救急車で運ばれる、40代の男となりて
12月19日忘年会後のメール
皆さん、金曜日はありがとうございました。
Mさん、幹事のお仕事、お疲れさまでした。
絶叫熱狂、そして誓いと祈りの忘年会、楽しかったです。
その後、私は始発を待ちながら松屋でゆうゆうとステーキ丼定食を平らげ、足どり軽くステップなぞ踏みながら電車に乗り、快調に小田原への帰途についていたはずだったのですが、秦野駅を過ぎたあたりでカツゼンとして目を見開き、おええっと気分が悪くなり、次の駅で扉が開くやダッシュでホームに駆け降りたところ意識がなくなり卒倒昏倒、気がつくとホームで数人の親切な老人に介抱されておりました。
「まぶたの横は縫わないと傷が深い。顔から倒れましてな。鼻血もでてるし吐いてる。救急車呼びましょう」
そう言われるのを、酔っぱらってかつがれて救急車では男の名折れ、ここは武士の情け、どうかこのままウッちゃっておいてはいただけぬかと懇願し懇願し、それならせめて駅事務室まで運びましょうと何人かの老人らが僕の肩をかついでくれようとするのをひたすら「だいじょうぶでござる。すみません」の一点張りで辞退。
遠巻きに若者ら数人が笑っているだけで、まるで手を貸そうとしないのが見えたことも辞退した理由のひとつです。おまえらの罪もぜんぶ背負って俺が神に裁きを求めてやるとほくそ笑んだものの、電車がホームの人々を連れ去り、いざ早朝のホームにひとり残されてみると、これは本気で凍死しますよ、神の裁きはもう少し後にしてもらおうと急に弱気になり、よろよろと階段をのぼってトイレに行き着きました。
この駅、障害者用の設備が半端じゃなく充実している駅でしたが、正直いって死にそうになっている人間にとっては意味がない。視野狭さくの中ではボタンを識別することができない。手当たり次第にボタンを押してやっと開いたふたつめの障害者用トイレに入る。また手当たり次第にボタンを押すがドアが閉まらない。何をするにも悪戦苦闘。流すのも部屋を出るのにも、毎回、全部のボタンを押してみました。
再びうずくまっていたところを親切な小母さんたちに拾われ、駅事務室で休ませてもらっているあいだに救急車がやって来て、日赤病院に搬送されました。
脳外科の診断で問題ナシということですぐに退院できたのですが、妻子にクルマで迎えに来てもらい、土日はコンコンと眠りつづけました。
手をつかずに顔面から倒れたらしく、顔左半分が黒々としたやけどのような擦過傷と痺れと目のまわりの青タンとで、だらしなくたれさがっております。
頭を強打したせいか、まだ顔面半分の痺れと頭痛が治まらず、しかしこれによって脳にカツが入って、人生人新たな地平が開けるかもしれぬという期待もどうも無駄に終わりそうな気もしつつありますが、少なくとも何かの記念を残さねばと探していたところ、起き上がれなかったためにまる2日間煙草を吸っていないことに気づきました。
酒だけのせいでなく、おもに貧血での卒倒というところにショックを受けております。
虚弱体質なのに気合を添加剤に激しい挙動を行なうことがそろそろ限界にきつつあるのではないかと妻には指摘されました。
「おとーさんはチャレンジャーだから朝とか、がばーって起きるけど、もう無理なんだよ。起きたり、立ったりするときは負担かけないように、ゆっくりやらないと」
「でもああでもしないと起きれない。ふつうに起きられるんなら、布団蹴り上げてそのままブルース・リーの真似をしたり飛んで跳ねて絶叫しない」
しかし最近ではそれをやっても気分が悪くなるだけで、けっきょく再び横になるしかないような日もあったりで、なんと気合が足りぬことかと、つくづく自分を責め、もっと過激な起床方法について考えてみたりするのでした。
がしかし、卒倒の恐ろしさを身にしみて感じた今、これらの気合も制限せざるを得ないなとも思っております。やはり気がつかぬうちに肉体はオヤジになってきているということで、それらも含めて一歩一歩認めていかねばならぬということでしょう。いったい人はいつオヤジになるのでしょうか。
確かにうろ覚えの記憶の中、日赤病院へと運ばれる救急車内で「40代ぐらいの男性、顔面ザショウ」と無線連絡している隊員の声を聞きながら、チャウチャウ40代チャウとココロの中で祈っておりました。
ベートーベンのCTスキャン 12/20
やっと頭痛が耐えられるレベルになってきた。
しかし依然、顔面半分の麻痺はつづいている。左側の鼻、口腔内、唇、頬などが無感覚で、ちょうど歯を抜くときに麻酔をじゃかすか打ったあとの感じ。医者に行けと妻子に厳しく指導され、やむなく歩いてすぐの総合病院へ。
またCTスキャンをやられた。15分ものあいだ、人間魚雷のような筒の中で、ごっこっこっこ、と、スキャンされ放題。機械音のあいまにベートベンの「運命」がかすかに流れていたが、何とも意味深である。この機械は日赤病院のやつより高精度な機械だと医者は自慢していたが、結果は同じく「異常なし」だし、やはりアドバイスなし、薬なし。
頭痛と顔面の痺れは耐えるしかないんでしょか?
頬骨がへっこんで頬肉が垂れさがっているのは、一生このまんまなんでしょか? 苛烈な肉体鍛練をすぐ再開してもいいんでしょか?
何も訊けないままベルトコンベアーのように会計へ。
顛末を話すと、妻は、
「次は整形外科に行ってきなよ。それとも耳鼻科かなぁ。あきらかに顔がいがんじゃってるんだから、どっかに膿がたまってるかもよ。リンパとかつながってるから、あちこち痺れてるのかも。レントゲンもとってもらった方がいいよ」
なるほどこの時代、医者にかかる人間も見識がないといけませんな。まず病院の何科にかかるかという選択を正しく通過しないかぎり、僕は延々何度もベートーベンを聞きながらCTスキャンをくり返すことになるのだろう。
みゃくみゃくセンサー 12/21
気合でものごとを簡単に片づけようとする悪癖へのよき警鐘であった。
顔面左半分の痺れがかなり鋭敏なセンサーになっている。
ふとんからガバと起きたりすると即座に、麻痺した左頬が、みゃくみゃくみゃく、と脈打つ。感覚がないくせに、まるで他人の頬の上で無遠慮にドラムを叩いて暴れまわっているみたいな感じがたいそう不快で、なるほどエンジンに急激な負荷がかかっている実感がわく。こりゃいかんと、横になって、ゆっくりと起き直す練習をした。
素早い起居。これまで気合と思っていたふるまいの多くで、この「みゃくみゃく」センサーが反応する。しかしながら僕らの世代の多くがそうであるように、10代のころから気合が唯一無比のトレードマークでならしてきているので、何をやろうとしてもセンサーに抵触してしまう。
気合といってもほんとうの気合というものはオリンピック選手とか限られた人しか出せないものであって、僕のは無駄気合というか、カラ気合というか、「気合入れてメシを食う」とか「気合入れてもやしをイタめる」とか、きわめて私的かつ卑小なものである。しかしそれでも僕が生きていく上ではどうも必要なもので、センサーばかり気にして気合節約していると、なんとも物事を進めにくいのだ。ただ、センサーのおかげで、なんでもかんでも気合で片づけようとするのもよくないなと気づくようになった。
最近、インプレッサWRXのstiに乗っていて思う。ターボは唐突感があって人工的で、オートバイ乗りの僕にはどうも感覚的になじめない。気合はターボに似ている。
最近、23年前のホンダのレーシングオートバイに乗っていて思う。旧型レーシングマシンのエンジンは、がたぴしと味わい深く、それでいて実にハイテンションである。シンパシーを感じずにはいられない。
旧型レシプロエンジンを抱く者たちよ。 高回転を維持せよ。
自罰と随喜のあわいに紫煙あり。打ち所ヨシ 12/22
救急車で運ばれてから1週間、まったく煙草を吸っていない。
これまで特に禁断症状もなかったのは顔面左半分の麻痺のせいのようだ。痺れは残るものの、頭痛が晴れて気力がもどってくると、ときどき吸いたくなるようになってきた。しかし何か自分のことを罰したいような残酷な気持ちもどこかにあって、胸がぐりぐりと苦しくなってくると、苦しめ苦しめ、いひひひひと肺をかきむしって引きちぎりたいような妙な快楽がある。
ふと思いたってオートバイに乗り、真鶴のひとけのない小さな断崖に行った。
季節風が吹き荒れ、なかなか荒涼としたよい気分だった。ここでオートバイが下に転がったら海に落ちちゃうなあ、でもこういうキワどいシチュエーションが写真に緊張感を与えるんだよなあなんて思ってファインダーをのぞいていると、ひときわ強い風にあおられて足を踏ん張りつつ耐えていると、なんかオートバイが動いた気がした。目の錯覚にしたいものです、と思った刹那、巨体がどうと倒れた。写真を撮りながら想像したみたいに海に転落はしていかなかったが、ガードレールの終端に直撃。
旧車だし終わったなあと思ってしばらくぼんやり眺めていたが、反対側にまわってみると、ガードレールに引っかかって完全には倒れていない。オートバイの全車重をアルミタンクの一点で支えるようにガードレールのめくれにもたれかかっている。ますますダメだこれはと思いつつ起こしてみると、驚いたことにタンク以外は何事もなかったかのように無事である。タンクは取り皿ぐらいの陥没ができて、べっこり塗装がクレーターのように剥離しているが、場所が股ではさみこむ部分なので大きめのタンクパッドを貼れば消えるかもしれない。
まさに、打ち所がよかったのである。
じつはこのところ、打ち所について考察することが多かった。先日、打ち所ひとつの差で現世に帰還したばかりであった。突如意識をなくしたした人間にとっては、再び目覚めるか、もう永遠に目覚めないかは、まったく差がない。同列なのである。目を覚ますこと、つまり生きていたことが意味を持つのは、覚醒してしばらく経ってからである。目覚めなかった者には、生か死か(あるいは不随か失明か)のクジを引いたことさえ知らされない。
だから失神から覚醒するときの感覚は、「還ってきた」という実感の有無において、ふつうの眠りからの目覚めとは明確に一線を画するものなのである。
やっぱり打ち所だよなぁ、と慨嘆しながら、懐を探るが煙草がない。別に禁煙を決め込んでいるわけではないし、こんな潮風吹きすさぶ断崖絶壁でひとり慨嘆するのに、煙草ほどぴったりの友があろうか。背に腹は替えられぬ。なんぴとかの吸い殻でも落ちていないか地面を徘徊したが、ない。ウエストポーチをまさぐると、ガソリンのレシートが手に触れた。こよりをつくるみたいに筒状にまるめて唇にくわえたが、今度は火がない。面倒くさくなってやめた。
真鶴から湯河原へ抜け、オレンジラインと椿ラインでいっきに山を駆けのぼった。20年ぶりの記録的な大雪で全国ががたぴしのときにこのような山を上るのは愚かなことであったが、煙草で浄化されえなかった随喜の念が、立ちのぼる煙のようにオートバイを上昇させたのだった。
山の上は雪もよいのあやしい雲行きで、凍結した路面が黒々と雲を映しこんでいた。オートバイはおろかクルマもほとんどいない。
あたりに五分咲きの桜のような木々が見えた。細かい花びらが風にのって散り降る。よく見ると樹氷であった。氷結した結晶が風に掃き出されて、花弁のように散るのだった。

手足は先端から痺れていくが随喜の情動は止まらず、芦ノ湖を突貫し、箱根旧街道を経由して下山した。
タンクべっこり転じて福となす 12/23
オートバイ用品店の中を、もう小一時間うろうろしている。
CB1100Rのタンクにべっこりできたクレーターを誤魔化すタンクパッドを物色するが、今の流行のものはシャープにスタライズされていて、マイク・タイソンに強烈な一発を見舞われたような陥没を隠せおおせるほどの鷹揚なパッドがない。
もう5、6年前に売れ残りで買った時代遅れのタンクパッドをZXR750につけていたことがあったが、黒のスポンジで色気もなくまったりとタンク尾部を覆い尽くすような実に野暮ったさながら、その無遠慮な剛の雰囲気がまたレーチーな気がして愛用していた。そのパッドは、その後は買おうとしても手に入らなかった。
あれさえあればと思うが、とりあえず塗装が剥落するのを防止するために何か貼っておきたい。しかたないので2つのパッド(正確にはひとつのパッドに3枚入っているので6枚だ)を買って、ちょっとみっともなさそうだが応急処置をしておこうと思ってレジに。うわ4000円、応急処置でも高いなあと思ってレジ待ちでかたわらの売り尽くしワゴンセールを見るともなく見ていたら、やややや!!!! これですよ、これ。ZXRにつけていたのと同じやつ。1枚だけぺろんと置いてあった。ブロンクスで思いがけず幼なじみの女の子に遇ったような「うらぁ、おまえこんなとこで何やっとんねんっ!」絶唱感激のプライスは、処分特価900円。
いっきにボルテージも上がり、勢いづいてタイヤ交換まで敢行。そのあとプールで2km泳いで家に帰った。
手術して入院? 12/24
1週間たっているのに、顔面の左半分の麻痺がつづいている。
脳外科での診察では二回とも異常なしだったので、形成外科に診てもらったら、顔面が陥没骨折。手術しましょうということになった。入院は二週間ぐらいになりそうだとのこと。
年末で手術が混んでいるので、週明けにもう一度、予定を組むことにしましょうということになった。オートバイやチャリに乗りまくってきたが、一度の骨折も入院もなかったのだが、まさか電車に乗って歩いているときにこうなるとは。つくづく、人生、死角に注意すべしである。
そうそう、今日はクリスマスイブである。
はじめての美容院 12/25
入院生活にそなえる。なんせ生まれてはじめての入院だ。
そういえば煙草は1週間以上、1本も吸っていない。記念事業の一環として、生まれてはじめての美容院にチャレンジした。これまで美容院というのはひどく抵抗があったし、髪を染めるなんて言語道断という心根だったのだが、今回、手術で顔を切り刻んだり頭蓋骨にネジ穴を切ったりするんだし、もう精肉工場にでもどこにでも連れていってくれという気持ちであった。
「みじかくね」
「中田みたいな感じでどうですか?」と美容師。
「うん、それでいこう」
「色は明るくします?」
「似合うようにやって」
困った美容師に妻が、
「ベッカムとブラピの中間ぐらい」
恥ずかしかったが、単に髪形の話なので照れることはない。しかしこれでしっかり美容師に伝わったらしきところがすごい。
完成したとき、まったく別人みたいで卒倒しそうになった。中田ってそういえばこんな恥毛みたいな髪形してたなあと痛切にビジュアルが蘇ってきた。ベッカムみたいなキューピー登頂。ブラピはどこにいるのだろう?
神経系でパーツ欠品 12/27
「それは手術でも治りませんね」
担当の医師が言った。僕の軽率さのことではない。顔の左半分の神経。
「ずうっとこのまんまなんすか?」
「まあ、たいていの人は慣れちゃうみたいだから」
顔の左半分が痺れたままなのは、転んで頬骨を骨折したときに、頬骨の小さなくぼみから出ている神経束の一部を損傷してしまったせいだという。
神経束はササミのチーズ、あるいはカニカマスティックみたいな感じで、いくつものフィラメントが束になっている。ばしっと全部切れてしまったら左半分の感覚はまったくないだろうし、この場合はお茶を飲むときなど、温度を確かめてから唇にもっていくようにしないと自分でも知らないうちにヤケドをしてしまう、そんな状況になるらしい。見るものが二重になったり、口を大きく開けることができなかったり、損傷の箇所と程度によって障害も変わってくる。
僕は顔の左半分がずっと麻酔から覚めないような感じだが、
「ばんっと当たったとき、どこのとこがパツって切れたかだけの違いですね」
という医師の言葉に、またしても「打ちどころ」だと思った。人生は打ちどころひとつで暗転も変転もするが、打ちどころは自分では選べない。
神経が助からない以上、手術と2週間の入院は、言ってみればカオのためだけ。眉の下、目の下、側頭部、口の内側を切開し、棒で陥没した骨を引っぱり上げる。チタンのプレートとボルトを二ヶ所埋め込み、固定する。これで約4mmから7mm頬骨が再生する。プレートをはずすのにも全身麻酔の手術と2週間の再入院が必要になるので、多くの人は埋め込まれたままで生活しているという。
1970年製の旧型レーシングマシンも神経系でパーツ欠品がでた。
残りの人生で、少しずつ、こういった欠品が増えていくのだろう。そしてどれひとつとして自分では選べない。記念というわけでもないが、折れて曲がったフレームも、補修せずにこのままでもいいか。
手術、入院のつもりで乗りこんだが、この日はいったん留保して病院を出た。付き添いで会社を休んだ妻と穴子を食べ、家に帰った。
生涯の麻痺は、発作と熱病で対抗 12/28
一生、顔左半分の麻痺と付き合っていかねばならないというのは、やはり気が重い。
朝起きてから夜寝るまで、たえず突っ張ったような違和感がまとわりつく。触ると麻酔のように感覚がない。鼻梁から左側、左頬、左上側の歯と歯茎は自分のものではないかのようだ。左の鼻の奥の空隙が骨の陥没によって半分ぐらいにせばめられていて、そこに常時、膿がたまっている。鼻の呼吸が息苦しい。これからは蓄膿症ともずっと付き合っていかねばならないだろうとも医師に言われた。
鍛練を再開。1.5km以上泳ぐと顔半分の痺れがぶわーんと極大化して、まるで頭部の左半分をざっくりとサメに食いちぎられたかのような欠落感のせいで溺れそうになる。連続で2kmを越えると、もうカボチャだかスイカだかを首から上にくっつけて水を掻き分けているような気がしてくる。
冷静さと呼吸を保つ。いったんペースを落とし、落ち着くのを待つ。今はそれしかない。
プールの雑菌で蓄膿症がひどくなるようなら、耳鼻科で治療しながらやることになるだろう。蓄膿症なんて、子どものものだと思っていたが、まさか人生後半の長いパートナーとなるとは。
顔いっぱいに新鮮な空気を浴びて思いっきり酸素を吸い込む・・つい先日まで当たり前のようにしていたことが夢のようでもあり、今後もう二度とその感触を得ることはないのかと思うとさびしくもなる。
ぼんやりしたり、考えごとをしたりしていると、顔の痺れがどんどんふくらみ、左のまぶたもぴくぴくしはじめる。ふと気がつくと、痺れに思考がとらわれる。
ただ、何かに熱中しているときだけは痺れを忘れる。恩寵の瞬間。しぜんと何かに熱中しようとする。熱中できないことに対しては無理がきかなくなった。無理していると痺れが気になって、つづかないのだ。
最近では、発作的に絵の勉強がしたくなった。
発作的な思いや行動にとりつかれているときは、二時間でも三時間でもすべてを忘れて空を飛んでいる。
発作的にアーヴィングが読みたくなった。
発作的に倶利迦羅峠を登坂してみたくなった。
発作のススメ。2006年はいくつの発作を起こせるか。
帰省はチャリで敢行 12/30
小田原〜松戸間115kmをチャリで帰省。
レーシングスピードの維持、無休憩をこころみるも、90km地点都内三輪でハンガーノック。コンビニで補給。
所要時間、4時間33分(信号待ち、休憩時間を含む)。
煙草を吸っても酒を飲んでも、へっぽこ 12/31
松戸でオートバイ仲間のタカサキくん、ヨシムラくんと深夜に合流して飲んだ。
飲んだといっても僕は体調のせいか、ウーロン茶ばかり飲んでいた。酒と違ってウーロン茶は何杯も飲んでいると、気持ちわるくなる。
煙草を一本、もらった。ひとくち吸って、ウエー・・これも吐き気がしてだめだった。
虚弱体質が加速度を増しているようだ。
2006年からは子どものために使われる貴重な財源として煙草税の増税が予定されている。スモーカーはなべて子どもの未来に尽くす騎士となるのである。このだいじなときに、煙草が吸えないようでは、へっぽこ。困った。
大晦日夜は一族で飲んだ。が、僕はほとんど飲まずに紅白歌合戦の途中で眠ってしまった。酒も煙草もうまくないし、すぐ疲れる。顔面骨折のせいだろうか。
レトルトカレー正月 1/1
事情あって正月の夜はテレビを観ながらひとりでレトルトカレーの夕食。
誰もいないし、気合もないし、目標もなくテレビ正月。それにしてもテレビは何と刺激的でおもしろいことか。圧倒されながら家族が帰ってくるまでの長い時間を、ふとんに入ったままテレビを観てすごした。
これほどまでに気負いも抱負もない自堕落正月はまったくもって初体験。
肩の力が抜けているともいうが、脱力ともいえるし、あるいは、なげやり気味ともいえる2006年のオープニング。
新鮮味はないでもない。
グレトな寒波を切り裂き、オートバイに乗って骨折顔面を撮影に行く 1/7
天気予報で小田原の最低気温がマイナス2度。最高気温は5度。前日、前々日は雪が降った。
これはマジでキツいですと思いつつ、ある目的のために1982年製の獣のようなレーシングオートバイで走りだした。
目的。それは頬骨の折れた自分の顔を撮影する・・・阿呆くさいがほんとうだ。
じつはここ1週間、骨折を心配した友人や取引先、親族らからさんざん怒られた。ブログの記事のせいで、てっきり顔がツギハギで包帯ぐるぐる巻きで入院していると、誤解させてしまったようである。
手術は保留し、したがって入院もしていないことを一応ブログで報告したつもりであったが、骨が折れたまま遠泳しているとか、実家にチャリで帰ったとかを記していたために、
「あれってフィクションじゃなかったの?」
とか、
「小説かと思った」
と言われた。複数から同じことを言われたので少なからずショックであった。昔から、エッセー(つまりノンフィクション)を書くと「つくり話」だと思われ、小説を書くと「実際の話ですよね?」と言われる。文士として不本意であるが、心配をかけたままというのはよくない。
「とにかく文章ではだめだ。顔をだせ。写真」
旧友にそう言われ、壊れた方の顔の写真を撮って載せることになった。手術だ、入院だ、と大風呂敷をひろげたわりには、またしても尻つぼみな展開、おまけにあちこちに心配をかけてしまい、芸のないシケヅラを出すのもしのびなく、せめて何か贖罪ができないかと、厳寒の顔写真撮影の旅に出ることにしたというわけ。
いざ走りだしてみると、天気予報でさんざんビビらされていたわりには、それほど寒くない。さすがに真鶴の旧道のワインディングは凍結箇所もあったり、家々の屋根がまだ白い雪で覆われていたりしていたが、湯河原より先は快適な小春日和ツーリングであった。
だいたい日本全土が記録的なグレト寒波にさんざんやられている真っ最中に、オートバイでワインディングに打ち興じることのできる環境というのもすごい。いや、贖罪であった。
そういえば昨日は雪が降りしきるなか、見渡すかぎりの海の表面からもうもうと湯気が立つのを見たばかりだ。どこを探してもこれほど壮大な露天風呂は見当たらないだろう。
どうやらここいらは海水の温度が高く、海風が吹けば、海岸寄りは天気予報の数字には現れない温暖さがあるようだ。多くのライダーは予報を見てツーリングを中止したのか、オートバイ天国の伊豆にはめずらしく、ほとんど単車がいない。そのかわりに驚いたのが、チャリダーたちの熱さである。どれも出会うのはロードレーサー系ばかりだったが、確実に、オートバイの数の2倍以上はいた。
伊東で携帯カメラで海をバックに撮影し、トンボ帰り。しかし家で確認してみると、写真はどれも失敗。あちゃー、意味なし。
厳寒の伊豆半島。オートバイで走っている最中に会ったチャリのもののふたちの熱さに触れ、たまらずオルベアORCA(オルカ)号をひっぱりだして石垣山へ。
そういえば煙草を吸わなくなってから、はじめての登坂だ
結果は・・ガタ落ち、史上2番目の悪タイム。
吸わなくなって、これだ。
煙草って、ほんとに健康に悪いのか???
「救急車で運ばれる、四十の男となりて」了
冬の海4篇
水平線まっすぐ ちっぴ〜ろ
夜の海まっくら ちっぴ〜ろ
ベランダで煙を吐けばオリヲン座 ちっぴ〜ろ
魚河岸の濡れたアスファルト魚くさい ちっぴ〜ろ
2005/12/3
男脳度と女脳度
男が分泌するテストステロンは年齢とともに減少し、それにともなって性欲も弱くなっていく。女の性欲はなだらかな上昇曲線を描き、三六〜三八歳ごろにピークを迎える。中年女性と「若いツバメ」のカップルも、このグラフから説明がつく。性欲の強さでくらべると、一九歳の若い男と、三〇代後半から四〇代はじめの女がちょうど釣りあうのだ。グラフを見れば、四〇代の男の性欲と、二〇代はじめの女の性欲もちょうど同じくらいということがわかる。おじさんと若い女の組み合わせである。
(アランピーズ, バーバラピーズ『話を聞かない男、地図が読めない女—男脳・女脳が「謎」を解く』)
ヒトが発生するときは性染色体の違いをのぞいて機能的には全員が女。胎児の段階でテストステロンという男性ホルモンの浴び方で、男らしい男、女らしい女から、男らしい女、女っぽい男までが決定づけられる。だから歪みが生じる。この歪みの境界上に男と女が漂い、相違が魅力ともなれば相互不理解の種にもなる。
テストステロンの作用は男女ともに生涯を通じて関係してくる。テストステロンだけでなく女性ホルモン、興奮ホルモンなどさまざまなホルモンのカクテルの化学反応の結果として、男と女の精神作用の違いが生まれてくる。
「なんであのとき彼女は怒ったんだろう?」という男の長年の疑問は、本書を読めば何度も「うわぁあああ」と頭を抱える悔悟と変わり、「彼はどうしていつもああなんだろう?」という毎度くり返される女の不信は、「しゃーないわねぇ」と哀れみと親しみに変わるであろう。

2005/11/10
至高のエヴァンフェリスタ喫煙法
喫煙習慣(ニコチン中毒症)が病気として認定される方向に日本も動きだしたそうだ。つまり禁煙治療に健康保険が適用される。世界的にはすでに認定されている国もめずらしくないという。偶然にも、このところ煙草はベランダで吸うようにしはじめていたので、自然と本数が減っていた。きっかけは単に夜の海と星を見ながら吸う煙草が最高にうまいから。でもやっぱり面倒くさいし寒いので、室内禁煙というルールを課すことにした。うまい煙草を吸うのも苦労がいる。
僕はおおよそヘヴィスモーカーに属すると思うが、病気とか中毒とか言われるぐらいに煙草はやめられないものかなといつも疑問に思う。断煙はチャレンジ精神を刺激される。おもしろそうだし、達成したら満足度も高そうだ。だがやってみないのは、単にやめたいと思ったことがないからである。オートバイでいい景色に出会ってふと路肩に停まったときなど、煙草を吸わないとしたら、深呼吸しながら背伸びでもするんだろうか? 遠泳をおえたあとや、厳しい登坂のあと峠で吸う煙草のうまさと達成感は切ってもきれない。こんなとき、煙草がなければテノール歌手みたいに喜びの歌でも歌うんだろうか?
煙草をやめればタイムが縮まるんじゃないかとかよく言われるが、タイムを縮めるためにやっているわけじゃなくて、うまい煙草を吸うためにやっているんだから逆である。それぐらい煙草は達成感と深く結びついてしまっている。
手元の煙草を見ると、肺ガンの可能性を高めます、とか、心筋梗塞の可能性が非喫煙者の1.4倍とパッケージに書いてある。
けっきょく煙草を吸わなくても肺ガンにも心筋梗塞にもなるし、吸ってもなるという意味だ。煙草を一生我慢して肺ガンになったらさぞかし痛恨であろう。
しかし、最近かなり衝撃的なデータに出会った。煙草の煙が軟骨にひどくダメージを与えるというのである。ラットの実験で軟骨の細胞がぼろぼろに乱れている映像をみて、ぐらっときた。
チャリの登坂では膝と腰を強靱にする一方で、かなりの負担もかかる。やり方によっては破壊する。チャリに限らず、膝と腰は人生後半を愉快にやるための貴重な資本である。膝と腰を強靱にし達成感を味わうための煙草が、同時に致命的なダメージを与えているとしたらやりきれない。確率の問題である肺ガンとか脳梗塞と違って、破壊が進む膝と腰は切実なリアリティーがあった。
また、喫煙は脳内ホルモンのテストステロンの分泌を抑えるデータもあった。ただでさえ年をとると男はテストステロンが減少する。オスとしての野性から男性精力にまで決定的なアクセルであるテストステロンもまた人生後半の資本である。
断煙も真剣に考えたが、やはり煙草の素晴らしさを手放すわけにもいかない。天秤のかけ方が難しい。そこで断煙よりもはるかに難易度は高いが、エヴァンフェリスタ喫煙法にチャレンジしてみることにした。
フィリッピン出身の茶屋女アイリーンの洗礼名を冠したこの喫煙法は、僕の知るかぎりもっとも崇高なものである。
「いっちゃぁん、煙草くれる?」
「へえ、吸うんだ」
今や非喫煙者の彼女が言うには、1年前まで1日2箱のヘヴィスモーカーだった。
「どうやってやめたの?」
「なんとなく」
「なんとなくやめれるもん?」
「吸いすぎて、なんかオイシクないなぁ思って」
彼女は煙草をくわえたまま、指先だけで灰皿にぎゅっと押し付ける真似をした。
「それだけ?」
「うん」
「吸いたくならない?」
「だからいま吸ってるじゃん」
と言って、煙をふーっと吐きだした。
「今じゃなくて、ふだん」
「ああ、ふだんか。なんとなく吸わないねえ」
ニコチンに支配されることなく、イライラで手をのばすわけでもなく、はたまた目を釣り上げて禁煙を宣言するわけでもなく、流れるようにしなやかな煙草との付き合い方ではないか。
至高のエヴァンフェリスタ喫煙法。実現したいものである。
翌日。エヴァンフェリスタ喫煙法が天声人語にでていた。
若い日のたばこ依存からの転機は、ひどい二日酔いの朝に来た。たばこも見たくない状態で、ふと、いつまで吸わずにいけるか試そうと思った。3日たち、1週間たっても特につらくはない。以来延々と、20年以上続いている▼もっとも、年に数本、火をつけることがある。モームの大人の世界とはほど遠いが、大人の小さな玩具として。たばこはきっぱりやめるに越したことはないが、休み休みでもいいのではないか。
(朝日新聞「天声人語」2005/11/10)
公の新聞、しかも天声人語にこれを書くのはたいそう勇気が必要だったはずだ。
この書き手はぜったいに「きっぱりやめるに越したことはないが」とは思っていない。禁煙は何かの拍子に崩れることがある。何かを禁じる、抑制するというのは案外もろい。依存がよくないのであって、依存せず、いい距離を保てればいちばんいい。男と女も同じか。
2005/11/10
主夫の元祖
主夫の元祖という人がいるそうだ。
村瀬春樹。村上春樹と一字違いの作家。『怪傑!ハウスハズバンド』を書いて80年代に主夫ブームを巻き起こした。しかし、主夫ブームって何だ?
村瀬さんは言う。主夫を動かすのは、家族を救おうとする「男の侠気」。25年前、肩身狭い思いで社会と戦った彼ら先駆者たちにとっては男の闘いだったのだろう。それに対し、自分を安全な場所に置きながら、主夫のいいところどりをする「兼業主夫」というスタンスは、いかにも現代的で男気がない。
2005/11/7
人生の輝きと、王女の夢と、STi
「どんなにひどい一日でも、子どもが眠りにつくときだけは、王子や王女みたいに扱わないといけない。いい夢がみれるようにね」
僕がそう言って、ぐっすり寝入っている娘を叩き起こすのを、妻はなかば感心し、なかばそれでいいのだろうかという目で見ていた。
その晩、僕と妻は『ミリオンダラー・ベイビー』という静謐な映画を観ていた。女ボクシングの話で静謐というのも変だが、微かな音に耳を傾けるように観ることが必要な映画だった。
人は一生のうちで一瞬でも輝く瞬間さえあれば幸せだったといえるのかというテーマはめずらしくはない。この映画は、それに加えて、一瞬だけの輝きに、はからずも付き合わされることになった周囲の人たちは幸せだったのかというものを淡く投げかける視点に出色を感じた。
僕らが没頭しすぎて、娘は退屈そうにいろいろチョッカイをだしたり気を引こうとしていたが、ちょっと邪険にしているうちに、
「この映画、時計の5のところまで終わらないんだろうなぁ」
と、ため息まじりに言った。実際には映画は時計の長針が3のところで終わった。数分だったのに、すでに娘は眠っていた。
僕は悔いた。どんなひどい一日だったとしても、眠っているあいだぐらい子どもはいい夢をみなければならない。そのためには、なかなかかまってやれなくても少なくとも眠りにつく瞬間だけは王女のように扱うことを日々心がけていたのだが、不覚なことにも、無視されたまま寝入ってしまった娘の夢がどうなるのかを考えると、たまらず叩き起こす蛮行にでてしまったのだ。30分後、娘は王女のように眠りについた。
翌日の娘はとても上機嫌だったから、きっといい夢をみることができたのだと思うが、妻の方はちょっと違っていた。年代も近い女優の本田美奈子が骨髄性白血病で急逝した報の衝撃と、『ミリオンダラー・ベイビー』の「人生一瞬の輝き」効果が攪拌されて、この日の彼女は朝から変だった。
サイクリングの途中ではじめて通りかかった道で見つけたスバル中古車ディーラーの前ではたと停まった妻は、店先にあった一台の中古車をじっと見ていた。両脇にある新型や年式違いには脇目も振らず、ただその一台を見ていた。
「ぱーまっちょがーる、どうしたの?」と娘が僕に耳打ちする。「ぱーまっちょがーる」とは娘と僕のあいだだけの妻の呼称だ。
「わからん。ほしくなったんだろうか?」
「でも、うちのと同じクルマだよ」
確かに今乗っているインプレッサとまったく同じ年式、同じ色、同じ形だ。しかし僕にとっては、
「大違い。星がついてない」
「星がないとかっこよくないね」
そんな僕らの会話をよそに、妻はドアを開いて運転席にすわった。
「ぱーまっちょがーる、走るのかな?」
「動かないよ」
そのとき、娘が肌身離さずもっている<たまごっち>のアラームが鳴った。
「たいへんたいへん! これやって!」
たまごっちのお見合いだった。このとき、なんとなく予感はした。
妻は「輝きだわ」という言葉を残して、ずんずん店内に入っていった。30分もたたないうちに、下取りとローンを組んでそのクルマ、つまりインプレッサWRX2.0STiの契約書を握っていた。
「星、なくなっちゃうの?」娘は真剣に心配していた。もちろん僕もそうだった。ふたりとも星がついているクルマが大好きなのだ。妻は、
「だいじょうぶ。いつかちゃんと星はつける。お金ためてね。がんばるよ」
衝動買いなんてものじゃなかった。はじめて通りかかっただけの店だし、僕自身、買い替えとかそんな話題は聞いたこともない。ディーラーの担当者も、僕と娘がぽやーんと無関心なので、妻の気まぐれなひやかしぐらいに思っていたのか、
「下取り額の交渉とか細かいことは煮詰めのときに」
「もう煮詰めの話です。人生は短かいの。いい夢をみなきゃ」
とか、この日の妻は完全に突き抜けていた。しかし確かに彼女の言うとおり、大人の女だって眠るときは、いい夢をみるべきなんだろう。男は昼間でも夢みていることだし。
2005/11/6
秀吉の小田原攻めとカラスの小田原攻め
都内ではカラス対策として兵糧攻め作戦を導入するらしい。ゴミ収集を早朝時間帯にして、カラスの活動前に食糧源を断ってしまおうという目論見のようだ。
小田原のゴミは平和そのものである。道ばたに出す。カラスよけネットなど使わない。
地元の飲み屋のおかみの話ではそれでも、けっこう増えたわよ、とのこと。といっても実際に市街地でカラスは見かけなかったが、移住後3ヶ月目にして、やっと目撃した。場所は石垣山。クルマの入り込まないみかん畑の中の枝道に、20羽ほどの小規模の群れがあった。こちらの気配を察知するとすぐに散って逃げていた。
都会のカラスは逃げない。以前、江戸川のサイクリングロードで向かい風の時速30キロ弱で20分にわたって延々とカラスの集団と並走したことがある。数十派の群れが僕を取り巻き、わざと何度も目の前を斜めに横切る度胸試しのやつや、手をのばせば届く距離でずっと並走する好奇心の強いやつもいたり、とにかくはたから見れば真っ黒なカラス玉みたいなものが地上を時速30キロで移動していたわけで、土手でなごんでいたオートバイのカップルや遊んでいた子どもなんかがみんな指を差し口をあんぐり開けて驚いていた。僕もカラスが羽ばたくときにわしわしと筋肉が軋むことや、飛びながらまばたきするとき、一瞬目が白く反転することなんかを、はじめて知った。
都会においてはカラス対策は何をやってももはや難しいんではないかと僕は思う。江戸川のサイクリングで僕が実感したのは、彼らの発想ではすでに彼らはその地区の占領を終えているのであって、人間は被占領民として好奇の対象でしかない。
石垣山で見たカラスは町を見おろす山の上で作戦を練っていた。人間の町を攻め落とすチャンスを伺っている。一方、小田原市街をはさんで反対側の酒匂川の河原でも20羽ぐらいの群れを見た。こちらは、シロサギ、アジサシ、トビらの群れと混在して領有権争いをしつつ、どちらかというと勢いで負けている感じだった。人間の町を攻略するまでには、まだ制空権を得るのに時間がかかるだろう。
だが、町の東西に群れの存在を確認した以上は、引きつづき注意深く観察をつづける必要がある。南の相模湾、北の足柄にも群れがいるようであれば、陣形は400余年前の秀吉の小田原攻めの段階に達しつつあるということだ。
2005/11/5
自分予報をしよう
11月になった。
記録マニアなので、新しい統計の試みをはじめようと思う。
これまでの人生前半を大きく分けて、前半と後半に細分すると、境目が大学入学あたりに来る。出生から高校卒業までの前半の前半期、つまり人生の第一四半期は総じて長い鬱の状態にあったといえる。はっきりいうと暗かった。すごく暗かった。熱帯魚とアニメと鉄道に明け暮れ、朝も夜もゲームばかり。ウソって思うでしょう。高校のときの同級生に訊いてみると分かる。誰も僕のことは「覚えがない」と言うはず。そりゃそうだ。学校にあんまり行ってない。今でいうヒキコモリのフロントランナーである。
一年の浪人を経て大学入学から爆発。何かが爆発。それまであまりに抑圧しすぎたんだろうか。入学式から一週間ぶっつづけで学友の寮を転々とし、はじめての無断外泊。つまり、最初の授業もサークルも一週間は入学式のスーツのままだった。酒を覚えたのもいけなかった。それまで一滴も飲んだことがなかった。爆発した。
ドラクエのモンスターと戦う以外は勝負ごとに疎かったが、先輩の指導に素直な僕は、まもなくイッキを制した。吐くときと同じ形で飲む。口の形、喉の形、食道の形、胃の形。口から胃までを一本のバイパスにする。グラスに口をつける前に、一瞬、おえっと吐く想像をして形をつくる。そのまま流す。これだけで、どこの大学の道場破りをしても負けなかった。ジョッキ0.7秒。いくら飲んでも吐くのも簡単だ。飲むときの反対をすればいい。すべては形だ。
そんなわけで酒に明け暮れ、オートバイを知り、気合系、吠え系、突っ走り系の青春。この第二四半期は激しい起伏をショートサイクルでくり返しながらも総じて長い躁状態といえるだろう。現在の妻、かよぼんが見たのはその最たる全盛期、光眩くて直視できなかったと、のちに語っているが、ほんとであろう。
人生後半戦の前後から、ちょっとずつ世界と和解しはじめた。ただ周期的に躁と鬱をくり返す。躁が7割、鬱は1割、平常2割。高回転型の旧式レーシングマシンみたいなものだ。人から見るとハイテンションに見えるかもしれないが、少し回転を落とすとエンジンが止まってしまうから、それぐらいでちょうどいいんだと思う。鬱は鬱で、あまりにひどいと生きていく気力もなくなっちゃうが、そこまで行くのは最近ではほとんどなく、読書三昧で切り抜ける技法習慣を身につけてからは、かえって鬱は生産性にとって必要なものだと思うようになった。ふだんは本なんか読んでられない、というより、じっとしていられないのだ。
この周期性をつかんだら、より効果的に生産性をアップできるのではないかと思いたった。
むむ、このグラフの変化、これはちょっと危ないですねぇ、大型の台風が発生しそうです、とか、自分予報ができたらおもしろそうだ。予報がはずれたらデータに組み入れ、将来の精度アップをはかる。さらに三年、五年の大きな周期がグラフで視覚化できれば、人生の勝負の賭けどきとか、撤退タイミングとか、長期自分予報も可能かも。
なんていっても、まずは地道なデータ集めが必要なので、次のような簡単な基準を考えてみた。
・縦軸の最高値は120、最低値は-20。
・100をもっとも理想的な躁状態とし、120は過熱しすぎで体が持たないレベルとする。
・0は気力ゼロの状態。
・縦軸の下限は-20とする。これは生きていく力も残っていない危険レベル。
このグラフの画期的な点は、赤い線で表示された縦軸値100が理想状態(たとえば朝日とともに起床し、チャリで石垣山を登坂してから家族で朝食、ふたりを送りだしてから業務開始。昼休みに1.5km泳ぎ、午後業務。娘が小学校から帰ってきたら買い物。よい食材を買うことに成功し、テンポよく料理をキメて、夜は執筆。勤務帰りのワイフを駅まで迎えに行き、夜更かしせずに就寝する。これに夜伽も旺盛で怠るところなければ理想域であるが、現実的には、今日は実にカンペキな一日だったのしと思えたら100とする)で、120はテンション高過ぎでかえってマイナス評価である点だ。オートバイのタコメーターと同じ原理。僕の場合、パワーバンドは80から100。せいぜい105まで。120は体調を崩して失速。反対に50以下は馬力が出ていない状態。最低でも70はキープしたい。
というわけで、なんだかずいぶん直感的でアバウトだが、とりあえずグラフを積みかさねていってみよう。

2005/11/1
塩を食う
小田原生活も3ヶ月目になる。
初期同化を終えて安定期に入っているが、3週間前ぐらいからつづいている昼夜逆転の生活からなかなか脱せずに苦労している。なんとか徹夜をせずに夜眠るようになったが、睡眠の質が悪く、日中もしじゅう眠い。昼寝をすると延々と眠ってしまうので、アメリカのITオフィスのようにデスク下で寝袋にまるまって仮眠するようにしているが、それでも、しゃきっと起きてさあやるぞ、とはなかなかならない。
徹夜は徹夜でデスクワークがはかどったのでメリットがあった。日中は何かと家事や雑務があって、ゆっくりデスクに向かえないのだ。小田原移住前のように4〜5時間の質の高い睡眠で日中はばしっと活動できる状態にもどしたいと切に思っている。
寝ると別人格。起こすなら命がけ。
今や娘もワイフもそう信じてひどく怖れている。実際、絶対起こしてくれと頼んでおいて、いざ朝になると寝ぼけたまま罵声を飛ばし娘を泣かしたことも一度や二度ではない。近づくと危険だから、水鉄砲で起こす作戦も考えた。寝る前に娘に、
「頼むからこれで俺を撃ってくれ。撃ったらすぐ逃げて、起きなかったら、また遠くから撃つんだよ」
いやいやをする娘に、
「お父さんのためにやってくれ。どんなひどいことを言われても撃ちつづけるんだ。たのんだぞ」
しかしこれも、だめだった。
「かわいそうで、できなかった」
この朝の俺はちょっと撃たれるや、あひーと言って枕をかき抱いてもんどりうち、父は今、重い病で床に伏しておる、だのに、いかなる理由をもってお前はかような悪鬼のごとき所業をばなすか、ほとけの慈悲をしらんか、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おやっと嘘八百の時代がかった泣き落としで娘に懇願したのだという。そしてすっかり寝坊してから、どうして起こしてくれないかったんだ? となる。だから今や誰も寝ている俺に触れようとはしない。
逆に、うまく起こすことに成功したときなどは、ついさっきまでの横柄で口汚い別人格は霧散し、ありがとうありがとう、ぼくたちはあいつに打ち勝ったんだ、あのいやらしい別人格(ケモノ)に、といって手を握る。はたで見ていたワイフがつぶやいた。
「ほんとにビョーキかも」
別人格とはいっても完全な別人格ではなく、そうなっているときの記憶は残っている。このまま眠っていられるのなら何もいらないという幸福感に包まれていて、眠りを妨げるものに対してケモノのように激しい憎悪と攻撃性を抱く。障害を撃退したあとは、満足と幸福とで美しい光が射しこむ。だからそのときは、利己的な正義感に忠実に従って敵を撃退しているだけなのであって、ケダモノにはケダモノのスジというものがあって、内面からの改造は難しいように思う。
そもそも朝起きられないなんて悩みは人に打ち明けられるものではない。こんじょがない。だらけてるでおしまいである。そして俺のような主夫稼業、自宅勤務の場合は致命的でもある。しかし同時に俺はこの自分の状態を、ただのこんじょでは解決しないとも思いはじめてもいる。どんなに苛烈な決意をしたところで、別人格が鼻で笑うんだから。
今の流行ではあるが、俺はこれを病気ではないかと疑うようになった。病気のせいにすればラクなもんである。よし病気のせいにしてやろう。
タイミングよく新聞の健康欄にこんな記事がでていた。低血圧症は高血圧ほどに実害がないので軽んじられてきたが、目まいや貧血、朝起きられない低血圧症について、ひとつの症例として認知を広めていこうという動きがあるとのこと。
中学二年のとき、はじめて全校集会中に倒れて以来、俺はちまたによくいる、人が集まる場所でとつぜん倒れるやつになった。塾の帰りに松戸駅のホームで倒れて駅長室にかつぎこまれたり、大学生になってからは胃炎、逆流性食道炎といった内蔵系の慢性的な不調に見舞われ、あいかわらず駅で学校で職場でトイレで、倒れつづけた。小田原に越してからも一回ある。あまりに目まいがひどくて気密性の高い新幹線に乗れる自信がなく、各駅停車に乗り、各駅ごとにホームに降りてベンチに横になりながら5時間かけて帰った。
具体的な対策を考えるために、まずは血圧を測るべきである。それは新聞にも書いてあった。目まいのするタイミングや、朝、夜の自分の血圧を知ること。何ごとにおいても異常な計測マニアの俺が、ただ血圧に関しては測定していないのには、じつは理由がある。血圧計を腕にまきつけただけで貧血症状を起こしてしまうのである。腕を締められて血管がぴくぴくという感触がだめらしい。測定を何度も断念した。献血したときに、本気で気絶したという経験もある。
自分は低血圧症であるという仮定のもとに新聞に書いてあった対処法のひとつを試すことにした。
塩分を多めにとる。よしや。毎日、塩を食おう。
2005/10/26
うちの、こやさま
皇室紀宮さまの結婚にむけて、皇后さまの送る言葉が発表された。心にしみる昔日の家族の光景が描かれていた。その中に、子どものころの紀宮さまのやさしい気質にふれて、パパである陛下が彼女のことを「うちのドンマイーンさん」と呼ぶことがあったと記されていて、思いだすことがあった。
九州佐賀の田舎小学生だったころ、近所に「どんまい君」がいた。紀宮さまの場合は、悩んでいたり、くよくよしていたりしている相手に、やさしく「ドンマイーン」と言ったそうだが、九州の小学生だったどんまい君は完全なサル顔で人のことをいきなり突き飛ばしては、日やけした顔でにやっと笑い、「どんまいどんまい」と言うのだった。
どんまい君はバラック家に大きな犬を飼っていて、遊びに行くと、犬恐怖症の俺はかならず立ち尽くした。その背中を突き飛ばして彼は笑った。
「どんまいどんまい」
つくづく紀宮さまが「ドンマイーンさん」でよかったと思った。正しい教育を受けたドンマイーンという発音、そして正当な使い方。どんまい君のは、けっしてドンマイーンではなかった。九州なまりで、どんまい。使い方も完全に歪曲されている。
そうそう。現在、うちでは家族をこう呼びあっている。
俺→娘 1位 こやり(90%)
2位 こや(7%)
3位 ぽんこや(2%)
4位 まんどりん、などその他
俺→妻 1位 ぽん(60%)
2位 ぽんおかー(35%)
妻→俺 1位 ぽんおとー(100%)
娘→妻 1位 おかーしゃん(100%)
娘→俺 1位 パーマッチョ(90%)
2位 おとーしゃん(10%)
俺と妻で娘のことを話題にするとき 1位 こやさま(100%)
俺と娘で妻のことを話題にするとき 1位 パーマッチョガール(90%)
2位 おかーしゃん(10%)
パーマッチョの呼称は、娘が2005年9月あたりから言いだし急速に普及した。語源は不明である。
2005/10/20
率いる村上氏
阪神タイガースの上場をめぐる話題で、村上さんの名前があっちこっちにでてくる。
気になったのが、ライブドア社長ホリエ氏とか、小泉首相とか、無職押田容疑者38歳とか、メディアにでてくる人は必ず何らかの肩書きがあるものだが、この人だけはどういうわけだか、<「村上ファンド」を率いる村上氏>となっている。肩書きがないのである。
じつにカッコいいではないか。さっそく俺も真似してみることにした。
小豆島の猿軍団を率いるイチハラ氏・・ううむ。
やはり人間じゃないとカッコよくない。俺が率いることができそうなものを考えてみた。
地元の素行不良の小学生を率いるイチハラ氏・・。
なさけなくないですかこれ。他に思いつかず、ちょっとがっかりしていると、ワイフが笑いながら言った。
「おとーさん、ぐんぐんにイチハラ家を率いてるじゃない。小田原までついてきてるんだから」
そうであった。
6時のニュースです。最初のニュースは、イチハラ一座をぐんぐんに率いるイチハラ氏が・・。
突き抜ける悦び。
2005/10/11
モノアミンオキシダーゼ
アメリカの自然人類学者ヘレン・E・フィッシャーは、新奇性をもとめる人には四つのタイプがあるという。
1、スピードと危険をともなう野外スポーツや活動が好きな人
2、ドラッグや前衛的なライフスタイルなど、内面的経験の変化をもとめる人
3、放縦で破目をはずしたパーティーや賭けごとなどに走る人
4、先の予想がきまりきっているような相手に我慢できない人
フィッシャーによれば、こうした男女は退屈に対する感度が鋭敏で、生物学的な原因としてモノアミンオキシダーゼ(MOA)の作用が考えられるという。つまり、MOAのレベルが低い者は社交的で大酒飲みであり、ドラッグ好きでスピード狂であり、ハード・ロックを好み、性生活も活発だ、というのである。しかし、そのことが科学的に実証されたわけではない。たとえば、社交的で大酒飲みの人を代表する標本についてのMOAのレベルを検定したわけではないからである。
(石田幸平『愛と憎しみの心理学』講談社ブルーバックス)
科学的言説にみえて、後半の腰砕け具合がなんともいえずよい。
2005/09/26
付箋(ふせん)
まわりで起こる小さなことひとつひとつを、きちんと自分のなかに刻み込んでいかないことには、一歩もそこから動けない。いわば僕はそういったタイプの人間だったように思う。
それはこの時代を生きていくことを考えると、はなはだ効率の悪いことに違いない。それでも僕は、自分の身のまわりに起こるいろんな考えやできごとのひとつひとつに対して、これは黄色、これは赤、というふうに付箋をつけ、それをときどき出してみては、眺めたり、手の上でころがしてみたりするのだった。
ときどき気に入ったもののいくつかを、長い時間をかけて文章にした。それはまるで名前のないかわいそうな手乗り猿たちのひとりひとりに手をさしのべて、顔をのぞきこみ、そして指さきで握手を交わすような手間のかかる作業だった。そして実際に僕の胸ポケットには、いつも何色もの付箋が入っていた。
「ばっかみたい。」
「そうかな。」
「そのシャベリも。」
「ふむ。」
「頭の悪い小説の読みすぎじゃない。」
「頭が悪いかどうかは別として、確かに小説は嫌いじゃない。」
彼女はきっちり4秒間、目をつぶり、目を開けると同時にグラスを乾いた音で置くと、席を立ち、ほんとうに出ていってしまった。確かに頭の悪い小説みたいだった。
いつも近ごろは似たような顛末だ。僕のなかの何かが、彼女のなかの何かにひどく障るようだった。戻ってくるかと待っていたが、20分たっても前の席に変化はなかった。彼女の言うような小説なら、ここで何をすべきなのか考えてみたが、けっきょく何も思いつかず、途方にくれた僕は胸ポケットから黄色の付箋を取りだして、日付と場所を書き、
「サトミ、怒って帰る。262回目。理由はかわらず不明。頭の悪い小説と言った」
と書いてポケットにしまった。
黄色い付箋は動植物の名前やあとで調べるためのヒントを書くようジャンル分けした色だったのに、どうしてそこにサトミのことを書くような間違いをしたのか分からなかった。たぶん自分で思っていた以上に動揺していたのだろう。僕は勘定を払い、トイレに行き、居酒屋を出た。
262回目と記した付箋がサトミについての最後のものになるとは、もちろん思わなかった。つきあいはじめてずっとそんな感じだったような気もするし、付箋は増えつづけ、一応考えていたつもりだったが何かに結実することもなく、そして現実には263回目はなかった。いつもと同じなのに何が違ったのか。いつからか僕は、きまってサトミのことを書いていた青い付箋を使わずに、あのときだけ黄色い付箋を使ったのがいけなかったのではないかと思うようにまでなっていた。しかし、いつのまにかそのことも忘れた。
十年以上たって、サトミと電車の中で偶然会った。お互い三十半ばになっていた。少し飲もうということになって、手近な駅で降りて店に入った。遅くまで、いろいろ話したが、どれも昔の話ばかりで、あれから何をしていたとか、今どうしているとかといった話はついに出てこなかった。
「あれ、やっぱ今も持ってるの?」
と言いながら、サトミはグラスを持った指をのばして胸をさした。
僕は、ああ、と言って胸ポケットから付箋を出した。
「ぜんぶ出してよ。」
胸ポケット、尻ポケット、中腰に立ち上がって前ポケットから付箋を出してテーブルに並べた。ぜんぶといったわりに彼女は、どれかを読むわけでもなく、あまり興味もなさそうに手で玩んでいたが、
「いいよ。しまって。」
店の前で彼女と別れ、反対の方角に歩いた。
「駅こっち。」
「いいの。タクシーで帰るから。」
振り返ると、向うも振り返って笑いながら手を振っていた。ふと自分の肩に目を落とすと、いつやられたのか左袖の後ろの方に、黄色い付箋が一枚貼られていた。はがして裏表してみたが、何も書かれていなかった。付箋をつまんで振ってみせようとしたが、そのときはもう商店街のイルミネーションに溶け込んで姿は見えなくなっていた。
サトミ、笑って帰る。1回目。
2005/09/21
焼き場に立つ少年

(Joseph R. O'Donnell「焼き場に立つ少年」 September 1945)
新聞の夕刊に出ていた少年の写真に釘付けになった。
苦心して自分で結びつけたのだろうが、ひもで負ぶった赤ん坊はすでに息絶えている。原爆投下後の長崎。仮設の焼き場で順番を待つ直立不動の少年。その指先の厳しさ、重みに耐えながら直立を保とうする前のめりの姿勢、固く真一文字に結んだ唇。少年は赤ん坊が焼かれるのを直立不動のまま見届けると、涙を見せずに去った。去りぎわ、少年の唇の端に血がにじんでいるのをカメラマンは見る。
この写真を見ていると、今度は無性に自分に腹がたってきた。
だめになってる場合じゃない。
2005/09/20
L・ドーパをブチこんでくれ
なあモナミ、風邪が悪化したよ。
食材を買いに出た以外は家にこもりきりで、おかげで仕事が進んだ。風邪をひくか台風でも来ないことには、落ち着いて仕事ができない土地だよここは。それに仕事が進んだといっても、それは生業(なりわい)の話であって、ほんとうにやんなきゃなんないことは何ひとつ進んでいない。
最後にブクと呼べるものを手にしたのは7月。北海道にむかう青函連絡船の中でドストエフスキー『悪霊』を読んだきり、まったくの一冊もブクを手にしていない。引越で、もともと少なかった蔵書のほとんどをまた捨ててきてしまった。捨てた方が脳がきわきわに貪欲になると思った。が、実際には脳みそもいっしょに置いてきちまったみたいだ。小学生だって課題図書かなんかでブク一冊ぐらいは読む。これじゃ牙を抜かれた米寿。なんだそりゃ。
でもな、モナミ。こえーことに、そんなふうに思ってても、朝起きて、海がばーっと青くてきらきらしているのを見ると、うずうずして、いても立ってもいられなくなるんだ。麻薬。ほんとに。
小田原に来てから3週間、エネルギーのすべてをオダワラに吸い取られてるよ。きれいに。
一見、小田原を満喫しているように自分でも錯覚しちまうが、そのじつオダワラに飲まれている。
小田原は地の気が強いとアミーゴが言っていた。歴史ある町、歴史に選ばれた町はみなそうであろう。だから、おのずと西に引き寄せられる。が、油断禁物、気に飲まれてしまう。
ここはとにかくメンテナンスが愉快な地だ。オートバイのメンテナンス、チャリのメンテナンス、人間のメンテナンス・・メンテナンスだけで一週間などあっという間に終わる。メンテナンスは目的が介在しない分、鍛練よりも禅の精神に近いだろう。修行僧が毎朝、数百段の石段をていねいに掃き清めるのと似ている。しかしのべつまくなし石段を掃いてばかりで解悟できたという話は聞いたことがない。肉体、機材のメンテナンスは、つねに脳幹のメンテナンスとバランスできていなければならないように思うのだが、まったくもって今のメンテナンスには、乗り手不在のオートバイを磨いているようなケガレをどこか感じる。感じないか?
エンドルフィンが枯渇している。いや、それ以前にドーパミンかな。脳のあちこちが潮風に赤錆びて軋んでいる。がたぴし。おい、このサッシ開かねーぞ。L・ドーパをブチこんでくれ。
昨日の大きな反省があったので、今日はピンポンダッシュをするときぐらいに粛然と気合を入れ、引越いらいダンボール箱に詰め込めたまま押入の奥にこまれていたブクをサルヴェージした。
引越社のダンボールには品目ラベルがあって、「春本・文学本など」を発見し、開梱。とりあえず一番上にあった大江健三郎を取り出し(これは単に艶本をカムフラージュするためだけに表層にかぶせられていた。文学はこんなふうに役立つ)、ホコリを払いながら読んだ。
ノーベル賞作家だ。高尚なことである。が、読んだといっても実際は、中高生のために書かれた文学入門書である。
くり返し、角度を変え、ロシアフォルマリズムの「異化」の効用について説諭している。中高生向きに書かれているにもかかわらず、何度も言葉の意味が分からなくて読み返した。
人生の自動化、早送り化を食い止めようと、日常生活そのものを異化するというのが、カッコよくいったところの今回の小田原移民のコンセプトである。「異化」というもの自体は俺の筋肉を構成する繊維の一本一本にまで浸透している、と思っていた。が、異化すること自体が自動化するという想像も及ばぬ陥穽にはまっていた。さらに、この書物を読むことで、俺はもはや頭脳においては理解、咀嚼する力を有していないことを痛くも認識したのだった。
中高生向けの本ということで悔しくもあったが、思えば遠くまで来たもんだもんだし、昔のように頭で理解しようと足掻きはしない。分からんもんは分からん。が、筋肉が掴む。ぐわし。こんなふうに俺の筋肉が思索的になったのは久々のことで、まさに思索という血流を得た海綿。
2005/09/15
チャイナドレスを着てみた

チャイナドレスを着てみた。
男たちの視線がじつに痛い。特に胸元。裾も気になって落ち着かない。この感覚は経験してみないと男には分からないでろう。
2005/07/07
自信なさそうでいて尊大な風潮
自動販売機で煙草を買ったら、見慣れないデザインの箱が出てきた。
下に注意書きで、
「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。」
とある。
もうひとつ買ってみた。今度は、
「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。」
「妊娠中の喫煙は、胎児の発育障害や早産の原因の一つとなります。」
なんだか、おみくじみたいだ。
よく見ると箱の脇にも新たな文言がついていた。
「本パッケージに記載されている製品名の「super lights」の表現は、本製品の健康に及ぼす悪影響が他製品と比べて小さいことを意味するものではありません」
それにしても、こうもクドクドと大きな字で書かれると、なんだか馬鹿にされている気がする。しかも「原因の一つとなります」とか「悪化させる危険性を高めます」とか、妙に自信なさそうな表現のくせに、ひどく尊大な感じ。そういえば最近、こんなものが多いなあ。自信がないくせに尊大。丁重なようでいて傲慢。どれだけの抑止効果があるのか分からないが、どうせやるなら、読めるか読めないかぐらいの小さな文字で、
「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の120種類の原因のうち、かなり上位の原因となる可能性が高いのですが、遺伝による原因ほど高くはありません。遺伝治療の研究に、煙草の収益金の一部が使われています」
控え目でありながら凛とした強い信念を感じさせますなあ。なんかがんばって煙草吸わなきゃって気になる。ん?
「喫煙はあなたの健康を害する危険性もありますが、地球の生物全体に与える影響からすれば、自動車の排ガスがもたらす危険性に比べれば微々たるものです。煙草の収益金の一部は地球環境の保全のために使われています」
なんかこれも煙草を吸うことに誇りを持っちゃいそう。ボツ。だいたい健康を害するということがいいたいのだから、ズバリそれでいきましょう。
「肺ガン。末期になると苦痛は余人の想像を絶し、幾日も悶絶しながら死に至ります。人工呼吸器をひとたびつければ、二度とこの世で、これをはずすことはできないでしょう。グッドラック。」
グッドラックというところが特に怖い。
2005/06/13
文士的高踏を棄て、公道に革命家を放つ
西へ。
西漸運動の準備をしているときに、よい映画と出会った。
チェ・ゲバラの若き日を描いた映画である。親の言うままに漠然と医師を志望していた喘息もちの若者が、南米の町々をモーターサイクルで無計画旅行するうちに、次第に革命家としての使命にめざめていく過程が静謐なドキュメンタリータッチで描かれている。
モーターサイクルダイヤリーズといいつつ、オートバイは最初の方ですぐに壊れてしまい、ほとんど徒歩とヒッチハイクの旅である。しかしこの旅はただの物見遊山ではない。市井にまみれ、はからずもそこここに生活する人々とともに時間を共有し、別れ、次の地へと進むことのくり返しである。
日本という国の、人の何たるかを求めての俺の西漸運動もまた、きわめてミニマムスケールながら、高邁な無軌道なる精神性においてチェ・ゲバラの旅と多く通ずる。
・無計画であること。
・地方都市で市井にまみれ、生活すること。
・はからずも、革命家としての視点を強めていくこと。
・歴史的な遺跡で思索を深めていること。(ゲバラの場合はマチュピチュで大きく覚醒)
やはり俺は革命家なんだったなあと、映画を見たぐらいで響いちゃってるほどの軟弱なプチ革命家ではあるが、人間をふたつに分けるとすれば、革命家であるか、そうでないか、といった点において、プチ革命家であることは重要であると勝手に認識する。ワタシはこのプチ革命家の同志を探して西へ進むのかもしれない。
これから俺のことを、チェ・チッピーロと呼んでくれ。
革命家は偏屈ではいけないかも
革命家とは今、何をすべきなのかを日々考えている。
・市井(しせい)にまみれる。→ボヘミアン西漸運動を展開中。
・歴史の中で現在を捉える。→山川出版社の高校学参「詳述世界史」を買った。
・たくましい生活力 →兼業主夫生活歴、半年経過。
・信念を支える強靱な肉体 →アイアンマン・トライアスロンにむけての鍛練。
「あれ。作家はやめたの?」と横槍。
「いつ僕が作家になりたいと言いましたか」
「ああ、文士だっけ? いっしょじゃん」
ぜんぜん違うんだが、ここは革命家らしく、うぐとこらえて言葉を呑み込む。本源的には高踏的な視点に立ちながら、本の売れ行きや出版界というビジネスにまみれざるをえない作家という職業のもつ二面性が、どうも俺の中でうまく折り合いがつかなかったのは事実だ。作家というよりは辻説法に近く、理知派というよりは肉体派、それは職業というよりは根拠なき使命感であって、どうもしっくりこないから「革命文士」などという造語を作ってみたりもしていたが、やはりどうも違う。
職業はなんだと問われれば、「革命家」と即答したいところだが、それだけの自信もなかった。だから伝説的革命家エルネスト・チェ・ゲバラの若かりし日を描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』は大きな勇気になった。
ぜんそくもちの医学生エルネストが、単に漠然と何かをしようとオートバイの旅に便乗。遠距離恋愛中の女に会ってちくちく戯れたり、壊れたオートバイを持ち込んだ修理工の人妻に手をだして痛い目に遭いそうになったり、革命家にはほど遠い青春版『モーターサイクル・ダイアリーズ』なのであるが、これがいきおい革命家を指向する旅へと発展するのは、臨終したオートバイをうっちゃって、徒歩とヒッチハイクの旅程となってからである。徒歩の速度で市井にまみれ、弱者に寄り添い、苦労して自分の足で登ったマチュピチュの遺跡から歴史的啓示を受け、まだ頼りなげではあるけれども凛としたひとつのベクトルを見つける。
モーターサイクルはエルネストにきっかけを与える役割だったわけで、モーターサイクルは壊れてしまうことで至高の意味を持った。題名を裏切るようだが、壊れてしまってからの、壊れてしまったからこそのモーターサイクル・ダイアリーズなのだ。
オートバイはじつに高踏的な乗り物だ。排他的で孤高。
もしエルネストが高速道路を使い、HONDAのオートバイに乗って旅をしていたら、彼は革命家チェ・ゲバラになっただろうか? おそらくは「チェ」なしの作家エルネスト・ゲバラか、医師エルネスト・ゲバラ、あるいは渡辺淳一みたいに作家兼医師のエルネスト・ゲバラ?
そうそう。革命家にいちばん必要なもの。
世界愛というモチベーション、そして行動
これについては、往時のエルネストと同じく、今何をすべきかは俺も分からない。それは時節の方が勝手にやって来るはずだ。
しかし少なくとも偏屈は直そう。文士に偏屈は必要だが、偏屈な革命家、これはちょっといけない。
文士的高踏を棄て、自動車教習所視察
これまでの俺は長らく文士的高踏に甘たれて身をゆだねてきた。
クルマの運転などは運転手にやらせておけばよろしい。この時代、免許はみんな持っているし、取引先の社長であれども絶佳の美女であれども、俺の前ではみな運転手である。というのも免許を持っていないというのはまことに高踏的な立場で、たとえば相手が合衆国大統領であっても俺とふたりになるや「ぼく、免許もってないんで」のひとことで運転手になってもらうことができたのである。
なんてのほほんとしていたのだが、偏屈文士ならばそんな高踏さも愛嬌で許されるところもあるのだが、これが革命家となるとそうはいかない。
ヴ・ナロード! 人民とともに、であり、世界愛への奉仕者であり闘士なんであるから、トラックのひとつふたつ運転できないと、ぜんぜんだめではないですか。
革命家として生きるには、まずもって偏屈偏狭を叩き直す必要があると強く感じた先日のできごとについて。
たまごっちが肉体を滅ぼす
たまごっちブーム再燃も三度目ぐらいだろうか。先日の学童保育所の集まりで親、子ども20人ばかりと酒席をもうけたとき、どの子もたまごっちにうち興じ、親たちもたまごっちの話題に白熱していた。中にあって俺はひとり高踏的に薄ら笑いを浮かべ端然としていると、あやや、わが娘もかたわらでいつの間に略奪してきたのか巻き寿司など喰いながら、ひとり高踏的に薄ら笑いを浮かべているではありませんか。俺は諭しました。
「餓鬼は餓鬼らしく餓鬼と遊んできんしゃい」
「だって、たまごっち持ってないんだもん」
すると母親たちの視線がこちらに集まり、ぜひともたまごっちを与えるよう諭された。やっぱそうですよねー、そうします、と回答。それはほんとうにそう思ったからで、別に市原家において人民的な遊具娯楽を禁止しているわけではなくて、単に俺自身がたまごっちに朝から晩まで、そして晩から朝までドハマりにハマってしまう可能性の高さを危惧していただけなのである。
前例が何度かあって、ドラクエのために高校3年の課程の3分の1を欠席し、肉体の限界に挑む無着陸連続操業のために口の中に最大6個の口内炎を患った。形を変えながら、大学時代も一度二度はそうなって、ほんとにゲエムをやりだすと延々とやめられないし、金はかからないし、もうこのまま一生これでいいんじゃないかという退廃的な気持ちに支配され、連日連夜、自らの肉体が朽ち果てるまでやめることができない。以来、テレビ、ゲエム類はすべて封じた。
しかし娘が生まれてからも、一度だけ、このぐらいならだいじょうぶだろうと思ってはじめたソリティア(パソコンに最初からついている単純なトランプゲーム。何かの拍子に発見してしまったのだ)によってまるまる1週間を無駄にした。よく飽きないねえ、というより、眠らないでやりつづけてしんどくない? と首をかしげる健常者のワイフには到底理解できないだろうが、俺にとってゲエム、テレビの類はそのぐらい中毒性の高い麻薬なのである。
「たまごっちなんて子どもっぽいし、ほしくない」
と娘に言われたときには、その屈折した大人ぶり(子どもっぽいって、お前は子どもじゃないか!)に驚愕した。父親が偏屈偏狭ならば小学二年にして娘まで偏屈偏狭。これはいかんと思い、
「たまごっちいいと思うなあ。おとーさん、ほしいんだけどなあ」
「じゃ、おとーさん買えば」
ぬぐぐ。
飛行機に乗れない
高踏の法衣を捨てて生きていくというのは、俺にとって皇国天皇の人間宣言みたいなものだ。しかし今こそ高踏的偏屈偏狭を矯正しようと思う。
・クルマを運転できない(免許がない)
・飛行機に乗れない
このふたつはたいていの人が眉をひそめる。
「イチハラってどんなやつだっけ?」
「あのクルマに乗れない飛行機に乗れないの偏屈な男」
「ああ、あいつね、あの偏狭な男ね」
といった会話は実際、取引先のあいだで交わされているそうである。先日までは、20年来の千葉県民でありながらディズニーランドに行ったことがないというのも偏狭偏屈項目の上位に入っていたが、これは娘と行って解消。このときほどつまらなさそうな娘の表情ははじめて見た。
革命家ならば飛行機に乗れないのはよろしくないが、飛行機は人民船どころか、窓が開かない起居もできない、で、まったくもって奴隷船である。ファストクラスならばよさそうだが、金がないし、第一、国内線にはファストクラスはないと聞いた。
しかし、今はもう、ヴ・ナロード! 人民の中へ! であるから、奴隷船を忌諱するファストクラス的な高踏高慢を捨てよう。でもやっぱり飛行機だけは、どうも人間としてやってはいかんのではないか、人間は空を飛んではいかんのではないか、いくらなんでもやりすぎなんではないか、という気がして、神が鳥だけに許した大空を爆音を上げて大手を振って飛ぶあの傲慢な姿、その傲慢さと裏腹にあのちっぽけな金属筒の中に何百人という人民が肩を寄せひしめきあっているのだと思うと、大地にいながら悲愴な思いにとらわれてやまないのである。
先日抜いたばかりの小指の頭ほどもある親知らずの歯に軽くキスをする。
神さま、この問題についてはいつかお導きください。
やりやすい方から
飛行機の方はとりあえず神さんに委任しておくとして、まず取り組むべきはクルマの方である。
行動こそ革命家の身上、さっそく自動車教習所に高踏的ドカティで視察に行ってきた。大型オートバイやスクーターがわらわら走っているのが目に入った。15年前に教習所に通ったときはどちらもなかった。時代の流れを感じた。しかも、スクーターやらで教習しているのはほへらほへらの男たちで、大型オートバイをぶわんぶわんやっているのは3人が3人ともうら若き乙女たちだった。時代の流れを感じた。
ちょちょい待ち、高踏的貴族的なオートバイなど眺めている場合ではないのでした。人民の四輪車に目を向けると、ほわりほわり走っていて、じつに牧歌的な光景。しかし同時に巨大な恐怖が俺を襲う。告白します。
高踏的貴族的なオートバイ一本でこれまでやってきたのは、じつは高踏的な理由だけではなくて、一番の要因は断固としてクルマが恐い。ほんとうに恐い。
くり返しみる悪夢の筆頭が、クルマを運転している夢である。夢の中でいつも俺は無免許運転で、どきどきして汗びっしょりである。いくどかの試練を越え、最後は必ずどかんクラッシュ。いつもきまってアクセルとブレーキがどちらか迷って混乱するのだ。知らない女に誘惑されて早漏、というのもしばしばみる悪夢のひとつだが、これはパンツが汚れることをのぞけばある種の甘美さがある分、クルマの夢より精神的なダメージは小さい。
バックの恐怖というのもある。後ろ向きに進むということをやったことがないだけに、どうしてもバックが恐い。ゴールドウィングという1800CCのオートバイにはバックギヤがついていて、使ってみたらいきなり駐車場のパイロンをなぎ倒した。バックは鬼門。
じっとしていられないので渋滞が恐い。交通強者になって人を傷つけるのが恐い。オートバイは馬の延長みたいなイメージだからいいが、クルマは昔見たアニメのロボットみたいに人間が内部に乗り込むというイメージが恐い。
ほわりほわりと進む教習所のクルマを見ているうちに、さまざまな恐怖と面倒くささにうち砕かれそうになった。中型二輪教習のときも卒業検定で放擲逃亡、一年後にゼロから再教習。限定解除のときも、事前審査に2回落ちて放擲、一年後に再度チャレンジで一発合格・・つまり過去は悪例ばかりだ。放擲せずほんとにクルマに乗れるようになるのか。夢にまでみる恐怖を克服できるのか。
ヴ・ナロード!
ポケットからお守りの親知らずの歯を取りだし、そっとキスした。
ちょっと勇気がわいた。人肉喰ってスーパー戦士になったんだし、と自分に言い聞かせながら世界への愛を思った。俺は人民のために、このほわりほわりと動く四つタイヤに乗るのだ。親知らずにキス。
視察の予定が、勢いあまって入校手続きをしてしまった。入校式と一限目の実技教習は翌日からである。

