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 2. 遺伝子のめざめ

 順調に名古屋を抜け、東名阪自動車道に入る。それにしても名古屋のクルマはおっかない(注1)。名古屋に限らず、どこにでもその地域特有の不文律というものはあるが、僕には名古屋のクルマはどうも苦手。ドクターと流れに乗って走っているのだが、煽られること煽られること。

 ピンクポルシェ(注2)が現れたところでペースメーカーとなって引っ張ってもらう。えぐい走りはバイクにも劣らぬ。後ろのバイクなどおかまいなしで急ブレーキ、割り込みのデカ尻。合流車線で広くなったところで近づかぬよう抜く。

 次にジャガーが現れた。このジャガー、渋滞とまではいかぬもののクルマの量は多いというのに、追い越し車線でスラロームをしながら先行のクルマをこじ開けていく。なるべく近づかないうちに抜き去りたいと思っていたら、なんとドクター、スラロームジャガーの背後でさらに輪をかけたスラロームを披露している。まわりのクルマが、ずざざと退く。退く群れの中に僕もいる。きっと「てつはう」がにゅっと出てきても、ドクターはスラロームをつづける気なのだろう。路側帯からしずしずと2台のスラロームを尻目に加速すると、まもなくドクターが、なんだつまらん、といわんばかりに追いついてきた。

 亀山ICから名阪国道(注3)へ入る。高速道路のごとき道だが、立派な無料国道。だいたい関東にはこういう豊かな発想がない。大阪をはじめ関西は進んでいる。ただしその分、取締りは厳しいらしい。ドクターの慎重かつ堅実な走りによって、数々のトラップ(注4)を乗り切る。名阪国道のSAで休憩。ドクターは、またペットボトルに水を補給している。

「ドクター、ゆっくり走れろうと思えばできるのね!」

 伊賀(注5)に9時ごろにはいたのかな?
「ちょっと寄り道していきましょう」
 という市原さんに、
「地図ないからわからないよ」
 というと、
「地図なら持ってます」
 っていうんで2人で相談。168号から山を越えれば龍神に行ける
(注6)という結論に。で都祁で名阪国道を降りて一路、南へ!

 橿原経由で168号を目指しました

 朝食抜きで出発。

 名阪国道を途中で下線し一般道へ。溶けかかってくるような睡魔。山道でも走らぬことには精神がもたぬ。ドクター先導で紀伊の山中を気持ちよく駆け抜けていたが、道の確認のために道路脇にバイクをとめたとき、ZXRのKERKERサイレンサーに異常を発見。テールエンドを固定している三つのボルトのうち二つはすでになく、残る一本もなかばまでゆるんでいる。ここで気づかなければ、テールエンドといっしょに芯もすっとんで、見事なガワッパが残ったにちがいない。
 トラブル時に心強いドクター。工具はもちろん、予備のネジももっている。しかしそこはKERKER、インチのボルトは、さすがにドクターももちあわせはない。しかたなく増し締めのみで再スタート。

 やがて市街地抜けとなった。奈良県内の市街地道は道幅がせまく、路肩もない。おまけにダンプが多い。渋滞を延々とスリヌケしていく。商店の店先のスロープ、歩道、浮き砂の上、走れるところはすべて駆使するが、ここまでくると、巨漢農耕馬のスリヌケは曲芸により近い。ドクターは、測量技師のように淡々と隙間とFJの幅を測りながら左側を抜ける。こちらはさっさと断念し、安易な右抜きに走ることも数多い。しかし、こういう人と走っていると、渋滞もまたエンターテイメント。

 街抜けがおわると、右手に川を見ながらのなだらかな国道(注7)。ドクターは、走りながらハンドルの上に大判の地図を開き、うんうん頷いている。アクセルを操作しながらページをめくったりしている。その信頼感あふれる堂々たる背中に感謝しつつ、僕は自動追従モードで惰眠をむさぼる。

 清冽な川(注8)。澄んだ空気。信頼の背中。ないものは、KERKERの2本のボルトぐらいのもの。なんて悠長なこと言っていたら、最後の1本も危なくなっていた。ドクターの横に並び、サイレンサーを示しながら停止。

「20分でゆるんじゃうなあ」

 テールエンドピースははずれかけ、中の芯も抜けかけていた。どうりでもの凄い音がするわけだ。突如、ドクターは樹脂パテをもちだすや、ぺたぺたぺたッとボルトのまわりを埋めてしまった。これでもってくれれば、ほんとうにありがたい。なんとも万能な御仁である。

 すると、どろどろという地鳴りとともにダンプが後ろからやって来た。道幅がせまいので先ほど苦労して抜いた一台である。

 すわや、あれに抜かれてなるものかッ、と、二機はスクランブル発進。こういうとき言葉を交わすことなく、グローブもそこそこにとりあえず飛び出すセンスに近しいものを感じる。ダンプ一台をはさむだけでも、運が悪ければ延々と前のバイクを待たせることだってある。それは後続の美学に反するのだ。

 狭量にして偏執、かつ何の得にもならぬコダワリではあるが、「美しき後続たること」、これこそ自分の至上命題である。ドクターが、少年時代の自転車バトルから現在の熾烈なカスタム合戦にまで至る「はばっち」(注9)とのあくなき相克の歴史をもつのと同じように、僕もまた、香西という中学以来のライバル(注10)とともに、いかに美しく隊列を組んで走るかを追求し、高校時代にはその集大成とでもいうべき18時間にわたるチャリンコ編隊走行を完遂したものだった。
 時代は自転車からバイクへと移り、香西はNS50F、僕はTZR50となっても、その磨きあげられた隊列が乱れることはなく、やがて中型を経て香西はZXR750H2(注11)、僕はZXRカラーにペイントした9R(注12)で関西路へと編隊遠征のテリトリーを拡大した。しかしどんなに規模が大きくなっても、自転車時代の初心はかわらない。それは、たとえば、けっして待ち合わせをしない僕たちの流儀にも見てとれる。環状道路をぐるぐる周回しながら出会うときをひたすら待つ。そう、出会いはつねに「合流」でなければならなかったのだ。
 そういう意味で、今朝のドクターとの出会いは、まさに完璧なものだった。長いあいだ眠りについていた最強編隊の遺伝子は、このときすでにゲノムの深海より浮上し、その発露の瞬間を待つばかりとなっていた。

 時に、午前10時30分。ドクターと僕は何も疑うことなく169号を南下しつつあり、巨大な紀伊の深奥に向かって、決して後もどりのきかない苛酷な一歩を踏みだしていたのである。

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(注1)
名古屋のクルマはおっかない 
名古屋では信号が青になるまで待ってはいけない。神経を研ぎ澄まし、青になる前の微妙なタイミングで前に出なければならない。かつて市原は初めての名古屋において、この交通法規を知らずに、信号ごとにトラックに追突されそうになる失態を演じた。また、茨城県の一部地域では、曲がるときはウィンカーを出してもいけない、減速もしてはいけないという交通法規が厳存し、また、バイクにヘルメットもいらないらしい。各地域ごとの掟に対し、異邦人たる者はこれを遵守することが、地域伝統の保存のためにも大切なことであろう。

(注2)ピンクポルシェ

必ずしも「キリン」の影響ではないと思うのだが、市原は、GSX-R納車日にも、ポルシェとのバトルで敗北した上、高速券およびクレジットカードをコース上にばらまくという失態を踏んで以来、ポルシェがトラウマになっている。

(注3)
名阪国道
 
(注5)参照。

(注4)トラップ
 オービスや覆面、白バイ等の交通伏兵。

(注5)伊賀

(注6)168号から山を越えれば龍神に行ける  上図の予定ルート参照。



(注7)
なだらかな国道

国道169号線。吉野町と熊野を結び、霊峰大峰山脈を西側に見ながら紀伊半島を縦貫する主要国道。壮大な景観と延々たるワインディングがつづく人気ルート。目的地の高野龍神スカイラインに行くには、168号線を通らねばならないのだが、二人が通っているのは169号線。169号線は168号線と平行しているが、二つの国道の間を連絡する道路はきわめて少ない。

(注8)前記、吉野川。



(注9)はばっち

ドクターましもの古参の戦友。その熱き戦いはすでに彼らの人生の半分以上の時を占める。(この写真を撮影した翌年に伊豆スカイラインにてバイク事故で亡くなった)

(注10)香西という中学以来のライバル

ぶんぶん新聞にもたびたび登場してくる香西満は、行くところに伝説アリといわしめるほどの奇人。写真は98年夏に愛車ドカティを倒され、慟哭しているところ。

(注11)ZXR750H2


香西と市原は隊列走行の美を追求するあまり、バイクも同機種に乗ろうとしていた。しかし香西のZXRは見るも無残な姿となり果てた末に放置され、市原の「最速クズ鉄伝説」のベース車両となるのである。

(注12)ペイントした9R

ZXR750のH型に永遠の憧憬を抱く市原は9RにZXRカラーを施した。もちろんNINJAステッカーのかわりには、ZXRのロゴステッカー。インプレは「市原家歴代バイク目録」に収録