真理
結局のところ人生は、一つの窓から眺めたほうがはるかによく見えるのである。
(「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド)
情報が多いとは、つまり考慮すべき選択肢が限りなく多くなることである。今、自由といわれているものは、その実、用意された選択肢の中から迷い迷い選んでいる行為にすぎない。マークシート回答の自由だ。
つぎつぎと押し寄せる情報の波を、屹然(きつぜん)と見下ろす断崖に立てば、迷いと恐れはなくなる。選択するのではなく、指向するのだ。
情報武装? 裸の方が気楽でいい。
(Chihiro 01.12.24)
「心、愚直なる者は幸いなるかな、彼等神を見るべければなり」
(「聖母の曲芸師」アナトール・フランス 堀口大学訳)
どんなつまらないことでもいい。それを信じ、貫けば、神が見える。突き抜ける悦び。
(Chihiro 01.12.24)
女はいつだって、女であるということですでに共犯者だ。
(『肩ごしの恋人』 唯川恵)
男は、女の話をするときだけは共犯者だ。
07/7/16
もし暗さがなかったなら、人間は己れの堕落に気がつかなかっただろう。もし光がなかったなら、人間は救いを望まなかったろう。それゆえ、神が半ば隠れ、半ば現れているということは、単に正当であるばかりでなく、有益なことである。
(パスカル『パンセ』B585)
暗澹たる事件が次々と起こる。
影をつくりだすのは光であり、闇のなかでこそ光は眩(まばゆ)い。光と影は表裏であり、それは与えもすれば奪いもする神の采配でもある。
205/12/7
肉眼では見えない暗い星が無数にあることが、星空に不思議な奥行きを与えている。
(大平貴之<朝日新聞「宇宙にあこがれて6」2005.12.5夕刊>)
ギネスブックに名を連ねるプラネタリウム製作者の大平貴之が、通常のプラネタリウムの500倍もの数の星を映しだすメガスターをつくろうとしたきっかけが「肉眼では見えない暗い星」の存在に気づいたことだった。
世界もまだまだ捨てたもんじゃない。
2005/12/6
おそらく、人びとを愛する者の務めは、真理を笑わせることによって、真理が笑うようにさせることであろう。なぜなら、真理に対する不健全な情熱からわたしたちを自由にさせる方法を学ぶこと、それこそが唯一の真理であるから。
(ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』)
知は真理を求めるあくなき情熱によって支えられる。西欧においては神をめぐる真理追求のなかで科学、哲学、ひいてはあらゆる論理的知性が水脈となっていくつもの大河をつくりあげた。しかしどの川もあいいれることのない硬水がせめぎあい、21世紀になっても海へと注ぐ河口は見えない。
思うに、キリスト教徒にしてもイスラム教徒にしても、真理と正義について真剣に考えすぎてきた。
2005/12/13
「子供は未来があり過ぎて静かに絶望する。老人は過去があり過ぎて静かに絶望する」
(新井満著「尋ね人の時間」文芸春秋1988)
「静かに絶望する」というところがよい。
(Chihiro 01.6.8)
ダライ・ラマは、どんな場所でも、
たとえ牢獄の中であっても徳を積むことはできると言う(フランツ・メトカルフ著、大沢章子訳「今、ブッダならどうする」)
あたりまえだ。牢獄で徳を積むなんて猿でもできる。キャバクラで徳を積むことの方がよほど難しい。
(Chihiro 01.6.8)
およそギリシア悲劇は人間の「驕(おご)り」(hybris)と、それを笑う「運命の神」(moira)をめぐって転回する。
(後藤平『哲学とは何か』)
およそわれわれの人生もそうであろう。
2005/12/14
魔女裁判のあとをふり返ってみて、しみじみ感ずることは、魔女裁判(いや、それを含めて宗教裁判一般)を一貫している「モラルの倒錯」である。そこでは、残虐、違法、偽善、欺瞞、貪欲、不倫、軽信、迷信、歪曲、衒学、・・およそ思い浮かべられる限りのあらゆる不義、悪徳が、むしろ正義、美徳として、なんのためらいもなく、確信に満ちて堂々と行われているのである。この確信が、あらゆる不義と悪徳を正当化している。
(森島恒雄『魔女狩り』岩波新書)
現代の日本は、漠たる不安と不確かさに満ちている。案外、理想的な状況なのかもしれない。
2005/09/27
人は、宗教的信念によって行なうときほど喜び勇んで、徹底的に悪を行なうことはない。
(パスカル『パンセ』)
宗教だけでなく、信念というものは聞こえがいいだけに、案外、危険なものが多い。優柔な信念というものの存在が許されるなら別だが。
2005/09/25
外科医は時速百四十キロのドライブに集中している。
そういえば、車を猛スピードで運転している時も、そこはかとないくすぐったさを全身に感じる。
高いところから飛び下りた時も同様。
高速と落下・・・どちらも死とゆるやかに結びついている。(「自由死刑」島田雅彦 1999集英社))
教習所の教本に書いていた。10階の建物からジャンプして地面に落ちる衝撃と、時速60キロでバイクで壁にぶつかる衝撃がだいたい同じ。
10階のマンションの屋上をバイクに乗って陽気にぐるぐる走りまわることのできるやつは少ないだろう。誰だってバイクごと10階から落ちたくはない。
60キロより速く走る者たちよ。
俺たちはいつだってエンパイヤステイトビルのてっぺんから、バイクごと落っこちかけていることを忘れないようにしようじゃないか。
(Chihiro 01.6.8)
何かをまっとうにやり遂げようと思うには、人生はあまりにやることが多すぎる。一生が終わるときに振り返ってみれば、自分が何ひとつやっていないことに気づくのだ。
(『ディオゲネスの饗宴』Don Alamos Chippillo,1969)
若者よ、見聞を狭めよ。一生涯、馬鹿みたいに刀鍛冶をやるのも、それほど悪くはない。もし運がよければ、名刀ムラマサがつくれるかもしれない。しかし刀鍛冶をやらずして、けっしてムラマサブレードはつくれない。これだけは確かだ。
(Chihiro 01.12.24)
「猫に関して、僕はいくつかの意見を持っている。そのうちのひとつは、猫を数えるにあたって、惰性的に十進法をあてはめてはいけない、ということだ」
(『青い色の短篇集』片岡義男)
均質化できないものを数えるのは意味がない。賃金労働者なら一人二人と数えることができる。しかし、猫を数えることに意味がないことによる。僕はものごとに行き詰まると、いつもこの言葉について考える。意味はない。ただの暇つぶしだ。
(Chihiro 01.5.15)
2つの変数しかからみ合っていないと振動しか起こらない。それははっきりしているんです。
3つの変数がからみ合ってくると、それは振動じゃなくて振動が乱れてくることが多いのです。
(武者利光・沢田康次「ゆらぎ・カオス・フラクタル」日本評論社1991)
「2」と「3」の差分は「1」ではない。そこには無限の断裂がある。
安定生活がダルだと思ったら、三つ目の変数を探すとよい。夫婦生活が円満すぎてものたりないならば、おそらく子どもをつくるのがよい。ペットや趣味や、不倫の相手を探すのではなくて。
(Chihiro 01.5.15)
「飛行機っていうのはですね、構造的に落ちるようにできてるんですよ」
(T大学工学部航空学科A助教授1995)
久しぶりに15年前のバイクをひっぱりだして、ちょいと走りだしてみた。そこそこメンテナンスはしていたのだが、それでももうほとんどあちこちもうガタガタで、最新バイクの快適さ(といっても6年前のバイクだが)にすっかり甘やかされていた身体には、ほとんど走る恐怖増幅機であった。
そういえばコンコルドの事故から1ヶ月。事故を起こしたAF(仏航空会社)につづき、BA(英国航空会社)もコンコルド運行を停止した。しかし俺が小学生のときに、すでに図鑑に頭だけぺこりとお辞儀したような姿勢で離着陸する魅惑的な写真が載っていたものだ。なんだそれじゃ三十年前の設計ってことじゃないか。コンコルドってやつはインパクトは最強なんだけれども商業的には大失敗作で、継続的に生産されつづけてきたわけではない。たかだか二十機程度の生き残りがつい昨日まで現役で飛んでいたということだ。
30年前のバイクなりクルマなりを思い浮かべてみる。うむむ。レトロ趣味でレストアして、たまの日曜だけとことこ乗って、ああ楽しかった、なんてのは趣味モノだからの話であって、コンコルドときたら、あろうことかずっと商業的にマッハで飛びつづけているのだ。そう考えると純粋な文科バカの俺は混乱するばかりだ。
しかし大学の航空科の先生だっていっていた。飛行機っていうのはですね、構造的に落ちるようにできてるんですよ、少なくともワタシはぜったいに乗りませんね、はっはっは。----はっはっは、じゃないってばさ。
(千00.8.18)
「人類は道具を使うことによって進化したのよ。それへのこだわりがなくなったら人類じゃないわよ」
(『クローズド・ノート』雫井脩介)
引用を駆使したタイプの小説である。
引越し先のアパートのクローゼットで見つけた、前の住人のものらしき一冊のノート。これが引用されるテキスト元。ノートは小学校の女性教師のもので、悩み傷つきながらも仕事に恋に前向きに生きていく姿が日記としてノートに記されている。それを読む女子大生もまた、いっしょに悩み傷つき勇気づけられながら生きていく。
あとがきで、引用として使われているテキストが、創作ではなくホンモノのクローズド・ノート(現実に亡くなった女性教師の日記)であったことが記されていて、この「クローズド・ノート」は書かれるべくして書かれた物語だったのだなあと思わされた。
冒頭に引用のセリフは、万年筆に対する深い造詣と蘊蓄が思い入れたっぷりに書かれている中にある。万年筆ネタだけで100ページ分ほどもあろうか。前半はストーリー展開と関係なく、ほとんど万年筆の話であるが、これがけっこう楽しめる。万年筆に興味のない者でも、きっと読み終えたあとに、万年筆が気になるようなるだろう。
07/7/20
わたしは自分を見つめる人間、いわば無能な神のような人間である。
(イヨネスコ「雑記帳」)
酒を飲むと迷惑をかけるとわかってはいるものの、また酒を飲む愚かさ。まさに俺は無能な神を飼っている。
*
家族
陽介の父は再婚していた。子供が二人とも男で、かつ妻と別れた場合、なぜか父は父であることを放棄する。一人の男として振る舞うようになる。平気で新しい恋人の話もするし、昔ほど子供の夕食やら進学について気を遣わなくなった。
(『無花果カレーライス』伊藤たかみ)
僕の父はそうでもなかったなあ。自分がそうなっても、そうならない気もする。
同作は『ドライブイン蒲生』所収。ちょっと壊れた父親との関係を軸に、ちょっと壊れた家族を描いた物語が三篇収められている。
『ドライブイン蒲生』・・父との思い出。姉との思い出と現在。姉の離婚が進行しながら回想が織り交ぜられる構成。ヤンキー姉の毅然としたキャラクターがおもしろい。
『ジャトーミン』・・父の思い出の話。病床の父の死が進行しながらの回想形式である。父の愛人が幼いころの主人公と妹の記憶に不思議な光景として残っている。類似の構成を持つ作品として芥川賞作家の長嶋侑『サイドカーに犬』がある。ただしそちらは姉と弟で、姉が視点人物。子どもから見た父と、その愛人の不思議な存在感の情感も「サイドカーに犬」の方がうまい。同作は『猛スピードで母は』(芥川賞受賞作)所収。近年、ドラマ化もされた。
07/8/24
「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」
春休み最後の日、朝の食卓で父さんが言った。
私は口に突っ込んでいたトマトをごくりと飲み込んでから「何それ?」と言って、直ちゃんはいつもの穏やかな口調で「あらまあ」と言った。( 『幸福な食卓』 瀬尾まいこ)
徹底して心地よい空間がある。
自殺、事故死、トラウマとそれに起因した家族のしこり、わだかまりが軸になっているのに、キャラクターが透明感の高い「いい人」ぞろいなので、その世界は心地よい。心に少しだけ問題を抱えた「いい人」たち。声を荒げもしないし、暴力、性も慎重に排除された世界である。
ヒロインの中学生から高校生までの学校生活も織り交ぜられていて、みずみずしい。
兄の彼女の小林ヨシコの設定、役割が異色で秀逸。キャラクターの中で、唯一、悪っぽい外面と毒を持つ存在。しかし毒は毒でも良薬であったりする。やさしすぎて、お互いに気を使いすぎて少し壊れてしまった家族には、「救世主」的な毒なのである。
総じて文学としての去勢感は否めないものの、読後は自分の心まで清らかになったかのようなクレンジング効果の高い物語。
07/7/12
「靴がないことで出かけたと知る」
というのは断ってから外出しないことへの当てつけである。彼はたまにそういう行動を取る。遊びに行くのに「いってらっしゃい」と送り出されるのはどこか心苦しいからだ。(『いい子は家で』青木淳悟)
いい歳になって結婚せず仕事もせず実家に残っていたりすると、こういう心情もあるだろう。
『四十日と四十夜のメルヘン』で新潮新人賞と、野間文芸新人賞を受賞した若手作家の作品である。新聞の書評で興味を持ったが、どこに興味を持ったのか、書評の内容を忘れてしまって思い出せない。小説は難解。
主人公の若い男と家族との関係が描かれているが、難解。
最初は母との関係が「靴」を軸に描かれる。次は兄とゲーム。最後に父と煙草。難解。
07/8/18
セリフ
「男の指には、女の握った『おむすび』が一番似合うとよ、潰さんよう上手に持って食べられたら、一人前の男になった証拠さ」
(吉田修一『破片』)
いい言葉である。九州の方ではそんな言いまわしがあるのでしょうか。
*
「こういうのをユングならシンクロニシティーって呼ぶんでしょうね」
「宗教家なら神のお導きって言うだろうね」
「私なら、よく出来た偶然と呼ぶがね。実際それが世界を動かしているんだ」
父さんはそう言って、イカのフリットを口に運んだ。(『そのときは彼によろしく』市川拓治)
良く出来た偶然。実際、それが世界を動かしている。よく出来た偶然、それは畢竟、必然とも言う。
07/10/2
世相・社会
そしていつも思う。社会をどんどん俗悪なものにしているのは私の世代なのだ。小学生の名前の変遷を見れば歴然とわかる。このクソ世代がやっていることが。
(絲山秋子『沖で待つ』「勤労感謝の日」)
2006年最初の芥川受賞作家になった絲山秋子さんは、日本で初めてまともな女性総合職小説を書いたことで評価された。女性総合職第1期生の彼女らは新人類と呼ばれていた。
小学校のクラス名簿を見る。明子とかよし子とか、子のつく名前はクラスにだいたい2人ぐらい。子のつく名前を娘につけたかったのに、そうしなかった。うちも俗悪な部類のひとりかもしれない。
天皇家の愛子さま。さすがだ。子をつけながら古くさくなく強い独自性がある。
妹ができたら何という名前にするのか娘に訊かれた。
「オレンジ」
「ひっどーい」
「いや、みかん、だったかな」
「おとーさん、みかん、あんまし好きじゃないじゃない」
「好きな名前をつければいいってもんじゃないさ」
「ねえ、あけみ、にしようよ」
あけみ?
う、うーん、それはどうかなぁ・・言葉を濁した。確かに伝統的な名前ではあるが。それにしてもいきなり、なんで「あけみ」なんだろう?
2006/3/16
完璧な仕事を成し遂げたコンサルタントは失業する。
(「コン猿」ロバート・ウォリス1990)
時としてまったく成果をあげられなかったにもかかわらず、そのコンサルタントが歓迎されたりする。
なぜなら、経営者にとってコンサルタントでさえできなかった仕事だったら言い訳がつくからである。
(Chihiro 01.6.8)
「フロッピーでワクチンを販売していた約十年前、感染が世界に広がるのに二年かかった。今回はわずか数時間。ネット時代の象徴だ」
(スティーブ・チャン トレンドマイクロ社長)
2000年になって爆発的感染力をもつラブメールというウイルスが世界を脅かした。すごいと思ったのは、ネットでつながっているかぎり、国家でもなく、大企業でもなく、僕のような末端にまでその不安が「身近」な問題として感じられたことだ。
*
ハードボイルド
感謝する・・・その言葉に報いるために、男は闘うことを選んだ。
(「てのひらの闇の帯」文芸春秋1999)
二人の企業人の運命を決定づけた小さな赤い糸くず。
一人の女をめぐる運命のいたずら。
二十年後、審判のときが訪れ、一人は自死を、一人は闘うことを選んだ。
闇社会に侵食される大企業のなかで、ひたすら純粋に男を貫こうとする企業人たちの姿。
*
まったく俺は、この歳まで眠りこけていたようなものだ。
(Chihiro 1999)
30歳になって気づくこともある。
そのときは遅すぎたかと思うかもしれない。
しかし、気づいたそのときがスタートなのだ。
すぐにはじめれば、それでいいじゃないか。
人生においてほんとうの締め切りなんて、たったひとつしかないのだから。
*
……ハードボイルド探偵のワトソン役といえば、オツムが弱いブロンドの女秘書と相場がきまっている……
(『ハードボイルドの雑学』小鷹信光、グラフ社)
「オツムが弱いブロンドの秘書」は、男の憧憬とでもいうべき不可思議な魅力がある。
たとえば仮りにこれを、「オツムの弱い黒髪の秘書」としたらどうか。なんかひどく不細工で不潔な女のイメージしか出てこない。そもそも、かなり無気味だ。
「オツムのいい黒髪の秘書」ではどうか。ぐっと良くなったが、しかしツンとしたメガネをかけて、かなりつれないイメージになる。ハードボイルド探偵の秘書というより、外資系企業の重役秘書の方がよさそうだ。やっぱりハードボイルドには、なんといっても「オツムの弱いブロンド」に軍配があがる。
そのとき、忽然と僕は悟った。そうか、みんな、これに憧れていたのだ。だれもかれもがこぞってがんばっていたのは、つまり、これだった!
「オツムの弱い茶髪の女」
(Chihiro 01.12.24)
「だいたいおめえ、アウトローが免許なんてとるわきゃねえだろ」
(アウトローなおじさん)
だいぶ昔だが、まだ大型教習がなかったころに、ツーリング先でハアレエに乗っているおじさんにいわれた言葉だ。
確かに、アウトローがサラリーマンをやっているわけがないし、
アウトローなやつが教習所に通って、教官にいびられながら免許をとる姿なんてカッコ悪くて想像したくない。
アウトローとはけっして望んでなるものではなく、またその道はなまやさしいものではないのだ。
