助かる。老人力。

07/8/17

「長距離選手に対する、一番の褒め言葉がなにかわかるか」
「速い、ですか?」
「いいや。『強い』だよ」

(『風が強く吹いている』三浦しをん)

 タイトルが素晴らしい。直木賞作家三浦しをんが箱根駅伝を題材に書いた長編小説。
 駅伝に関してはまったく無名の大学の、陸上経験者でもない学生を含む寄せ集めチームが、半年間の特訓で箱根駅伝に出るという無理のあるストーリーだが、かなりしっかり取材して書いているので、ふつうの人間が箱根駅伝に出るためには、いったいどれだけのことをしなければならないのかが分かる。屈折した天才と、ふつうの人々の混成チーム。
 選ばれた天才だけを描くふつうのスポ根モノとは一線を画す。

07/8/9

モノに執着するのは馬鹿だが、モノにこだわるのは「男」だ。

(「際限ない欲望」市原千尋 1992)

「執着」と「こだわり」の違いを分かる者は少ないだろう。しかしそれは明確に異なるものである。あなたが「男」なら、きっとその意味が分かるだろう。

*

勉強のできる者とできない者、スポーツの得意な者と不得手な者、冗談の上手な者と無口な者、立場の違う者同士が最大に友好関係を保とうとする場合、互に無関心を装い口を利かないという暗黙の了解があったはずだ。

(『家族ゲーム』本間洋平)

 今から四半世紀前の崩壊家族像だが、戯画的に映し出される父母の姿は笑えないほどに痛ましい。映画にはなかった家庭教師の苦悩も見える。
 崩壊家族像の変遷はこの作から15年後に芥川賞を受賞する『家族シネマ』(柳美里)において、さらに戯画性が昇華され、家族の映画を撮るという究極の設定の中で「演」じられることになる。多かれ少なかれ現実の家族もそれぞれの役割を演じてはいるのだけれども。

07/7/19

散りぬべき時知りてこそ世の中の
        花は花なれ人も人なれ

(細川ガラシャ 1563-1600)

仕事であれ、人間関係であれ、おのれのひきぎわを知ることは難しいし、
それを実行することはもっと難しい。

*

 スタート台から眺めるプールの景色は絶品だ。風が作る小さな波に太陽が反射している。ボクはプールが好きだ。たぶん海よりも好きだ。プールには海が持っているような獰猛なモラルだとか、荒々しい情操がない。一言で言ってしまえば、プールは男らしくない。そして何より押しつけがましくないのだ。清潔で、淡泊で、そして危険のないプールがボクには合っているように思う。

(吉田修一『Water』)

 高校水泳部の男子部長が主人公のスポーツ青春小説。作者が芥川賞をとる前の作品。
 友情、淡い恋心、家族、身近な者の死、といった青春エッセンスが、インターハイをめざす四人の少年たちを軸に織り込まれている。
 主人公の兄の雄大(天才を感じさせる人物造形)は、オートバイ事故で死んでいる。母はその死を乗り越えられず精神を病み、息子が死んだことを認めようとしない。兄は主人公にとっても、水泳のお手本的存在である。皆が皆、自分の生のなかで乗り越えていかなければならないものを持っている。

母の様子がおかしいと判ったとき、親父は言った。
「女の悲しみ方と男の悲しみ方は違う。お母さんが雄大の分まで晩飯を作ったら、お前が喰ってやれ。何も言わずにお前が二人分喰ってやれ」

(吉田修一『Water』)

07/8/7

もう秋か! それにしても何故に永遠の太陽を惜しむのか。・・

(ランボー『別れ』)

 フランスの若き天才詩人ランボーは20歳そこそこで文学生活をやめ、人生後半は世界各地を遍歴して過ごした。37歳の11月、癌で生涯を閉じる。当時、ようやく高まりつつあった自分の詩的名声にはまったくもって無頓着であった。

2005/12/2

しかし、案外と彼ら、あるいは、業平(なりひら)は、旅の途上で、都から、恋人から、遠ざかれば遠ざかるほどいよいよもって募るその恋情を楽しんでいたのではあるまいか。とすると、それはすでに、和歌の世界であり、文学の世界となる。まさしく後世の漂泊者、放浪詩人の源流、原型とも言えた。「ものわびし」さや、「心ぼそくすずろなる」目を、歌物語の種、歌のすさびとしていたのではあるまいか。

(大星光史『漂泊俳人の系譜』)

 わが国における漂泊詩人の元祖、在原業平(ありわらのなりひら)。
 貴種流離、中央政界ではファーストレディーとの障害に満ちた恋道、地方に身をやつしてはあちこちで浮き名を流し、神に仕える伊勢斎宮の巫女との禁じられた恋。古今和歌集の六歌仙でもあるスーパー遍歴男の業平の漂泊恋路は伝説となって『伊勢物語』として結実。
 この後、漂泊の詩人は、西行、宗祇(そうぎ)を生みだし、芭蕉、良寛、蕪村、一茶、そして近代の尾崎放哉、種田山頭火へ。後代の漂泊者たちが僧衣に身を包んだストイックな様相を強めるのに対して、元祖ナリヒラは放縦不拘で色恋一途なのである。

2005/11/30

一句を書くことは一片の鱗の剥脱である
四十代に入って初めてこの事を識った
五十の坂を登りながら気付いたことは
剥脱した鱗の跡が新しい鱗の茅生えによって補はれてゐる事であった
だが然し六十歳のこの期に及んでは
失せた鱗の跡はもはや永遠に赤禿の儘である
今ここにその見苦しい傷痕を眺め
わが躯を蔽ふ残り少ない鱗の数をかぞへながら
独り呟く......
一句を書くことは一片の鱗の剥脱である
一片の鱗の剥脱は生きていることの証だと思ふ
一片づつ一片づつ剥脱して全身赤裸となる日の為に
「生きて書け----」と心を励ます

(三橋鷹女『羊歯地獄自序』)

 三橋鷹女。人生に対する、詩に対する凛とした厳しさ。背筋がしゃんとする。

2005/11/18

ごめんなさい、はみだしちゃいました……ぼく、はじめてなんです。

(へなちょこ岡 2000)

なぜかおもしろい。突き抜けている感じがする。なぜだか不思議だ。

*

マラソンでも事前に余力を残して三十五キロ走れれば、ほぼ完走のめどが立つという。逆にそれ以上長い距離を走るのは、疲労がたまって練習計画に支障を来たすのだそうだ。「もう少しやりたい、と思ったところでやめておくんだ」フィールドの芝生に腰を下ろして、足を伸ばしながら男は言った。
「努力する勇気より休養する勇気の方が大切なんだ。オーバーワークで涙をのんだ選手なんてわんさかいる。自己満足なんだよ。『これだけ練習を積んだんだ』っていう達成感に酔ってる。

(『19分25秒』 引間徹)

 一から十まで競歩を題材にした小説だが、読後、激しく歩きたくなって夜の町に飛びだした若かりし日の鮮烈な印象が残っている。
 競歩はもっとも孤高で崇高なスポーツだという印象さえもっている。
 タイトルとなった「19分25秒」・・これは5kmを歩くタイムである。今だと、この数字の意味がよく分かる。全力で走って、やっとそのぐらいだ。
 試しに5kmを全力で歩いてみた。32分かかった。それでも、本番のレースなら何度もフォーム違反をとられているはずだ。競歩は陸上競技で唯一、フォームの正誤を問われるスポーツなのだ。
 苦しくて苦しくて、気がつくと、膝が曲がり、蹴った足が宙を飛び、フォームが「走り」になってしまう。走るって、こんなにラクだったんだ、と思いしらされる。

07/7/14

そして、この強烈な筋緊張をともなう行為を行なうときの努力感が、自分は有効なことをしているという満足感をも生み出す。その努力こそが有害なのだとは、人はなかなか思いにくいものだ。ある程度までは実際に有効なのだから、なおさらである。

『甲野善紀 身体から革命を起こす』 田中聡

 「努力感中毒」という症状を、最近、よく見る。
 特に真面目な人にとって、努力感は麻薬みたいなもので、注意しないとすぐとらわれてしまうし、なかなか抜け出せない。ある程度までは実際に有効なのだから、なおさらである。
 でも、努力感に浸るのは、安易で心地よい至福の世界でもある。

07/7/13

「男の子はね、ポケットにいつも、ちいさな勇気と冒険をもっているもんだよ」

(「嗚呼、愛する糞婆」Don Alamos Chippillo 1969)

泣いている幼ない息子にむかってやさしく語りかける母親。
しかし、この言葉は大人になったわれわれにも何かを語っているような気がする。

*

あえて九十九折りを選ぶ
まわり道じゃないかって?
あたりまえさ
まっすぐな道でも曲げて走るのが俺たちだ

(Don Alamos Chippillo 1994)

偏屈で頑固。なぜバイク乗りというやつらは、いつまでたってもこうなんだろう。

*

ん? 仕事?
アイドリングだよ

(Nagayama 1995)

 たった一言で人生を貫く言葉というものがある。
 バイク乗りのあいだで、「ジーザス」と呼ばれた男。
 彼に会ったのはたった一回だったが、生意気な若造相手に朝まで語ってくれた。

「明日の仕事、大丈夫なんですか?」
 平日の夜は明けかけていた。俺の質問に、ジーザスは笑っていった。

「ん? 仕事? アイドリングだよ」

*

「眠られぬ夜に、自分の生涯の決定的な洞察や決断を見出した人びとは、かぎりなく多い」

(ヒルティ著「眠られぬ夜のために」)

 僕は眠れぬ夜が多い。だから昼寝る。

(Chihiro 01.5.15)

飾らず、気取れ
(Don Alamos Chippillo 1989)

男に飾りはいらない。

が、気取りを忘れれば、駄馬になる。

*

ひとつの終わりは、      
もうひとつの序章にすぎない
(Yomihito Shirazu 1986)

そう思えば、世の中そんなに悪いことなんてない。

*

小学生の頃、偶然テレビで見た「フレンズ」という映画を、最近よく思い出す。この映画は、ぼくや右近、それに大統領が生まれた年に撮られたもので、フランスの田舎町が舞台になっている。優れた映画だとは言えないが、生涯忘れられないだろう、あるシーンをぼくはこの映画の中に持っている。
 これは、家出をした十四歳の男の子と女の子が、田舎で二人だけの暮らしを手に入れようとする物語だ。廃屋に住みついた金もない彼らは、愛だけで暮らしていこうとする。しかし、そんな生活が長続きするわけもない。男の子が市場から盗んできた一匹の魚を、二人で分け合うような暮らしなのだ。そんな中、男の子が町の闘牛場で清掃員の仕事を見つける。そして、この映画の中、ぼくが一番好きなシーンになる。
 満員の観衆の中に少女の姿がある。始まった闘牛に立ち上がって熱狂する観衆の中、彼女だけが、ぽつんと一人座ったままでいる。見事なファエナで牛が殺され、マタドールが退場したあと、次の試合のためにグランドの清掃が始まる。興奮していた観衆は一人二人と腰を下ろしてしまう。そんな中、少女が勇敢にも、一人立ち上がる。そして箒を持ってグランドに現れたその少年に、彼女は歓声を上げ、誇らしげに拍手を送るのだ。
 ぼくはこのシーンを思い出すと、急に素っ裸になったような気がする。もしもぼくがグランドを清掃するとして、誰がこの観衆の中、立ち上がってくれるだろうか? そして、その立ち上がってくれる人を、ぼくはこの少年のように大切にしてやれるだろうか。

(吉田修一『最後の息子』)

 『フレンズ ポールとミシェル(1971)』
 監督:ルイス・ギルバート
 ショーン・バリー (Paul)
 アニセー・アルヴィナ (Michelle)
 曲:エルトン・ジョン

2007/8/10

 そして今でも、そのくせがときどき出てしまう。
 収集したがらくたたちは空の靴箱に入れてとっておく。今、部屋の押入れの奥にはそのたぐいの靴箱が三つ入っている。
 折に触れて、わたしはその箱を見返してみて懐かしさにひたった。そして、かつての持ち主と自分との関係を思い出して、切なくなったりひとり笑いをしたりする。その中の何かを手に取っていると、なんとなく安心するのだった。
 そして、ひととおり思い出を楽しんだあとには、こそ泥、意気地なし、せせこましい、などと自分をののしり自己嫌悪に陥ってみる。そのたびに一皮厚くなっていく気がする。
 誰に何を言われようが、動じない自分でありたいのだ。
 これはそのための練習なんだと、靴箱のふたを閉めながら言い聞かせていた。

(青山七恵『ひとり日和』)

 父不在の家庭。母は仕事に恋に、女をエネルギッシュに生きている。(が、どこか疲れていると娘は見ている)
 行き場もなく、吟子さんという遠縁の親戚で東京でひとり暮らししている老婆のもとに身を寄せる。ちょっと変わったおばさんと、心を閉ざした少女との交感という構図は、芥川賞受賞作『ネコババのいる町で』と同じ。
 ただ2007年の『ひとり日和』の主人公の方が、はるかにあっけらかんと闇が深い。
 若干20歳のフリーターである若い女の、乾いた複雑さにそら恐ろしくなる。同年代の学生男子などは、なんともシンプルでかわいい。

07/8/14

<永き日の波の音せる紙芝居>や<さびしさは紙風船の銀の口>は、少年時代を回顧した句だ。こういうノスタルジーを後ろ向きの姿勢として批判する人もいるが、中年男はときに後ろを向くことも大事なのだ。自分が心地よく感じるものに素直になるのが、さしずめ大人の文学のテーマであるといってみたい。

(仁平勝「時評歌句詩」朝日新聞2006)

 いおうよ。中年の後ろ向きは大人の文学のテーマである。ヤホー!

2006/3/4

恋も反逆も重要なテーマでなくなったとき、それまで価値を認めなかった日常のささいな出来事が、人生にとって大事なものであることに気づく。俳句ははそうした第二の発見を楽しむ詩型だ。

(仁平勝「時評歌句詩」朝日新聞2006)

 半径五歩の幸福。

2006/3/4

ボロ車にはボロ車でしか味わえない特別な自由の感覚というものがあるのだ。それは車を滅茶苦茶にぶっつけても全然やましい思いをしなくて済むことが生む感覚である。まるで自分が不滅の、痛みというものをいっさい知らない存在になったような気がするのだ。

(スチュアート・ダイベック『荒廃地域』柴田元幸訳)

 外装はボロ、でも駆動系の機関は油でよく磨きこまれ黒光りしているような車両は、見ていて好きだな。クルマ、オートバイ、チャリ、電車、なんでも。

2006/10/11

 この場合、愚痴はその心をいっそう掻き乱し、張り裂けさせることによって、わずかに慰めとなるばかりなのである。こうした悲しみは慰めを求めようとはせず、慰められることのない悲哀の情を餌に育ってゆく。愚痴は単にひっきりなしに傷口をつついていたいという要求にすぎないのだ。

(ドストエフスキー『カラマーゾフ兄弟』小沼文彦訳)

愚痴の多い人は、案外、人生に積極的なのかもしれない。欲の強い人とともに、パワフルな人種である。

2006/9/6

スケートは楽しいし、愛している。だが正直なところ、少し馬鹿げているように思う。タイツをはいて氷の上を滑り回るために、生涯を費やすなんて。でも僕はスケートが速いおかげで、寄付を集めたり、世界の問題に注意を呼びかけたりできる。大きなことを成し遂げたら、世の中のためになることをしよう。

(ジョーイ・チーク「朝日新聞2006/2/14夕刊」)

 トリノオリンピック注目の男子500で、ただひとり1回目2回目とも34秒台をたたきだし、他から飛び抜けて金メダル。
 そのジョーイ・チーク(アメリカ)は金メダル報償金をスーダン難民のためにさっさと寄付。この五輪で引退し、タイツをはいて氷の上を滑り回るかわりに、経済学の勉強を再開するそうだ。突き抜ける悦び。

2006/2/14

「君は成功した。勝者だ」と言われるが、僕は常に負け犬の気分だ。薬を買う金がないだけで人々が死んでいく今の世界で、誰が勝者になれるというのだろう。

(ボノ 朝日新聞「ひと」欄)

 ここでいう薬というのは、ヤクのことではないし、負け犬といっているのも、けっして独身30台OLへの応援をこめているわけではない。U2のボノさんは、貧困で日々多くの命が消えているアフリカの支援をライフワークにしている。

 昨今の日本でもすっかり定着した勝ち負け判定。が、ここでボノさんが言っているのは、そういう勝ち負けをあてはめたがる風潮も含めてのようにもみえる。

2006/2/7

「なにかのため、だれかのためではなく、ひとにはこころからやってみたい、どうしてもしなければならないことがあると思うんです」という最相さんの言葉がわたしのこころに染み透っていた。

(「命」柳美里 2000)

間違っているのではないか、正しくないのではないか、みんなに評価されないのではないか----自分がこれと信じていてもなかなか貫き通すことができないことは多い。しかし、「こころからやってみたい」ことを愚直に貫き通すものが、人生、ひとつぐらいあってもいいかもしれない。

嘘というのは事実を変えて話すことでもあるが、重要なことを話さないことも嘘である。

(「命」柳美里 2000)

2000.8.8

結論=ランカー*1ねらいなら、いつも小物をねらったりしないつり方に徹することだ。

(『つりトップ別冊 バス&ライギョ全国つり場596選 92年版』)

僕が中学生ぐらいのときは、今でいうところのヘヴィータックルといって、1mのモンスターライギョでも深いリリーパッドジャングルから引きずり出せるぐらいの強靱なラインに腰の強いガングリップロッド、無骨なベイトキャスティングリールを、誰もが使っていた。
最近では、こういうスタイルはあまり見かけない。確かに、有名で人の多い釣りスポットでは無用の長物。人の踏み込まない野池を探すしかない。そして、いつか、この古い戦車のような80年代のリールを唸らせてみたい。

2006/10/24

いやぁ戦争は楽しかったねぇ。

(by 居酒屋大学酒蔵のオヤジ)

 ワイフが送別会で帰りが遅いというので、夕食をつくるのをやめにして、娘と大学酒蔵に行った。
 歩いて2分もかからないところにある居酒屋である。
 吉野家みたいなコの字型のカウンターに90歳のオヤジ(おとーさんと客から呼ばれている)が立っていて注文を受けている。奥の厨房には孫夫婦が裏方をやっていて、オヤジは客から受けた注文を奥に向かって大声で復唱するのが、おもな仕事だ。
 そのほか、ガラスケースにはあらかじめオススメの刺し身類が準備されていて、
「おとーさん、五月イカ!」
 と頼むと、あいよ、と2秒で出てくる。
「熱燗!」
 と言うと、あいよ、と、即座にでっかいとっくりでコップについでくれる。
 いつだったか、店名の由来を訊ねたとき「酒は人生の大学だ」と言って笑っていたが、この大学の下校時間は早い。
 地元客ばかりで、午前9時には閉店する。
 しかしそのあいだ、おとーさんはずっと立ちっぱなしである。膝は痛くならないのかと訊いたら、南方戦線から北方戦線に大陸を移動したときの話になった。武器や荷物を背負って、部隊は毎日40キロ以上歩いた。
 終戦後、帰国への道のりは長かった。帰れぬ戦友もいた。その年の暮れ、昭和20年12月23日深夜、おとーさんは生家である大学酒蔵の前に立った。静まりかえった扉の前で、荷物をいっぱい背負ったまま、おとーさんは背筋を伸ばし、じっと敬礼をしていたに違いないと私は思った。正面のテレビが秋田の小学生殺人事件を報じていた。
 おとーさんは目をちょっと細めて言った。
「戦争は楽しかったねぇ」

2006/6/9

登山家は、自分自身の力を発揮して、それを自分に証明する。彼は自分の力を感ずると同時に考慮する。この高級な喜びが雪景色をいっそう美しいものにする。だが、名高い山頂まで電車で運ばれた人は、この登山家と同じ太陽を見ることはできない。

(フランスの哲学者アラン「幸福論」)

オートバイは苦労があればあるほど、楽しも多い。どんなに進化しても、根本的な危険さと不便さは払拭のしようもない。つまりそれは「高級な喜び」。

(Chihiro 01.12.24)

「なれども他人は恨むものではないぞよ。みな自らがもとなのじゃ。恨みの心は修羅となる。かけても他人は恨むでない。」

(宮沢賢治「二十六夜」)

この思想は、オートバイの世界では生死を決する。100パーセント相手のクルマが悪くても、事故になればケガをするのは100パーセント自分。それがオートバイだ。

(Chihiro 01.12.24)

「うれしゅうてしょうがないもんは、四国に来ん。人間は四苦八苦。悩みや不安は一人一人違う」

(四国八十八カ所 一番霊場 霊山寺住職)

「うれしゅうてしょうがないもんは、四国に来ん」……もちろん、お遍路に来る人のことです。新婚旅行で行く人はあてはまらないでしょう。

新妻「だいたい、新婚旅行がなんで四国なのよ! ヨーロッパとか、せめてハワイ……、」
新夫「めんご。」

 やはり、うれしゅうてしょうないもんは、四国には来んのかもしれません。

01.12.24

お好み焼きは多様性の中に生き残りの道を見いだしたが、

 たこ焼きはひたすら一つの生き方を固守することでやはり生存競争に勝ち残った。

(「猛者(もさ)の集い」市原千尋1994)

 お好み焼き屋でメニュを見ていて思った。カレーお好み焼きやピザお好み焼きはまだいいが、あんこお好み焼き、チョコお好み焼きとなるともはや理解不能で、広島風お好み焼きならぬトンガ風お好み焼きにいたっては、そもそもお好み焼きとしてのアイデンチチが完膚無きまでに打ち砕かれている。

 もう素直に「俺はお好み焼きではない」と認めて楽になった方がいい。どうして自分をそこまで貶めてなお「お好み焼き」と主張するのか。

 そのとき、はたと光が見えた。

 人生と同じだ。

 材料は同じでも、タコ焼きのやつは、ひたすら拒み続ける生き方を選んだ。おそらくタコ焼きが生まれた何百年か何十年か前には、イカ焼き、マグロ焼き、サメ焼き、ネコ焼きと、いろいろなものが出てきたに違いない。

 そのなかでまさにタコ焼きだけが現在にまで生き残っている事実というのは、ひとつの道を守りつづけることの困難さを思う。脱落したイカ焼きやいくつかのやつらはお調子者のお好み焼きに統合されていったといった歴史もあったのだろう。お好み焼きの繁栄と堕落。

 俺はタコ焼きな生き方を愛する。 

(Chihiro 01.5.15)

「いまになってようやくわかったが、ひとが走るのは、ひとがそこで空虚になるからだ。(中略)その空虚がいい。その気持ちよさは、べつになんの役にも立たない。」

(原章二著「ただ走る哲学者」)

20年来いっしょにバイクで走ってきた友を亡くした男は、言葉につまると、必ずこういった。

「とりあえず、走ろう」

(Chihiro 01.2.1)

「金がなければ生活の奴隷になる。だが、多すぎる金もまた人を奴隷にする。」

(Don Alamos Cippillo 1969)

食いぶちを稼ぐためだけに時間の奴隷になる者がいる。逆に、巨大な金を動かしているがために仕事から身をひけぬ者もいる。ほどよい金を持つということは何とも難しい。

(Chihiro 01.2.1)

「銀行から一万ドル借金すれば銀行があなたを所有する。しかし百万ドル借りればあなたが銀行を所有する」

(アメリカの古いことわざ)

ある中堅ゼネコンの創業会長がいった。

「男の価値は借金の額で決まる」

確かにちっぽけなやつに、誰も2千億は貸さない。

(Chihiro 01.2.1)

「思い出すのは、いつも笑顔です」

(Yusuke Mashimo 2000)

中学生の自転車にはじまって20年近く、いつもいっしょにバイクで走ってきた。その盟友を目の前で亡くした男は、会うたびにきまってそういっていた。

(千 01.1.17)

「西郷は、本気で、自分より身分の下の人のほうが賢いと思っていた人です。ただ 、事にあたって、無私であるのは自分だと思っていたために、人の上に立っていただ けです」

(司馬遼太郎「『明治』という国家」)

無私であること。無我であること。

(千 01.1.17)

「失ったものを数えるな。残されたものを生かせ」

(英国のL・グットマン医師)

第二次大戦で障害を負った兵士達にいったことば。 スポーツによるリハビリを勧め、障害者スポーツの先駆といわれる。

(千 01.1.17)

「おれにとって、ドアを開けるのは、ふつうの人間がバンジージャンプに挑むのと同じなんだ」

(強迫性障害(OCD)の患者 2000)

人生を棒に振るリスクを重くみるか、あくまで自分の道を生きるか。そんな決断で迷い悩むことは多いだろう。しかし決断というのも、しょせんは脳神経の電気的な信号が右に流れるか左に流れるかの違いでしかないのかもしれない。この強迫神経性障害の患者さんは、自動車から降りるためにドアを開けることを決断するために5時間を要するのだ。

(千 01.1.10)

みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで、侮蔑しきつたそぶりで、ただひとり、反対をむいてすましているやつ。おいら。

(金子光晴著 詩集「鮫」)

・・・奴ら群衆のなかで、わづかに悲しみをたたえたそぶりで正面をむいている笑っているやつ。おいら。

(千 01.1.10)

「男性は、自分が成功するだけでなく他人が失敗しないと満足しない」

(マルガリータ・クイフィス 2000)

げに。成功者にも失敗した者にも寛容なアメリカでさえそうだとしたら、日本における男性社会はもっとかもしれない。自分の成功、他人の成功をすなおに自分自身のつぎなるステップに生かすことができたなら。

(千 00.9.20)

「やつらなりに本気でがんばってるんです。こっちだって、とことん最後まで悪役でつらぬきとおさんと失礼でしょうな」

 先生はそういうと闊達にわらった。

(ジャック天野「革命国会」1972)

世代交代には痛みをともなう。お互いに偽りをぶつけていては、本質はかわらない。痛みをぶつけあう覚悟が双方にあるか。そこに妥協があってはならない。

*

昔の人は巧いことを言った---。

『勝者は無口であれ、敗者は無言であれ』

(Yomihito Shirasu 2000)

なかなか難しいことである。勝者には謙譲の美徳、敗者には引きぎわの美しさを戒める。

*

 禁煙は、なぜこうも愉しいのであろうか
   そこには永遠にくり返されるほろ苦さと、
                 甘美な癒しとがある。

(Don.A.Chippillo 1969)

それは、さんざんに禁煙のための方法を考え、期待と決意のもとに試行し、諦念にも似た挫折感のもとに、やや自虐的な嘲笑を自らにふりむけながら、またもや「ほんとうに最後の一本」が紫煙となっていくはかなさであろうか。

 生きているかぎりこのあさはかな徒労がくり返されることはまちがいなく、それでもいつも「最後の一本」は、ほんとうに愛おしく美味い。(千)

*

人の上に立つ者は、心に一匹の鬼を飼わねばならない

(Yomihito Shirasu 2000)

もちろん、基本的な人間愛があったうえでの心の鬼でなければならない。ただの鬼であれば、誰もついてこないだろう。

*

好むと好まざるにかかわらず、人はみな歴史のうねりの中にいる

(緒方明・映画監督 2000)

「歴史がそれを許すなら、また、いつかどこかで会おう」
「うむ」

 今生の別れ。たとえば、圧倒的に不利な形勢の決戦にのぞむ男二人が馬上で言葉をかわす。「うむ」のかわりに「はい」とやれば、男と女の別れにも使える。ただ、織田信長クラスの男でないと、この言葉は使いこなせない。

*

長かったよなあ。小学生のときの夏休みって、せつないほど長かったなあ。

(「脳が刻む時間」吉田輝彦1996)

小学生のとき、夏休みのはじまりは、まるで南極越冬隊が長い任務につくような決意めいた予感とともにはじまったものだ。最後に手渡される通知簿がもたらす緊張感も、これからはじまる新しい心境への彩りを与えていた。

 何より暑かった。窓は全開、絨毯爆撃のような蝉時雨。

 そして二学期のはじまりは、別人のようにまっ黒に日焼けした級友たちとの「再会」によって、担任教諭を頂点とした学級という社会への復帰をもたらすのだった。宿題の品評会をしながら、どこかよそよそしい友人たちと同じように自分も照れ臭く、横目で好きなあの子をうかがいながら、これからしばらくのあいだ、毎日見ることができるようになることがちょっぴり嬉しくもあり---そんなものを全部ひっくるめての長い夏休みだった。

(千 00.8.9)

やっとわかった。なぜわからなかったのだろう。

全ては初めの一歩から。飛べない跳び箱をなぜ段だけ増やしていたのだろう。

一段一段飛べたらふやしていくものなのにね。

(「一歩一歩」worker of weman 2000)

その日、この人にとって何が起こったのかは分からない。
が、そこにまた突き抜ける悦びがあったことは確かだろう。

それはほんとうはどこにでも転がっている。
何かのきっかけでふっと自分を見つめなおし、生かされている感謝をもつことができたなら、それをきっと自分のものにできる。

*

しかし、案外と彼ら、あるいは、業平(なりひら)は、旅の途上で、都から、恋人から、遠ざかれば遠ざかるほどいよいよもって募るその恋情を楽しんでいたのではあるまいか。とすると、それはすでに、和歌の世界であり、文学の世界となる。まさしく後世の漂泊者、放浪詩人の源流、原型とも言えた。「ものわびし」さや、「心ぼそくすずろなる」目を、歌物語の種、歌のすさびとしていたのではあるまいか。
(大星光史『漂泊俳人の系譜』)

 わが国における漂泊詩人の元祖、在原業平(ありわらのなりひら)。
 貴種流離、中央政界ではファーストレディーとの障害に満ちた恋道、地方に身をやつしてはあちこちで浮き名を流し、神に仕える伊勢斎宮の巫女との禁じられた恋。古今和歌集の六歌仙でもあるスーパー遍歴男の業平の漂泊恋路は伝説となって『伊勢物語』として結実。
 この後、漂泊の詩人は、西行、宗祇(そうぎ)を生みだし、芭蕉、良寛、蕪村、一茶、そして近代の尾崎放哉、種田山頭火へ。後代の漂泊者たちが僧衣に身を包んだストイックな様相を強めるのに対して、元祖ナリヒラは放縦不拘で色恋一途なのである。

2005/11/30

一句を書くことは一片の鱗の剥脱である
四十代に入って初めてこの事を識った
五十の坂を登りながら気付いたことは
剥脱した鱗の跡が新しい鱗の茅生えによって補はれてゐる事であった
だが然し六十歳のこの期に及んでは
失せた鱗の跡はもはや永遠に赤禿の儘である
今ここにその見苦しい傷痕を眺め
わが躯を蔽ふ残り少ない鱗の数をかぞへながら
独り呟く......
一句を書くことは一片の鱗の剥脱である
一片の鱗の剥脱は生きていることの証だと思ふ
一片づつ一片づつ剥脱して全身赤裸となる日の為に
「生きて書け----」と心を励ます

(三橋鷹女『羊歯地獄自序』)

 三橋鷹女の句に「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」というものがある。鞦韆(しゅうせん)とはブランコのことだ。
 チャリは漕ぐべし チャリは漕ぐべし。

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【著者紹介】

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市原 千尋
Chihiro Ichihara

1970年香川県生れ。文学ゆかりの町、小田原に移住して3年目。趣味は読書。芥川賞をめざす。2008年はトレイルランニングをはじめた38歳。

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