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その一家は私たち家族より少し遅れて店に入ってきた。
駅裏の回転寿司屋。カウンター席と四人がけのテーブル席が二つ。
時刻が半端だったこともあって、客はテーブル席についている彼らと私の家族、それと初老の夫婦ほか、カウンターの数人だけだったから、回転するコンベアーの上に皿は流れていなかった。
「ね、どんどん注文してねッ。サンマ、おいしいよ。ほかに赤貝、中トロ……、」
板前の口上をさえぎり、カウンター席から「中トロちょうだい」と声がかかる。あいいよぅっと威勢のいいかけ声。どの席からも次々に注文が入る。負けじと名乗りをあげる当家の細君。テーブルはみるみる見目麗しき皿で満たされた。
しかるに隣の一家は、さっきから、もうずいぶん長いこと沈黙を守っている。すでに四皿を腹のなかにおさめ、ちょっと一息、ショウガをつまみつまみしていた私は、少し興味をもってこの一家を眺めた。
四人がけのテーブルに、祖母、嫁、小学生ぐらいの娘三人と一家の主が所狭しと並び、ひそひそと何やら家族会議をしている。別に盗み聞きをする気などなかったが、ちらちらとネタの名前がもれてくる。それがまるで遠い夢でも語りあっているかのように小声であれが食べたいこれが食べたいといっているだけで、誰一人として現実に声をあげて注文しようという様子がない。
おそろしく控え目な一家であった。私はにわかに勇気づけられた。
というのは、かくいう私も回転寿司における神髄は「待ちのこころ」にありと直言してはばからぬ謹厳な一派であり、まさに一枚一枚の皿との出会いは一期一会、皿の流れてくる上流をのぞきこむなど言語道断、流れにはちょいと斜に背をむけて、思いもかけず視界に飛び込んできた皿に一喜一憂し、これぞ邂逅と心に決めた皿をば「ひょい」とつまみあげるささやかな喜びこそ真骨頂と決めこんでいる。
店を出るまで目当ての皿が一度も流れてこなかったとしても、軽薄に声を上げたりなどせず、それはそれで縁がなかったのだと諦め、潔く店をあとにするのである。自分のところまで流れてくるのに待ちきれず、向かい側のコンベアーにまで腕をのばして目当ての皿を獲得する婦人などを見るにつけ、胸が痛むことかぎりない。
しかしこの日は、まったくもって皿が流れていない。枯渇した川のごとく虚しく川床をさらし、ただコンベアーはまわるのみである。さすがにこれには面食らった。いよいよ自分も声をあげるときがきたかと覚悟したが、ついぞ慣れぬことゆえ、どうもタイミングがつかめない。弱りきっていたときにこの一家を目にし、同情的共感と勇気とがわきおこってきたのである。
さんま。
意を決した私のたどたどしい声は「あいよぅ。サンマ一枚!」という板前の合いの手に迎え入れられた。気をよくした私は次々と注文を入れ、どれもがうまくいった。
しかして向かいの一家は、やはり聞こえぬほどの小声で「わたしはマグロがいいなあ。サビヌキでね」と第一の娘がささやけば、第二、第三の娘たちが「あなごは二個ね。河童巻きは二個。しっかり頼むよ」などと好き勝手に母親に注文を浴びせ、「そ、そんな、覚えきれないわよ」と静かに悲鳴をあげる母親は母親で、「おばあちゃん、もっと大きな声ださないと板前さんに聞こえないわよ」などといって祖母への転嫁をこころみている。
父親は裏手に陣取る武将のように、ただじっと黙して座しているのみ。この父親、さっきから見ているに、まるっきり食べることができない。母親が子どもの注文で手一杯である以上、嫌がる彼女をして無理に自分の食いたいものを割り込ませる余裕がない様子。しかし自らどら声を張りあげるを恥と思うてか、あるいは今は祖母に向けられている呼び役が自分にまわってくるのを怖れたか、ただ黙って、いつ回ってくるか分からぬ寿司たちを待っている。
草原のネズミがときどき立ち上がって、ぐうっと首をのばして遠方を伺うときのように、板前の動向を見守る母と祖母。いつまでたってもいっこうに機会を得ない母と祖母に、業を煮やした娘たちは「やっぱりあっちの席がよかったね。」と、今さら口々に同情しあっている。
こちらはどんどん皿がやって来る。首をのばしている祖母の方が、ときどきこちらの皿の状態をちらっ、ちらっと伺っている。私たちの家族は食べ終えようというときに、思い思いに二枚、四枚と注文を飛ばすものだから、これに遮られては叶わぬと、こちらの席が寿司を頬張っているタイミングを見計らっている模様である。
ついに祖母が声をあげ、一同の顏が期待と募る食欲とで声の届く先を見守るが、その声は別の席から上がった「サンマ、ちょうだい」という場慣れしたオッサンのだみ声にかき消され、「あいよ〜ッ。サンマ一丁!」と板前の威勢に完全に気勢をそがれてしまった模様。はああっと意気消沈する一団。
「もっと大きな声ださなきゃだめだよ。」と舌鋒鋭く娘たちがいえば、
「おばあちゃん、しっかり。」と母親がえへらえへらと言い訳がましくいう。あいかわらず腕組みしたまま山のように動かぬ父。
私はいいかげん気の毒になって、彼らが注文を成功するまで自らの注文を手控えることにした。しかし、いよいよ再びチャンス到来というときになって、うちの四歳の娘めが、
「まぐろ、さびぬき!」
「あいよ〜ッ! まぐろサビヌキ、お嬢チャンに一枚ッ」
「二個。」
うちの細君まで便乗し、
「甘エビに、戻りガツオ二枚、それと〜、」
「へいッ。ありがとうございますッ。」
とテンポよく威勢のいいやりとり。
完全にペースを乱された一団は、うらめしそうにこちらを見る。
運んできたところを狙おうと、絶対に何があってもそのチャンスだけはつかもうと、もう、くんくんに首をのばして板前に熱い視線を送りつづけている。
祖母の咽から絞り出たのは、すみません、と蚊の鳴くような声。せっかく近づいてきた職人に完全に黙殺され、非難ごうごう。
やっと注文できたかと思えば、堰を切ったように一斉に注文を浴びせかける。
「甘えび二枚と、まぐろ二枚と、」
「あ、私もまぐろ。さび抜き。」
「私はわさび入れて、二枚。」
「甘えび二枚と、まぐろのサビヌキが、えーっと何枚だっけ・・・」
母親がまとめようとするが、皆が思い思いにいうものだからまったく収拾がつかない。
「えーっと、じゃ、とりあえず甘エビ二枚ね。何枚かまとめといてね。」
と、これは叶わぬと思ったか板前二号は逃げだした。
「ああぁっ・・。」
一団の絶望まじりのため息。
さすがに彼らを待っていてはこちらはいつまでたっても寿司にありつけそうにない。やむなく、「イカゲソ二枚。ナマでね!」
と、妻と娘がそれぞれ「私も!」「まーちゃんも!」
我が家はほとんど競り人のようである。
「へーい。じゃ、ナマイカゲソ二枚と、もう二枚もナマでいいのかな?」
「ナマじゃないやつ。」細君。
「ナマじゃないやつ。」ただマネして娘。
板前は、ナマゲソ二枚にゲソ二枚ね、と確認する。
向こうの外野席から、「隣の人、ぜんぜんまとめてないじゃん」と不平の声が聞こえる。
覚えきれないと思ったのだろう、やっと板前が寿司をコンベアーに流しはじめた。彼らが大量に注文していたカッパ巻きがコンベアーに乗ってやってきたが、祖母は喜びのあまりすっかり立ちあがってしまって、上からいとおしげに眺めながら、それでも「取っていいのかしら、これ?」などと遠慮している。
「おばあちゃん、カッパ巻き注文したでしょ! また来ちゃうよ。」
と、娘たちに注意され、ああ、そうか、と腰を落としてカッパ巻きの一群をやりすごした。しかるにその後は、ひとつも皿は流れてこない。先のカッパ巻きも他の客に取られて、二週目に来たときは一皿だけ。
「あれ、一番さん、カッパ巻きは?」
と、一号板前が二号板前にいうと、
「ああ。流した。」
「一番さん、取りました? カッパ巻き。」
やっと板前から声がかかり、一群はうれしそうに首を振る。「いえ、まだです!」
「すみませーん。流しといたんですけど。すぐ作るからねッ。」
彼らはけっきょく、いくばくかの皿を慎ましく平らげたあと、「今日はなんか、だめだったね」という娘の言葉を合図に席をたった。そして皿の勘定が終わったときになって、まるで運命のいたずらのように突如、コンベアーに皿が流れはじめたのだった。父親はうらめしそうに皿に一瞥を送り、店を出ていった。
それにしても。日本人が忘れていた遠慮深さ、慎ましい気持ちを、何かこう久しぶりに垣間見たような気がして、私は微笑を禁じえなかった。そして空腹のまま帰った父親が、ひとり茶漬けを啜っている姿などを想像しながら、一家の姿が駅の雑踏のなかにかき消されるまで見送っていた。
後ろから娘が、「お父さん、早く」といって、街路灯が照らしだす歩道を片足とびでかけていった。
(15,september 2001)
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