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 3. プロシジャーの条件

 川沿いの平坦な道は、いつしか山道となり、やがて深い谷が口をあけた。山あいの空気がしんと変わる。

 ルート169。深山を縫う爽快なワインディングロード。行けども行けどもコーナリングの愉悦は終わらぬ。
 平和のため、ドクターとの車間を90メートルに設定して走る。ドクターとは長いつきあいというわけではない。もちろんドクターが、かのYB壊(注1)をもちだしているのなら、全力をふりしぼってでも張りつかんと努力するのが武士道というものだが、農耕馬(注2)ドクターはあくまで同じ目的に向かうチームメイト。それに高速ではやられたが一般道でFJ相手にムキになるというのもカッコわるいではないか。
 しかし例外はある。
 169号という道は比較的中高速の道ではあるが、時々思いだしたように道幅が極端にせまくなる。そんなところでは決まってクルマが糞詰まりに溜まっている。できるだけ同じタイミングでクルマを抜くようにしないと、一台あいだにはさんだだけでも、再び道幅が広くなるまで延々と抜けない可能性もある。
 だからこのときだけは、ドクターとの車間距離値をマイナス0.2に修正、つまりおのれの鼻先を先行のテール斜め横にもぐりこませながら、コーナー進入にさしかかるクルマの右手から並走、二機シンクロのフルブレーキをなめながら対向車線のままバンキング、隊列を完全にキープでクリッピングポイントにて車線復帰、抜いたクルマに「ごめんちゃい」と手をあげ、一丁アガリ、休むいとまもなく二機は次なる車両をロックオン。テール・トゥ・ノーズなど甘ったるい。これはテール・バイ・ノーズ(注3)だ。

 通常これをやられると、まずたいていの先導車は平常心を瓦解させ、自分の走りを崩してしまう。リズムを狂わされると、どんなに速いヤツでも愉快なぐらいちぐはぐになる。リズムの重要さはレーサーにかぎらず、公道の乗り手たちも知るところ。だから僕は笑いをとる目的以外では人の前に出ない。背後の恐ろしさ。それは一種の心理戦。だから全力で勝負するときは必ず相手の背中をとる。前に出れば撃たれるのは戦闘機乗りと同じ道理。
 しかし一方で、テール・バイ・ノーズは先後一蓮托生の技だ。先行のミスは当然、後続を致命的状態におとしいれる。あの香西(注4)を先導車とするときでさえ、テール・バイ・ノーズを使ったことは一度もない。せいぜい車間70センチのテール・トゥ・ノーズにすぎぬ。

 天晴、農耕馬!
 またひとつ、テール・バイ・ノーズが端麗に決まる。ドクターのリーンウィズは、どんなに後続が接近しても不動、かつ、彼のラインは微塵も動じぬ正確さ。二台の信頼と呼吸がすべての世界。まるでドクターとは何年も走ってきたような気分だ。

 ふと、ある男のことを思った。
 その男はオウジャ(注5)と呼ばれていた。少年だった僕は、オウジャの不動の背中を見つづけて走り育った。その走りはあまりにも美しかった。ツーリングに行くと誰もがその美しさに感嘆した。どんなにバンクしても、首の角度さえ変化しない究極のリーンウィズ。その美しい背中へのかぎりない憧憬が、醸成された編隊走行への執念と結びつくのに時間はかからなかった。限定解除したその日に買ったバイクはオウジャと同じFZR1000。ラインどりはもちろん、車線変更時のウインカーとバンキングのタイミングにまで徹底的にこだわりつづけ、後には、コーナリング時の同軸ラインではあきたらず、クロスライン(注6)やパスライン(注7)といった高度な呼吸が必要とされる技も折り込まれるようになった。
 あるとき、オウジャはぱったりとバトルバイクを降りてしまった。オウジャの前を走ることが多くなり、二人の走りのリズムがかみあわなくなってきた。ツーリングの回数が減るにつれ僕は酒に溺れ、辻斬りのように出合いがしらのバイクに絡むようにもなった。逆に返り討たれて泡を食うこともあった。心の中で、何かがぽっかりと欠落していた。
 ともすると、ドクターの背中を見ながら、オウジャの背中をかさねあわせている自分に気がついた。けっきょく長いあいだ自分は、本物のプロシジャー(注8)を探し求めていたのか。
 かといって、ドクターを完全に認めたわけではない。確かにその速さ、安定感、読みの正確さ、あらゆる状況に対する経験、いずれをとってもドクターは希有の存在だ。しかし先後二機の「呼吸」だけは、一朝一夕に得られるものではないのだ。

 国道イチロクキュー。ワインディングの楽しさと景観の変化、そしてほどよいリスクとが美しく調和した道。ここは走り込む者は全国のどの道でも通用する実力を手にするに違いない(注9)。そしてこの169はオウジャとよく走った道だ。今とは逆の方向、新宮から北に向かい、いつ果てるともないこの山道を絡みあうラインどりでかけ抜けた記憶が懐かしくよみがえる。あの後は京都を抜けて福井まで行ったんだっけ。

 おや?

 とすると、この道が行き着くところは太平洋側ということか。よぎる疑念も、次のコーナーが迫る瞬間には霧散する単細胞。至福のコーナリング。数少ない分岐点ごとにドクターも地名を確認している様子だが、ペースを落とさぬので気がつくや分岐ははるか後方へと遠ざかり、まあ次があるさの先天的楽天家二人。後戻りするぐらいなら前に進む、その先にさらなる悦楽が待っているかもしれないのだ。
 それにしてもガソリンスタンドがない。どのぐらい走っただろうか、確たる感覚がないだけに不安が募る。ドクターに合図しようにも、横に並ぼうと加速するとドクターも逃げに入る。かくしてまたコーナーがはじまると、ガスのことなどどうでもよくなり刹那的な愉悦に身をゆだねてしまう。エンドレス・マジック、馬鹿二人。

 延々と走りつづけるうちに、道路案内板に「熊野・新宮」の文字がいやがおうにも目についてきた。久々にあらわれた分岐点で、二機はようやくエンジンをとめた。しかしあまりにも遅すぎた。

 さて、無事に168に入ったと思い・・・ 熊野 100km 吉野 XXkmっていう看板を見て、熊野って? 吉野って? と思いながら南下。気分いいワインディングで攻めまくり。いけいけです。そして、いつのまにか吉野を通り過ぎた模様で、案内に出てこなくなりました。

 が、いくら行けども地図に書いてある村の地名が出ません。ここは川上村。川上村ってなに。どこにあるの? 168号だよね。あれーあれーと思いながらも、アクセルは緩まず、走りながら地図を開いて見る始末・・・。後ろにいる市原さんは、僕が何度も地図を見ているんで、安心してついてきている模様。

 目の前は常にワインディング。もう止まらない。知らない道の走り方は農耕馬号が知ってるさ。市原さん点にしてやるぜって思いながらどんどん進みます。途中、トンネルの出口は急カーブだった攻撃とか、いろいろありましたが、気分は10/10の富山ツーリングモード(注10)です。いけいけ進めです。しばらく行くと、熊野40kmとかいう数字が・・・。そのうち、大台ヶ原はこっち っていう看板が。

 大台ヶ原って?・・・ とやっと止まり、地図を確認。

 ・・・

 ・・・・・・

 169号だった(ボソ)。

 がすでに、Uターンするには来すぎてるし、市原さんと相談の末、前進することに。
 市原さん曰く
「良くあることですよ」
 ナイナイ ソンナコトハ
 ぶんぶんツーリングの前進前進の精神で前に進みます。(方向違ってるけど)
 ここからはさらにペースアップ。もういけいけです。が、ある言葉が頭から離れません。

 「ましもさん、このまま行くと太平洋に出ます」

 つまるところ、道をマチガエタのである。
 最高のプロシジャーとしての数あまたの苛酷な条件を満たすかに思えたドクター。
 後続からの惜しみない賛辞をおくられたばかりのドクター。
 だが、あまりにも当たり前かつ大前提、言うまでもない先導車の最低条件がドクターに欠落しているとは。

     やーい、ドクターの方向音痴イ〜

 地図と格闘しながら今後のルートを組み立てる。bimota連との集合地点、高野龍神スカイラインの方向へは一筋縄では行けそうにない。紀伊の深奥部は峻険な山に隔てられ、どの道も苦悶するかのように曲がりくねっている。地図に浮かぶ「悪路」「悪路」の文字列。

 時間をかけ、慎重にルートを選別する。もう一度道をはずれれば、集合地の皆に会うことはできないだろう。すでに昼前。集合時間は、一応正午となっている。

 深い谷間から駆けあがってきた風が、ひたいの汗をやさしく拭う。風はそのまま右手にそびえる崖を軽やかにのぼって、刃(やいば)のような山の稜線に切りとられた空へと抜けていった。頭の中に叩き込むべく何度も地図を見ては閉じる。曖昧な記憶では、ドクターと走りだした瞬間に消しとんでしまうことは先刻承知。とにかく分岐点までの距離を叩き込む。

 おや、と思った。地図に出ている山の名前に覚えがあった。

 大峰山脈(注11)
 古来、修験道(注12)の霊場として数々の文献に見られる名だ。今昔物語には、この大峰山脈に迷った僧の話(注13)がある。山奥で究極の行者に出会い、開眼するという筋だ。
 そしてこれは、今、僕たちのかたわらにそびえる山々なのだ。今昔物語の僧も吉野から熊野に抜けようとして、この地で迷った。とすれば、はからずも選んできたルートは、修験開眼への由緒ある道筋(注14)ではないか。
 日本人の精神宇宙、修験道。
 今まさにわれわれはその深奥をのぞく淵間に立っている。僕は目頭のほてりをおさえることができなかった。やまとびとの血が、祖先の血が、われわれをこの地へと導いた。
 すべては千四百年前から決まっていた。迷うことこそ、正しき道のりだったとは。

 立ち尽くす僕のかたわらで、ドクターはエネルゲンをごくりと飲んだ。

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(注1)
YB壊 

ドクターましも卿の最終兵器。bimotaYB6をベースに指1本はたつ(ひゃくまんえんじゃないよ)改造費をつぎこんだ。外見はbimotaをとどめておらず、判別不能のあやしいバイク。外車にありがちな、見てちょんまげカスタムではなく、コンセプトは戦車のごとく質実剛健。ウインカーはAX1を流用。はからずもR1のデザインを先取りしていた。

(注2)農耕馬 10万キロ以上走ったFJ1200。詳細は[1]の(注5)参照。


(注3)
テールバイノーズ  
図参照。



(注4)香西  市原の宿敵であり盟友。[2]の(注10)参照。



(注5)
オウジャ  
俵師匠のこと。その圧倒的カリスマから自然と王者と呼ばれる。不動の姿勢は山のごとし。東大工学部、同大大学院卒で現在川崎製鉄勤務。ぶんぶん新聞のネーミングは、かつてオウジャ主催のツーリングのトップブランドが「ぶんぶんツーリング」であったところからきている。

(注6)クロスライン


(注7)
パスライン

(注8)プロシジャー
 
先導車のこと。
 procedure。
 和名、先達(せんだち)。


(注9)
全国で通用する実力  
どの程度に通用するか、それはLIPS俊子の名をあげれば十分であろう。以下の文は俊子女史。

「あたしか街道は、私が’88、’90のGSXR1100に乗ってるときによく行きました。名前の由来は解りませんが、友達があたしか街道と呼んでたので、私もそう呼ぶようになりました。夏はつなぎの下に水着を着込んで尾鷲で泳ぎに行ったものです。当時、よく一緒に走ってた人の奥さんが尾鷲の人で奈良から尾鷲に行く最短距離の道があたしか街道だったと思われます。中高速コーナーが続く延々となだらかな道ですが、くせものはトンネルです。トンネルはどれも結構まっすぐで長いのですが、出てすぐ曲がってることが多く、バトルしてるときはひやっとすることも多かったです。しかもトンネル内は年中水が流れてる所が有って苔が生えてるようなのです。そこの部分だけ異常に滑ります。その2つを踏まえて走るとトンネルは200km近く出る前の車(バイク)をパスする大きなポイントになります。途中ダムや峠の茶屋なども有ってなかなか景色の良いところです。ところが私たちには景色を眺めてる余裕など有りません。ちょっと気を抜くと抜かれてしまいます。延々と続くコーナーを攻め抜く気力と体力の勝負です。最初は威勢が良くても体力の無い者は、どんどん脱落していきます。最近、すっかり遠のいてしまったあたしか街道ですが、真下さん、市原さんの御両人のおかげで懐かしい記憶が蘇ってきました。今度はぜひとも3人であたしか街道を爆走してみたいです」


(注10)10/10の富山ツーリングモード

97年に実施された下町bimota連合会の強化合宿。通称「bimo泊」、俗称「bimo吐く」。10機以上のbimotaが一同に会し、その先導役をドクターが受けもったSB6俊子、YB11ななえの女性2名を含む10機以上のbimotaが、延々と対向車線を走りつづけ、まるでここは右側通行の国なのか、そうかイタリア車だからええんかいなとの錯覚を催すほどの爆走は、警察庁指定広域暴走族よろしく、鉢あわせた追い越し禁止取り締まり中の警察官もさすがに確保をあきらめ、無線連絡に徹するというありさま。数々の極悪ツーリングを取材レポートしてきた当紙市原も、そのあまりの極悪非道ぶりに思わずペンを折ったほど。峠がおわったところで、2機がホイールをべっこり曲げていたといえば、その熱さが想像できるだろう。
関連注釈 [1]の(注4)参照。

(注11)大峰山脈

古来、金峯山の名で知られ、修験道の霊場としては東北の羽黒山修験と並び全国でも最高峰。この山脈をはさむようにして国道168号と169号が縦走しているが、峻厳な山にへだてられ、この二つを結ぶ連絡道はほとんどない。大峰山脈を縦走する難行は「大峰入り」と呼ばれ、これを先導する者は「大峰先達」、また、ベテラン格の者は「大峰聖(ひじり)」として崇められた。

(注12)修験道
 
日本古来の山岳信仰にもとづいた山岳仏教。役小角(えんのおづの)が開祖。天台系の本山派と真言系の当山派がある。山中の修行により呪力を得ることが目的とされたが、しだいに自然との一体化をめざす即身成仏へと重点が移った。

(注13)大峰山脈に迷った僧の話  僧の名は、義睿(ぎえい)。今昔物語集第13巻第1に収録。

(注14)由緒ある道筋  大峰山脈を経て吉野から熊野(逆もある)に抜けるルートは、大峰奥駈修験(おおみねおくがけしゅげん)として古くから修験道のメッカ的存在。現代においても脱サラ組や世捨人の人気スポット。これに取材した作品は多いが、代表的なものに、フォトジャーナリスト藤田庄市の「大峰奥駈け行」や、市原千尋監修の「高野真言修験道」などがある。