男と女
許しあって、油断しあって、ほんのすこしばかり見くだしあって、 ひとは初めて愛しあえるんじゃないだろうか。
(『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上弘美)
だんだん許せなくなって、油断を越えて惰性になって、もう徹底的に見くだしあって。愛。
2006/1/31
嬉しい時、まず怒ってみせるのが仙吉の癖である。
(向田邦子『あ・うん』)
昭和から平成にかけて日本が失ったもの。
父、母、戦友。
07/7/9
眉を抜く 鏡のなかの せつなさも
(八重樫美海 1969)
男は妻と別居していた。その男と同棲するようになった女。やがて男と妻のよりがもどる。男のもとを無言で去った女は鏡の前にじっとたたずむ。無意識のうちに眉を抜きながら。
*
貧乏好きの男と結婚してしまった。
私も貧乏が似合う女なのだろう。(「貧乏な椅子」高橋順子)
ある種の覚悟の壮絶さというのだろうか。
女は本気で腹を決めたとき、蒼白い炎を揺らめかせる。
どうしてこの種の覚悟とは、こうまでも美しいのだろう。
*
噴水に乱反射する光あり
性愛をまだ知らぬわたし(小島なお『乱反射』)
上の句と下の句の不思議な結びつきがすごい。
07/8/13
内田「恋愛で私と同じような性分の人もよく聞くんですけど、彼氏のいない時期がないっていうのが共通点みたいで。二人目の男が現れたくらいのときに、前の人に不誠実なことが起こると、その二人目の人との関係が立ち上がってきて、で、前の人とお別れするっていうパターンで、端境期がない。間が空かないんです。」
よしもと「そういや、私も間が空かなかったな。」
内田「じゃ、重なってる時期もあるでしょ?」
よしもと「重なってる時期なんて、三日ぐらいですよ。」
内田「み、三日!? 決断速いね。」
(中略)
よしもと「っていうか、もうダメだな、と思ってるわけですよ、二人の歴史の後半は。あんたもダメだなと思ってたでしょ?とこっちは思うわけだけど、そういう相手にかぎって、「ダメだとは思ってなかった」って言うんですよ。まぁ、それが男の人というものなのかもしれないけど。」
内田「そんなつもりじゃなかった」とか言い出すんですよね。
よしもと「うまく行っていると思ってたのに」みたいなことを言うから。
内田「そうだね(笑)!」
よしもと「そう出られると「なんだと!」みたいなことになって(笑)、結局・・。」(『女ですもの』内田春菊, よしもとばなな)
娼婦然としつづける内田春菊と、文学少女然をつづけるよしもとばななの対談。組み合わせのギャップに驚いて読んでみたが、毒っ気においては実は内田よりもばななの方が上ではないかと思わされた。
しかしながら、女から見ると、男はほんとうに馬鹿に見えるらしい。男から見ると女の馬鹿なところだって目につくが、お互いに視座が完全にズレているから、北朝鮮と日本の外交交渉みたいなもので、おもしろいのかもしれない。
07/8/20
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉
(三橋鷹女『魚の鰭』)
山の端に沈もうとしている夕日が最後の光を谷間にある一本の紅葉を染め上げる。人はおろか、鳥も虫もいない。森閑と静まりかえった晩秋の冷気の中でただ一人立ち尽くす中年の女。
穏やかな表情の奥には自分でも気づいていない凄絶な情念が渦巻いている。
木の幹に手を触れて見上げる。さっきから耳鳴りがする。
この木に登ったら、もう下界には帰れないかもしれない。そんなことを思って、ふっと笑った。
2005/11/18
佐和子とは一年以上付き合っていたのだが、彼女と一緒にいて居心地の良さを感じることは、結局最後までなかった。
彼女はいつも何かを追いかけていた。具体的に何を追いかけていたのかは知らないが、とにかくいつも次へ次へ、上へ上へと目を向けていた。
「俺がエンストした車だとしたら、彼女はブレーキが壊れた車だったんだよ」
そう説明してやると、
「止まらない車よりは、動かない車の方が安心できるわ」
と、閻魔ちゃんは笑っていた。(『最後の息子』吉田修一)
文学界新人賞受賞作。同時に芥川賞候補にもなる。
高級オカマ「閻魔ちゃん」と同棲している若い男の話。
回想シーンへの導入として頻繁に引用が使用されるが、引用される媒体はテクストではなく、ビデオの映像である。
男は、閻魔ちゃんの収入に頼って生きている自分の自信のなさに対して過敏になる。
ウェイターに無視された自分が、というよりも、ウェイターに無視された男を恋人に持っている閻魔ちゃんが、ひどく惨めな存在に思えた。
愛を確かめたくて悪さをする。
それとまったく同じ理由で、僕は頻繁に、閻魔ちゃんの財布から金を盗む。盗むといっても、レンタルビデオの延滞料程度のものだが、もちろん悪気はある。愛されようとするのは、救いようのない悪気だと思う。
田舎から家出をしてきた実母が男のもとを訪ねようとする。閻魔ちゃんと同棲していることは、もちろん言っていない。このどたばたの中で、今までの日常が位相をみせはじめ、それは閻魔ちゃんと男との関係にも及んでいく。
07/7/28
「男を好きになるって、けっこうプリミティブな感覚よ。胸が熱くなって、毛穴からなにやら得体の知れないものが吹き出すの」
「何それ?」
「恋の有機分子。ナノサイズのラブレターよ」
理工学系らしい彼女の表現だった。(『そのときは彼によろしく』市川拓治)
毛穴から出る得体のしれないもの。エクリン腺とアポクリン腺。アポクリン腺から出るたんぱく質が、皮膚の常在細菌に分解されて匂いを発する。硫黄臭、スパイス臭など、腋臭(わきが)の原因でもあるが、香料のカギを握る物質でもあり、特許競争にさらされている。
07/10/2
歳は離れていても女同士だ。敵対心や連帯感が混じり合ったところで、わたしたちの視線はぶつかる。
(青山七恵『ひとり日和』)
女同士とはそのような世界か。
07/8/17
女は男に泣かされれば泣かされる度、男のやうになつて女を棄てて行くか、もつと女を究めて行くか、少しづつ分かれて行くのかも知れない、誰かもさう云つてゐた。
(『脳病院へまゐります。』 若合春侑)
病的にまで、ひとりの男に支配されることを望む女の姿を描いている。めずらしいテーマではないが、女性作家が書いているという事実も興味深い。ストーリー展開も定型ながら谷崎趣味な文体で描かれる疑似世界には確かに他にはない空気がある。
07/7/25
「あんたみたいなのは三十過ぎてから干上がるよ。包容力ないから。やっぱり大人はそこだわ」
『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ
2006年芥川賞受賞作。作者の妻は直木賞作家の角田光代。角田光代も直木賞をとるまえは、何度も芥川賞候補になったように記憶している。
20代のフリーターの既婚男性の一日を描く。職種は缶ジュースの自動販売機の補充のアルバイト。おもしろい設定だ。
回想として挟まれる話は、妻との離婚のいきさつである。妻は憧れの編集者の職についていたのだが、人間関係がもとで仕事を辞めてしまい、やや精神も病んでしまう。妻の収入がなくなったので、もともと脚本家を志望していた男は、生活のために夢をいったん路上に捨てる。
アルバイトに疲れてアパートに戻ってくると、知恵子が台所のテーブルに座っていた。ヘッドフォンを片耳にかけ、レコーダーに話しかけている。何をしているのかと訊くと、きらりと笑った。アナウンスの勉強を始めたのだとか。学生時代、彼女が放送研究部にいたことは敦も知っている。しかしなぜ今になって、青春の一ページをめくり直そうというのかはわからなかった。通信制のアナウンス講座一式を頼んだらしく、アクセント辞典やレコーダー、ヘッドフォンだのマイクだの、まとめて二十万近い出費がいったらしい。家でごろごろしているだけだとあっちゃんに嫌われてしまうから、私も生き甲斐みたいなの見つけようと思ってさ。知恵子はそう説明した。
不気味に感じたのだ。まさかつきあい始めの頃にやっていたゲームをまだ続けているのか。何か特別なことでもしていないと順位が下がるというのか。自分たちは二十代も半ばを過ぎている。夢なんて大久保の排水溝に落っことした。新宿の路上で汗と一緒に流してしまった。それでもその先には、案外、まっとうな幸せがあるような気もしている。
日本で騒がれはじめた「格差社会」なるものを確かにとらえた作品として注目された。が、僕にはどうもそういう作品のようには思えない。ここにある貧困は、食うに事欠くような深刻な貧困ではない。夢も妻も八月の路上に捨ててしまうにしては、あまりに若すぎて不気味ささえ感じる。
しかし何より難しいのは、運ぶときのバランスだ。完全に調和が取れてしまうと、前に進まない。推進力を得るためには、均衡を破る必要がある。それはどこか、男と女の関係のようだった。
主人公は妻とうまくいかなくなって、なんとなく知りあった美容師と関係するようになる。しかし離婚が成立すると、美容師とも別れてしまう。
「無様なの、いいじゃん。そんな綺麗に浮気できないもん」
水城さんは言った。「よくさあ、気づかれないでやる浮気はいいとか言う人いるでしょ。最後に戻ってきてくれればいいって。だけどあれ間違ってるよね。男と女でしょ、本気になったらみんな無様になるって。修羅場にもなる」
うちの親なんか、今はそれで上手く収まっているんですが。敦はそう言った。母の逃避行以来、不倫だとか逃避行だとか、はたまた長崎という言葉でさえあまり使わないようにしてきた。突然テレビに映った女の裸のように、家族みんなでなかったことにしたのだ。それでどうにかやっている。今まで離婚せずに家族を続けていた。
すると水城さんが、そんなのは違うと一刀両断にした。彼らは上手く収まっているのではなくて、互いに嫌な状態に慣れてしまっただけだと。
「まあ、あたしもいい歳だから堅いこと言うつもりはないよ。何もなかったことにするのもいいし、結婚生活と不倫とを両立させてもいいだろうし、色々あるのはわかってる。でもそれって、何だか寂しくない?」
「だったら冷静なダブル不倫とかにしておけばよかったかな。知恵子にも愛人を作ってもらって」
本気じゃないだろ、と水城さんが言った。凄みがあったのでつい、極論ですよと言い訳をしてしまう。しばらくして彼女は、ダブル不倫ってのはあたしの言う浮気に入ってないんだよなあ、と意味ありげなことをつぶやくのだった。
「何て言うのかな。両方割り切ってやってるのは、セックスつきのお茶飲み友達みたいなもんでさ。セックスって言うから変だけど、そう、乾布摩擦の濡れてるようなもんじゃん。それで心が繋がって満足なら、まあいいんだよ」
「まったくわからないです」
「だから互いに欲しいのは、心までってことでしょう」
あたしが言ってるのは、心のもっと先が欲しくなるときのこと。水城さんは言うのだが、敦にはなおさら真意がわからなくなった。第一、心の先になんて何があるというのだ。率直に訊いたが、答は戻ってこなかった。心の先って言ったら命ぐらいしかないですねとおちょくってみたら、水城さんは意外にも、「あー、そーかもなー」と同意した。
07/7/27
鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪うべし
三橋鷹女
鞦韆(しゅうせん)とはブランコのこと。決然とした口調に女の情念。
2005/11/18
「‥‥でも、女性ならば誰でも、自分をどこまでもおとしめてみたい、という衝動をもっているんじゃないかとも思うんです」
(「東電OL殺人事件」の帯 新潮社2000)
プライドと、堕落願望の相克に、女というものは生きているのであろうか。
*
「不機嫌な妻は、心でなく、子宮で浮気する」
(Don.A.Cippillo 1970)
「不機嫌な妻」という言葉がすごい。諦念にも似た凄みがある。
(Chihiro 01.2.1)
だれに恋をするかを自分で決められるわけじゃない。
(トマス・H・クック『心の砕ける音』)
だが、だれを愛するかは自分でも決められる。マザー・テレサはそれさえ決めなかった。
2006/2/1
砂煙が晴れ、巨女が倒れた瞬間に取ったM型開脚によって露わになったその性器は巨大な挽肉器として鋭い刃がキュルキュル音を立てていたのである。問題は誰が彼女を満足させる肉棒となるかであったが、こうして彼女が倒れるたびにその恐ろしい挽肉器の前には行列が出来、押すな押すなの大混乱となるのであった。
(中略)
口々に挨拶を残して人々は挽肉になっていき、そのたびに巨女は「琵琶湖周航の歌」を歌った。(吉村萬壱『クチュクチュバーン』)
「琵琶湖周航の歌」とういうのが、とてもよい。
文学界新人賞受賞作。作者は2年後、「ハリガネムシ」で芥川賞を受賞。
引用のように、荒唐無稽、エログロ、屍累々の酸鼻、撒き散らす内臓と糞の腐臭・・その退廃的終末世界はハンパではないが、日常がとつぜん瓦解した世界での獣的な人間性の本源を描いている点で文学なのだろう。
同時収録されている「人間離れ」も同じく日常が突如瓦解するストーリーだが、「クチュクチュ」よりもパワーは上。宇宙から振ってきた問答無用の殺戮生物に対して、人間をやめる「人間離れ」の技によって生き延びようとする群衆の寓意的な姿が悲しくも切実。裸で、敵に対して尻をさらし、肛門から直腸をひきずりだす技であるが、効果のほどは未解明でも、追い込まれた人々は狂信的にこれを行なう。
07/7/24
だいたいるり子は誰よりも自分が大好きな女だ。自分が大好きな女ほど、始末に悪いものはない。
(『肩ごしの恋人』 唯川恵)
直木賞受賞作。米倉涼子、高岡早紀主演でドラマ化。
オス化した女と、自分の欲望に忠実なメス女のふたりの腐れ縁と、成長・・?
