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3. プロシジャーの条件 川沿いの平坦な道は、いつしか山道となり、やがて深い谷が口をあけた。山あいの空気がしんと変わる。 ルート169。深山を縫う爽快なワインディングロード。行けども行けどもコーナリングの愉悦は終わらぬ。 通常これをやられると、まずたいていの先導車は平常心を瓦解させ、自分の走りを崩してしまう。リズムを狂わされると、どんなに速いヤツでも愉快なぐらいちぐはぐになる。リズムの重要さはレーサーにかぎらず、公道の乗り手たちも知るところ。だから僕は笑いをとる目的以外では人の前に出ない。背後の恐ろしさ。それは一種の心理戦。だから全力で勝負するときは必ず相手の背中をとる。前に出れば撃たれるのは戦闘機乗りと同じ道理。 天晴、農耕馬! ふと、ある男のことを思った。 国道イチロクキュー。ワインディングの楽しさと景観の変化、そしてほどよいリスクとが美しく調和した道。ここは走り込む者は全国のどの道でも通用する実力を手にするに違いない(注9)。そしてこの169はオウジャとよく走った道だ。今とは逆の方向、新宮から北に向かい、いつ果てるともないこの山道を絡みあうラインどりでかけ抜けた記憶が懐かしくよみがえる。あの後は京都を抜けて福井まで行ったんだっけ。 おや? とすると、この道が行き着くところは太平洋側ということか。よぎる疑念も、次のコーナーが迫る瞬間には霧散する単細胞。至福のコーナリング。数少ない分岐点ごとにドクターも地名を確認している様子だが、ペースを落とさぬので気がつくや分岐ははるか後方へと遠ざかり、まあ次があるさの先天的楽天家二人。後戻りするぐらいなら前に進む、その先にさらなる悦楽が待っているかもしれないのだ。 延々と走りつづけるうちに、道路案内板に「熊野・新宮」の文字がいやがおうにも目についてきた。久々にあらわれた分岐点で、二機はようやくエンジンをとめた。しかしあまりにも遅すぎた。
さて、無事に168に入ったと思い・・・ 熊野 100km 吉野 XXkmっていう看板を見て、熊野って? 吉野って? と思いながら南下。気分いいワインディングで攻めまくり。いけいけです。そして、いつのまにか吉野を通り過ぎた模様で、案内に出てこなくなりました。 が、いくら行けども地図に書いてある村の地名が出ません。ここは川上村。川上村ってなに。どこにあるの? 168号だよね。あれーあれーと思いながらも、アクセルは緩まず、走りながら地図を開いて見る始末・・・。後ろにいる市原さんは、僕が何度も地図を見ているんで、安心してついてきている模様。 目の前は常にワインディング。もう止まらない。知らない道の走り方は農耕馬号が知ってるさ。市原さん点にしてやるぜって思いながらどんどん進みます。途中、トンネルの出口は急カーブだった攻撃とか、いろいろありましたが、気分は10/10の富山ツーリングモード(注10)です。いけいけ進めです。しばらく行くと、熊野40kmとかいう数字が・・・。そのうち、大台ヶ原はこっち っていう看板が。 大台ヶ原って?・・・ とやっと止まり、地図を確認。 ・・・ ・・・・・・ 169号だった(ボソ)。 がすでに、Uターンするには来すぎてるし、市原さんと相談の末、前進することに。 「ましもさん、このまま行くと太平洋に出ます」
つまるところ、道をマチガエタのである。 やーい、ドクターの方向音痴イ〜 地図と格闘しながら今後のルートを組み立てる。bimota連との集合地点、高野龍神スカイラインの方向へは一筋縄では行けそうにない。紀伊の深奥部は峻険な山に隔てられ、どの道も苦悶するかのように曲がりくねっている。地図に浮かぶ「悪路」「悪路」の文字列。 時間をかけ、慎重にルートを選別する。もう一度道をはずれれば、集合地の皆に会うことはできないだろう。すでに昼前。集合時間は、一応正午となっている。 深い谷間から駆けあがってきた風が、ひたいの汗をやさしく拭う。風はそのまま右手にそびえる崖を軽やかにのぼって、刃(やいば)のような山の稜線に切りとられた空へと抜けていった。頭の中に叩き込むべく何度も地図を見ては閉じる。曖昧な記憶では、ドクターと走りだした瞬間に消しとんでしまうことは先刻承知。とにかく分岐点までの距離を叩き込む。 おや、と思った。地図に出ている山の名前に覚えがあった。 大峰山脈(注11)。 立ち尽くす僕のかたわらで、ドクターはエネルゲンをごくりと飲んだ。
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(注2)農耕馬 10万キロ以上走ったFJ1200。詳細は[1]の(注5)参照。
(注4)香西 市原の宿敵であり盟友。[2]の(注10)参照。
(注6)クロスライン
(注8)プロシジャー
「あたしか街道は、私が’88、’90のGSXR1100に乗ってるときによく行きました。名前の由来は解りませんが、友達があたしか街道と呼んでたので、私もそう呼ぶようになりました。夏はつなぎの下に水着を着込んで尾鷲で泳ぎに行ったものです。当時、よく一緒に走ってた人の奥さんが尾鷲の人で奈良から尾鷲に行く最短距離の道があたしか街道だったと思われます。中高速コーナーが続く延々となだらかな道ですが、くせものはトンネルです。トンネルはどれも結構まっすぐで長いのですが、出てすぐ曲がってることが多く、バトルしてるときはひやっとすることも多かったです。しかもトンネル内は年中水が流れてる所が有って苔が生えてるようなのです。そこの部分だけ異常に滑ります。その2つを踏まえて走るとトンネルは200km近く出る前の車(バイク)をパスする大きなポイントになります。途中ダムや峠の茶屋なども有ってなかなか景色の良いところです。ところが私たちには景色を眺めてる余裕など有りません。ちょっと気を抜くと抜かれてしまいます。延々と続くコーナーを攻め抜く気力と体力の勝負です。最初は威勢が良くても体力の無い者は、どんどん脱落していきます。最近、すっかり遠のいてしまったあたしか街道ですが、真下さん、市原さんの御両人のおかげで懐かしい記憶が蘇ってきました。今度はぜひとも3人であたしか街道を爆走してみたいです」 97年に実施された下町bimota連合会の強化合宿。通称「bimo泊」、俗称「bimo吐く」。10機以上のbimotaが一同に会し、その先導役をドクターが受けもったSB6俊子、YB11ななえの女性2名を含む10機以上のbimotaが、延々と対向車線を走りつづけ、まるでここは右側通行の国なのか、そうかイタリア車だからええんかいなとの錯覚を催すほどの爆走は、警察庁指定広域暴走族よろしく、鉢あわせた追い越し禁止取り締まり中の警察官もさすがに確保をあきらめ、無線連絡に徹するというありさま。数々の極悪ツーリングを取材レポートしてきた当紙市原も、そのあまりの極悪非道ぶりに思わずペンを折ったほど。峠がおわったところで、2機がホイールをべっこり曲げていたといえば、その熱さが想像できるだろう。 (注11)大峰山脈 古来、金峯山の名で知られ、修験道の霊場としては東北の羽黒山修験と並び全国でも最高峰。この山脈をはさむようにして国道168号と169号が縦走しているが、峻厳な山にへだてられ、この二つを結ぶ連絡道はほとんどない。大峰山脈を縦走する難行は「大峰入り」と呼ばれ、これを先導する者は「大峰先達」、また、ベテラン格の者は「大峰聖(ひじり)」として崇められた。 (注12)修験道 (注13)大峰山脈に迷った僧の話 僧の名は、義睿(ぎえい)。今昔物語集第13巻第1に収録。 (注14)由緒ある道筋 大峰山脈を経て吉野から熊野(逆もある)に抜けるルートは、大峰奥駈修験(おおみねおくがけしゅげん)として古くから修験道のメッカ的存在。現代においても脱サラ組や世捨人の人気スポット。これに取材した作品は多いが、代表的なものに、フォトジャーナリスト藤田庄市の「大峰奥駈け行」や、市原千尋監修の「高野真言修験道」などがある。 |