| 月曜日という曜日は、2002年においては僕が32歳になる曜日である。次の4月1日月曜日は、世界中の人にとっては毎年やってくる「嘘をつく日」だが、僕にとっては真剣に32歳になる日なのだ。
だからこれから4月1日までの残り2週間は、仕事も何もうっちゃって、ただひたすら32歳をどういう年にするか真剣に考えなければならないと、せつに思っている。これまであまりに流れのままに身勝手に生きてきたので、ここいらへんでひとつ一年一年をちゃんとしっかり生きていかないかんと思ったりしたのである。
だいたいマジメに人生を生きないかんと思ったりしたのは、かれこれ10年前、成人式の直前に高野悦子の著名なる日記「20歳の原点」を読んだのが最初であるが、このときは僕もまだ紅顔の19歳だったわけで、「おんどれ、われもこんな日記を書いて人生をマジメに考えないかんぞ、おんどれ」というその殊勝な決意を持続させていれば、今ごろはまっとうな職業人として家庭人として生きておったのではないか。しかしその書きはじめた日記は確かに現在に至るまで継続されているのだが、しかし過去のページを繰ってみると、1995年から2001年までは毎年の書きだしが、どの年も、
「そして半年がたった。」
である。
なんだ、その「そして」というのは! いったいこれは小説か? と、まことにもって噴飯ものだが、つまりこれは高野悦子氏の血のにじむような魂の記録のような日記などではなく、100%言い訳だけが存在価値の「半年記」と堕している。しかも言い訳を補完しようという卑屈な根性が、想像の世界の読み物風に日記を展開させ、スピードとスリルとサスペンス、あることないことが混在し独自の思想空間をひらめかせ、これが滅法おもしろかったりして、いったいこれはなんなんだ? こんなことで、まっとうな人生が歩めるわけがない。
そこで僕は発奮した。つまり燃えたわけだ。
まず僕は、水槽と土壁のあいだの谷間で2センチもホコリをかぶっていたキティちゃんのホワイトボードを引きずりだし、ぺぺっとホコリを払うと、そこにこう書きつけた。
「目標をたてよう」
腕を組み、眉根にしわを寄せ、少し遠目に見てみる。ううむ、なんとも弱々しい。そこで僕は書き直した。
「目標をたてる」
これもちょっと寂しげなので、最後に「!」を4個つけて、ちょっとかっこうがついた。
4月1日月曜日まであと2週間。この2週間でどんな目標をたてるかが人生の岐路となる。なぜなら僕はやりはじめたことをやめられないタイプの人間だ。あの「半年記」と堕した日記のように。
そう思うと不安になって、あわてて僕は最後の横にもうひとつ「!」をつけたした。
* * *
目標というものは小ずるく達成するものである。
達成できそうにないと分かったときに、達成できるように目標のハードルをレベルダウンさせたり、目標自体の意味を達成可能な範囲に拡大解釈できるようなあいまいさがよい。「目標売り上げ●●円」とか、「目標はどこそれの賞をとる」とか、そんなハードなやつは見ただけで怖い。
僕は32歳という年齢を考えた。これまで、「男は誤ち、女は許す」というDon Alamos Cippilloの小説のなかに出てくる言葉を盾に、まさにありとあらゆる男の身勝手道を邁進してきた。そのためにフェミニストに何度暗殺されかかったかしれないほどだが、「たぶん俺達は間違っている」という、やはりDon
Alamosからの引用のもとに、いわば確信犯的に自分の身勝手を美化してきたのも事実だ。
しかし32歳という年齢の男がそんなことをつづけるためには、社会的にかなり本格的に一線を画す実力がともなっていないと、ただの歩く人迷惑である。鼻つまみの勘違い野郎である。と、いうようなことに気がついた。32歳の男が新宿の路上で酒を飲んで精神的革命論をぶちまけたところで、見てみぬふりをされるのがオチである。つまり僕は31歳までに折り目正しく無頼派作家になっていなければならなかったのに、気がついてみると小説も書かずに、ただ酒を飲んだり暴れたりしているだけだった。これだけは確かだが、一文一行も書かずに飲んだり暴れたりしているのは無頼派作家どころか、ただの飲んだくれである。
なんというか、つまるところ、知らないうちに、だんだんと人間がダメになってきているのある。
僕はきちんと歯を磨いてから、キティちゃんのホワイトボードの左隅に「身勝手」と横書きで記し、次に「目標をたてる」と五つの「!」マークを消し、かわりに一行を書いた。しかし途中でマジックのインキが切れ、下半分が読めないぐらい薄くなった。しかしそれはなんともその記述にぴったりとなじんでいた。消えかかった文字は次のようにある。
「だんだん、ダメになってる」
* * *
だんだんダメになっている僕は、いつもならこんなときとりあえずワンカップの日本酒を買いに行くところを、その日はホワイトボードのマジックインキを買いに町にでた。
桜前線が日本列島を縦断しつつあるのは風の匂いであきらかだった。平日の真昼間に、マジックインキを求めて町を歩いているような男とは何かと考えると、ますます僕のだんだんダメ感は強まっていき、気がつくと酒屋のビニール袋の中でワンカップの日本酒がかちゃかちゃ音を立てている。通りかかった市民公園のベンチに腰をおろして、ワンカップの日本酒を飲んだ。
するとわきの潅木の茂みからむくりと起きあがったものがあった。垢で顔が真黒の公園生活者だった。酒の匂いを嗅ぎつけたのだろう、皮のむけた鼻の頭をひくひくさせていた。
僕は袋のなかから一本を差しだした。
「悪いね。」と、目やにを小指の先でこすりながら男は奇妙に高い声でいった。彼は僕の反対側のベンチの端に半座りみたいなかっこうで腰をおろし、ワンカップをちびりちびりと舐めるような飲み方をした。小さな公園には僕と男のほかには、鳩さえもいなかった。
「どうした?」と、男がいった。
僕が黙って笑うと、
「悩みでもあるのかね?」
「ええ、まあ。たいしたことじゃないんですけどね。」
「若者は悩みとともにある。ゲーテを読むといい。」
「そんなものですかね。」
「若者が悩んだら、迷わずゲーテってことに昔から決まっとる。」
彼のいう「ゲーテ」は「ギョエテ」に近い本格的な発音だった。
「大学教授か何かだったんですか?」僕は遠慮なくそう訊いた。
「ただの読書家だよ。時間はいくらでもあるんでね。」
僕は、なるほど、といって酒を口にふくんだ。母子の親子連れが公園の入口に入ってきたが、ベンチの上の僕たちの姿を見て子どもを引きずるように去っていった。
「なんかですね、自分がだんだんダメになってる気がしてですね。」
彼は透明のカップを見つめ、それをくるくると少し振ってから、
「うん。分かるよ、そういうの。」
「煙草、吸います?」
男はうなずき、無造作に一本を抜き取った。ベンチの端から身をのりだして彼の煙草に火をつけ、体をもどしながら自分のにも火をつけた。僕たちはしばらく無言で煙草を吸った。少しつぶれかけたピースの箱を僕は表裏させて眺め、ベンチの上を男の方にむかって弾いた。男は黙ってそれをポケットに入れると、ひとこと、
「酒と煙草は、強いほどいい。」
ワンカップを飲んでしまうと男は、ビニール袋がカラなのをちらりと見て、彼のダンボールハウスがある茂みへともどっていった。僕はそのままベンチでもう一本煙草を吸い、それから立ちあがって駅をめざした。
家にもどると、さっそく買ってきたマジックインキでホワイトボードにこう書きたした。
酒と煙草は、強いほどいい
* * *
エイプリール・フールまであと十日。
僕は混乱を深めていた。なんといっても、32歳目前になって、ふと何げなくオールを漕ぐ手を休めて後ろを振り返ってみたら、どこにも陸地がないじゃん、これってはっきりいって遭難じゃん、って感じなのだ。しかるに、これからの輝かしい人生の羅針盤となるキティちゃんのホワイトボードには、いまだ「だんだんダメになってる」と「酒と煙草は、強いほどいい」しか書かれていない。
「いったいどうしよう?」
と、僕は悲壮な表情を漂わせ、哀願するように妻に訊ねてみた。
彼女は少しのあいだ、くびをかしげて僕を見ていてたが、ぱちりとまばたきをひとつして、
「あなた、どっかおかしいんじゃない? だいじょうぶ?」
僕は今にも崩れ落ちそうな弱々しさで、
「僕は金輪際、身勝手をやめて、いい人間になるなんてのはどうかなと考えてる。」
彼女は言下に、
「あなたはそのままでいいのよ。」
そのままではいかんと思っているから相談しているのに、そのままでいいとは何たることか。僕は父と弟に同じことを訊いてみた。
「お前はそのままでええんじゃ。」
そのままではいかんと思って訊いているというのに、そのままでええんじゃとは何たることか。僕は産婆法を実践するソクラテスのように、誰かまわず人を捉えては同じ質問を投げかけた。
「そのままでいいんじゃない?」
「変わると、いいところもなくなっちゃうかもよ。」
「そんなこと、知ったことか。勝手にやれ」
「あほ。」
僕は絶望した。変わればよくなるという意見が、ただのひとつもないのだ。
そしてこんなときに限って、出る先々のへたくそな営業はことごとく成功し、待て俺は仕事なんかしている場合じゃないんだ、人間として真剣に考えなければ一生涯だんだんダメになって、酒と煙草だけが強い男になってしまうではないかと悶絶しながらも、まるでロシヤの小役人のように働いている。仕事が入れば入るほど僕の混乱は深まり、昼間から日本酒をあおっている。酔うと人恋しくなって、ふだんなら電話しないようなところにあちこち「モシモシご無沙汰してま〜す」なんてやっていると、これが意外なことにするすると次の仕事につながっていったりして、ますます僕の混乱は深まっていくばかりだ。以前なら仕事が決まったときは、まず何をおいても客や業者とキャパクラに走り、刹那の小市民的豪遊を謳歌したものだが、今は孤独な小市民的成功者の憂うつにひたるのみである。
そんなわけで、とりあえず僕は歯を磨き、ホワイトボードの角度をちょっと直してから靴をはき、キャパクラに行った。
「そうね、女は何だかんだいって、やさしい人が好きかな。」とキャパ女はいった。キャパ嬢といわずキャパ女と書いたのは、彼女が訊きもしないのに自分から「私は店の女の子のなかで、いちばん年くってるの」といって笑ったからだ。店のどの若い子も真似なんかできないぐらいいい笑顔だと僕は思った。
「でもそれって、ふつうだよ。」と僕はいった。
「ふつうでいいのよ。女って。ふつうでいいのよ。」とキャパ女はいった。
かの志賀直哉翁が「暗夜行路」第1部において結論として断じた「迷いの解決はあまねく乳房の谷間に或り」という洞察のとおり、僕はこの日、新宿雑居ビルの小さなキャパクラのミラーボールに映しだされながら革命的な発想と出遭った。のちにキティちゃんのホワイトボードには、次の叙述が残された。
やさしい人が好き
* * *
桜満開の日曜日。家からはるか800キロ離れた広島の空の下にいた。とにかくやっと異郷の地に赴くことができた。この三日間、仕事と結婚式とで大阪、広島と夜を渡り歩き、「男のやさしさ」について異境異国のキャパ嬢の教えを請うた。
大阪嬢には燃え立つように激しく教えられ、広島嬢にはみっちりねっちり粘り強く教えられ、フィリツピン嬢には言葉の壁を超えてせつなく美しく教えられ、それぞれのニュアンスは微妙に異なりつつも根底にあるものは同じであると思い知るに至った。「やさしい人が好き」というのは、もはやグローバルなスタンダードなのだ。
僕はホテル備えつけの小さな石鹸のかけらを手に取り、シャワールームの大きな鏡に「やさしい人が好き」と自らに刻み込むように書き残し、早朝五時に広島のホテルを後にした。
そのまま始発ののぞみに乗って帰る予定だった。がしかし、新幹線に乗り遅れた。
やさしい人のせいである。
じつは、広島駅新幹線ホームに昇るエスカレーターの手すりにつかまっているときに、ふと、やさしい人というものは異郷の地に行ったりしたときなんかは土産を買うものではないかと思いついた。そして長いエスカレーターを昇りきってから、下りのエスカレーターを降り、あたりを見わたした。土産屋はまだ開いていない。しかし広島の名物はなんだ? こういうとき、やさしい男ならば、即座に広島の銘菓、名品、銘酒のそれぞれ2つや3つぐらいは思い浮かぶのだろう。あるいは出発前に入念なリサーチを済ませ、手帳に細かい字でびっちり書いてたりする可能性もある。なんといっても、やさしい男なのだ。
そうだ! 広島といえば「もみじ饅頭」だ。僕だってちゃんと知っているじゃないか。いやそれは嘘だ。そこのノボリに書いてあるのを見ただけだ。
しかし待ってくれ。やさしい男が、そこらじゅうのノボリに書いてあるようなありきたりの土産なんかを買うであろうか。いかにも無精して、とりあえず買ってきましたあ、なんて雰囲気が漂っているではないか。
いかんいかん「もみじ饅頭」もダメだし、「しゃもじ」なんて言語道断だ。ノボリが出ているやつはみんなダメだ。「賀茂鶴」って広島の酒だったのか。知らないで飲んでいたが、そんなん東京でも買えるではないか。却下却下。断然、却下である。
いや待て。ノボリは立っているが、そもそもどこも土産屋が開いていない。朝が早すぎだ。ひとつだけ開いていた一番遠くの店に駆け込んだ。そこで目に飛び込んできたものは、
「牡蠣雑炊」
僕は小躍りした。あんまし聞いたことないし、だいいち、美味そうだ。牡蠣雑炊にこそ男のやさしさがにじみでている。
しかし土産というものを買う習慣がなかった僕はここではたと困った。いったいいくつ買えばいいのか分からなかったのだ。あいつに買って、あいつに買わないとなると問題だし、かといってあいつにも買うなら、あいつにも買っていかなければ筋が通らないし、そうなると店の在庫すべてをもってしても足りぬ数になりそうだ。こういうとき、やさしい男ならばどうするのだろうか。分からないときは人に訊くのが一番だ。土産を選んでいたやさしそうな中年男に声をかけた。
「すみません。何個買います?」
「あは?」
「いえ。それ、何個買うのかなあと思いまして、」
「悪いけどね、列車の時間なんで。」
やさしそうな中年男はそそくさとレジに向かった。ぜんぜんやさしくないじゃん。いやいや、確かに新幹線の時間だ。僕は焦った。時間はあと2分ちょっとしかない。ここで土産を買わずにエスカレーターに飛び乗ってしまっては、帰りの車中で後悔しつづけることは目に見えている。なんといっても自分はやさしい男になるのだ。
抱えられるだけの牡蠣雑炊を抱え、どすんとレジに置いた。かなりの出費だ。そして何より牡蠣雑炊というやつは本気で重い。これぞやさしさ。苦労してこそ、やさしさが光るというものである。
僕が牡蠣雑炊がいっぱいにつまった二つの袋を両手に抱えて持ちあげたとき、はるかかなたのエスカレーターの上から、発車を告げるベルの音が聞こえてきた。駆けだしたとたん、紙袋の把っ手がすっぽ抜け、反動で袋が破け、牡蠣雑炊が磨きこまれたタイルの上をあっちこっちに滑っていった。
「ありゃりゃりゃー!」
と、店のおばさんが走り寄ってきたが、同時に天井の上をごごんごごんと新幹線が走り去っていった。テンポを速めていくごごんごごんの音が響く天井を見上げ、僕は両腕を映画プラトーンのポスターみたいに高々と差しのべて、いった。
「ありゃりゃりゃー!」
ベトナム戦争の軍用ヘリの音に似た轟音の嵐と混乱の中で、僕は天を抱くかっこうのまま、まさに雷のような啓示を受けたのだった。つまりそれはこういうことだ。
やさしい男は必然的に苦労をかさね、ますますやさしさに磨きがかかる。身勝手な男は苦労しないから、ますます身勝手になる。
すごい発見だ。アルキメデス級の発見である。かがみこんで僕の顔をじっと見ているおばさんに、
「いひ!」
もちろんそれはアルキメデスの「われ発見せり」の「イヒ」のつもりだったのだが、おばさんは「いい」と聞こえたらしく「あそ」といってそそくさと店にもどっていった。
やさしい男というのは、タフでなければ生きていけない。
* * *
木曜日の真昼。エイプリル・フールまで、わずか週末を残すのみとなった。
今、僕の手もとには一枚の紙がある。摘出された大小さまざまの胆石が、まるでジュラ紀の化石の標本かなにかのようにガラスケースに納められている花島外科胃腸科のエントランスで、僕はもう一度その紙に目を落とした。3月31日日曜日付けの、医者からの招待状であった。
広島から東京に帰ってきてからの四日間は、ひたすら「やさしさ」の特訓の日々だった。
花屋に行き、細君に花を贈ってみたりした。花をもらってうれしくない女はいない、とかつて彼女がいっていたのを思いだし、即、実践したわけである。
「なに、これ?」
「なにって、花。」
細君は受け取ろうともしない。
「何の日だっけ?」と、まるで年金詐欺師でも見るような目で花と僕とを見比べている。
「何でもないふつうの日。」
「キモチわるい。」
花を贈るやさしい男にむかって気持ちわるいとは、いったい何ごとであろうか。彼女は気でも狂ったのだろうか。しかしやさしい男はここで逆上したりはしない。僕はただコップに日本酒をなみなみに入れ、それを一気にあおった。そして日が落ちると、やさしさの教えを求めて繁華街を彷徨する毎日がつづいた。酒と女と夜の街。うーん、無頼だなあ、とっても無頼だよなあと春めいた夜風を頬で切りながら、そうじゃないそうじゃない、やさしい男になるのだったと思いだしながらも、今は黙して座学だ、蘊蓄をためこむのだと割りきって、またもう一軒。
ふと、やさしくない男というのは小説に出てくるだろうかと思い、調べてみることにした。やさしくない主人公。やさしくないヒーロー。やっぱりそんなものはいなかった。特殊な小説をのぞいて、やっぱりそれはグローバルなスタンダードであった。そして帰るときに本屋の紙袋のなかには、岩波ジュニア新書「ひとの気持ちを考える」。これはこの一年で、もっとも感銘を受けた書物であったことは間違いない。
「ふつうの人が中学生で悩んだり考えたりする壁に、たった今ぶつかってるのね。あなたは。」
岩波ジュニア新書「ひとの気持ちを考える」を見て、細君が、いった。「ほんッとに、純粋なのねえ。」
「からかわないでくれ。」
「でもやさしさって、相手に喜んでもらいたいって気持ちでしょ。そこを考えないで、いくらお風呂のお湯張りがうまくなったとしても、満足するのは自分だけよ。それも、やっぱり一種の身勝手なんじゃない?」
「ちゃんと相手に喜んでもらいたいって思ってるよ。」
「でも私がそうしてほしいって、いった?」
彼女は椅子の後ろから僕の頭をなでながら、「私の考えているやさしい男って、男らしい男よ。それが何だか、分かる?」
彼女は僕のすわっている回転椅子をくるりとまわし、中腰になって真正面から僕の顔を見て、こういった。
「テツガクよ。」
翌日、僕は胃に穴が開いた。やさしい男の重圧が激しいストレスとなって胃壁を破ったのだった。こうして、今、僕の手もとにある紙には、3月31日に胃内視鏡検査を行うにあたる注意書きが記されている。
検査前日の夜、近所の父親の家に寄ると、
「おう、明日検査か。まあ飲め飲め。いい消毒だぞ。だいたいだな、検査の前におりこうさんにしようという考えが間違いなんや。とことん悪いところをさらけださな、検査の意味がないぞ。」
細君は苦笑しながら僕の耳もとで、
「こういうやさしさもあるんじゃない?」
と、いった。
僕は心から愉快になり、父と大いに飲んだ。帰りしな、医者からもらった薬剤を飲もうとしたとき、父は赤ら顔でいった。
「おう? 調子悪いんか?」
「だから検査受けるんだよ。」
「人間ドックとちゃうんやったんか?」
「検査だよ。胃カメラのね。」
「おいおい。そりゃ、飲んだらあかんで。」
外に出たとき、時計は深夜をまわっていた。夜のアスファルトの上で桜の花びらが波のように揺れた。あたりを見まわしてみたが、桜の木はなかった。花びらは街路灯の白い光を受けて、しんと冷たく冴えていた。
3月31日日曜日。午前1時。
* * *
僕の31歳最後の日であり、最後の日曜日は、胃カメラを飲むことからはじまった。
「いや〜、きれいな胃だねえ。」
「どっか穴が開いてるはずなんですけど。」
「いや〜、健康の見本みたいな胃だよ。標本にしたいぐらいだ。潰瘍のあともないし、荒れてもないね。お酒とたばこは?」
「かなりなもんです。」
「丈夫なんだねえ。」
「薬、もらえます?」
「薬、いるの?」
「たくさんください。」
医者はまじまじと僕の顔を見て、とつぜん、
「君はトランクスじゃないんだね。」
「僕の知っているかぎり、おむつ以来、ずっとこれです。」
薬と何か関係があるのか僕には分からなかった。次の検査を待っている人は、もう検査室のなかに入っていて怪訝な表情で僕たちのことを見ていた。
「先生。」
「は?」
「トランクスって・・?」
医師は強く鼻をもむとパイプ椅子から立ち上がり、いった。「ぶーらぶら。」
ということで僕は大量の薬をもらい、そのままトランクスを買いに行った。店から出るときにはすでにそれを着用していた。どうしてもはいて帰ると主張したときに店員とひと悶着あったが、そんなことはどうでもよかった。そしてこれぞ大人の男になるということなのだと感じ入ったのだった。感じの悪い店員のために、古いブリーフは試着室に置いてきた。
しかし何という爽快さだ。これぞ自由というものだ。これ以上の肉体感覚的な自由が男にとってあろうか。胃も健康、これぞ男性性の解放、まさに解き放たれた獣ってやつだ。
オートバイで走っていると、桜が最後の名残りを断ちきるように2002年の残り花を盛大に振り落としていた。木によっては完全に葉桜になっているものもあった。オートバイに乗ったまま花曇りの空の下を、僕はあてもなく走った。ぶーらぶら、と。
江戸川を越え、下町を抜けて、僕とオートバイと新しいトランクスは走りつづけ、桜並木のひなびた商店街をくぐり抜けたところで止まった。そこは駅のロータリーのようになっていた。ロータリーのまんなかが公園のようになっていて、ここにも桜の木が円環状に植えられていた。今しがたオートバイを止めた場所がバス停内だということに気づいて、オートバイを押してすぐ横の祠(ほこら)に移動した。ここにもまた見事な桜の古木があった。
石造りの垣根に腰をかけて煙草をたてつづけに四本吸った。四本目の煙草に火をつけたとき、何気なく目を上げると苔むした立派な墓がたたずんでいた。そこに刻まれている文字を見ようとして立ちあがると、一陣の風が地面の花びらをつむじに巻き込みながら駆け抜けていき、まるで映画のような花吹雪が石塔を霞ませた。
新撰組隊長 近藤 勇
僕は石塔の表面を指でなぞり、その年月が体のなかにしみ込んでいく感触をゆっくりと味わった。
「近藤さん、あんたも哲学を?」
煙草を一本供えようという考えが浮かび、胸ポケットをさぐると、いつ舞い込んだのか桃色のきれいな花びらがはらりと袖口から落ちた。僕はそれを目の高さにもっていき、
石塔にむかって笑いかけた。
オートバイにまたがろうとすると、一人の老人が煙草を突きつけてきた。今しがた僕が墓前に置いてきた煙草だった。
「禁煙中じゃ。」
「禁煙?」
僕は近藤勇の墓を振り返った。
「そういうこと。」と老人がいった。
「そうなんですか?」
老人はうなずいて、その煙草を自分のポケットに入れた。僕はヘルメットをかぶり、セルスターターを始動させた。
「近藤さんって、どんな人でした?」
そのとき老人ははじめて笑った。口の中には歯がなく、顔の下にぽっかりと穴が開いたかんじだった。ちょうどオートバイを発進させたタイミングといっしょだったので、老人の返事はよく聞こえなかった。ただ、オートバイを走らせながら僕の耳にはこんなふうに聞こえた。
「悪ノリ。」
* * *
2002年4月1日、エイプリール・フールにして僕の32歳の誕生日である日を目前にして、最終的にキティちゃんのホワイトボードに記されることになった叙述(ディスクール)は次のようなものだった。
人生は、悪ノリ。
そうそう。目標の話をしなければならない。このきわめてセンチメンタルにして個人的な記録を忍耐強く読んでくれた読者に対する礼儀であり義務であると信ずるからである。
これに関しては、僕のあの痛快にして類いまれなる市原千尋の日記帳の1992年の4月1日の28行目、つまり、今からちょうど11年前に21歳の誕生日を迎えた僕が書いた文章の最後の部分からの引用が最適であろうと思う。
そこにはこうある。
そもそも、エイプリル・フウルに目標などたてようというのが馬鹿げている。
(了)
(1 Apl. 2002)
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