東海道53インン!

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【作者紹介】

スローライフ
 スピードスタイル。

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市原 千尋
Chihiro Ichihara

1970年香川県生れ。小田原に移住して5年。東海道五十三次をランニングで完全制覇したばかりの40歳。

>>Biography

ランニングで東海道五十三次を

気がつけば、53次ランニング

東海道はどこか明るいイメージがある。ミカン畑をイメージさせる緑とオレンジの東海道本線のせいかもしれないし、「東海道中膝栗毛」なんかのイメージからかもしれない。実際、東海道沿線の風景は自分にとっては故郷でもなんでもないのに、どこか懐かしく、心躍るものがあった。

東海道への憧れが昂(こう)じて、ついに東海道・小田原宿に移住したのだが、ちょうどそのころランニングをはじめたこともあって、近所を走っているうちに、箱根にまで足を伸ばすようになり、そのうち箱根駅伝のルートを制覇してみたくなって、少しずつ距離をのばしていった。気がついたら、東海道53次のいくつかを走っていたわけである。

でも、じつは本腰で東海道制覇を決意したのは、東京で終電を逃してしまったときに、酔った勢いで始発までにどこまで歩けるかやってみようとした39歳の夜のことだった。

しばり

とにかく日本橋〜京都三条大橋をランニングで走りつなぐ。それだけ。

ガイドブックをもとに、なるべくオリジナルの東海道(旧東海道)を通ることをこころがけたが、迷ったり、体力的に厳しいときは国道1号を使った。

もともと東海道53次を目的として始めたことではなく、東海道をランニングしているうちに自然発生的に53次制覇へと流れていったいきさつから、東京〜横浜の区間などは旧街道をトレースできていない。権田坂など、旧ルートが難解な場所については、後日、自転車等で再取材を行っている場所もある。

行軍は一回あたりだいたい20km〜45km程度で、週末等を利用して少しずつ歩を進めた。

「しばり」としては、とにかく日本橋〜京三条大橋を完全に足だけで走りつなぐことだけ。

よって、江戸時代においては渡し船で渡った宮(名古屋)〜桑名(三重県) のおよそ25kmの区間については、国道1号をランニングした。

装備・機材

機材は35mmの単焦点レンズを装着したデジタル一眼レフ(Canon社製EOS5Dmk2)と、ハンディビデオカメラ(SANYO社製Xacti HD2000)を取材機とした。

また、旧街道ルートのガイドとして、「東海道を歩く旅」(山と渓谷社・2008年刊)のルートに従い、GARMIN社製OREGON300をナビ機として使用した。

これらをホグロフス社製のバックパックにパッケージング。

ガイドブックはそのときに歩く地図の該当ページだけをカラーコピーし、ナビとつきあわせながら進んだ。一日の行程が終わるころには、地図は汗でぼろぼろになった。

それでも、旧東海道ルートは住宅地のなかを複雑に進むルートも多く、正直、ガイドブックとナビだけでは難しかった。各地域に親切にたてられた案内板が、街道を歩む旅人にとっていちばん心強い道しるべであることはまちがいない。

それでは、東海道53次のランニング旅をはじめよう。