この物語は、実在の人物をモデルとしたメタ・フィクションです。また、走行シーンは、プロライターを起用してのサイバーコースでの走行であり、一般公道では、安全運転をこころがけてください。

[第1話] [第2話] [第3話] [第4話] [第5話] [第6話]

1. ライダーの正しい挨拶

 夜のうちに出立したかった。
 しかし例によって一睡もしていない。例によってといったのは、小学校の遠足以来、楽しみなことがあると、とことん眠れぬ性癖が、なさけないことに、この歳になってもやまぬという意味だ。
 時計は午前四時をまわった。今さら何分か寝たところで変わるものもないし、半眠半覚醒のまま準備にとりかかる。

 午前4時30分には寵愛車クズ鉄(注1)とともに高速入口をめざしていた。地元だというのに入口をまちがえる失態を演じ、やはりシナプス(神経)は寝ている……。

 埼玉県三郷市、ここの首都高速入口から今回の旅ははじまる。土曜の首都高速は、すでにこの時間から渋滞している。外苑下の長いトンネルにてスリヌケ中、一度抜いたパトカーのサイレンと赤い光がトンネルの内壁を這うように追ってくる。自分ではないと固く信じ(信じることが大切だ)、スリヌケ続行で振り払うが、東名高速でも御殿場近辺であやうく車高下げの覆面を抜きそうになり、安全運転、安全運転。

 この日、はるか紀伊半島、高野龍神スカイラインにて下町bimota連合会(注2)の集いがあり、まさにかの修験道の聖地へ赴かんとしていたのである。なるべくならば夜が明けぬうちに名古屋を抜けたいと画策していたのは、関東から参加組の「ドクター真下卿」(注3)が朝5時に横浜の自宅を出発すると風のたよりに聞いていたからにほかならない。分かりやすくいえば、ドクターと会いたくなかったのである(注4)

 夜が明けてきた。
 そういうわけで、早いところ名古屋を抜けて名阪国道に入り、のんびりと単独行を楽しむつもりでいた。牧ノ原SAで給油しながら、ふと、ドクターはどのあたりまで来ているのだろうかと考えた。その瞬間、眠気が去った。急がねば。

 名古屋まで80kmの表示看板が出たあたりだったろうか、はるか後方にチラと機影がまたたいた。目をこらすと、後方のクルマにさえぎられて見えぬ。目を前方に向けなおすと、ミラーに映る視界の隅で、またキラリ。

「来る・・」
 今や、明確にミラーに映っている。迫りくる機影、ブラックのニンジャか? ならばカワサキ魂と、ひそかにシフトを2速落し、半クラ待機。背中から襲いかぶさる風圧を合図にクラッチを解き放った。しかし!

 ワレ、誤マテリ!

 その微動だにせぬ背中は間違いなくドクター。
 農耕馬(注5)は穏やかな加速をつづける。こちらは穏やかどころではない。ポリシーに反した全伏せでのパワーバンド全開、ナナハン逆車の咆哮は空気を引き裂き、遮るものには容赦ない牙を剥く。しかるに、怒涛の気合いをもってしても、対手の不動の背中はぢりぢりと離れていくばかり。

「は、はやい!」

 が、FJごときに負けては、スーパーバイクの名折れ。うまいことに、ドクターは当方の正体に気づいていない様子。万が一追いつかれたときのために、テールを赤くし、ドクターの知らないワンスターのジャケットを着て臨んだ甲斐があったものだ。がはは、油断大敵、悔い一生。意地でも抜いて、挨拶がわりとせん。

◆マルチカムによる視点切替(注6)

 東名を160〜180で順調に走る。でも、燃費がスゲー悪い。9km/リットル。

 前方に背中に☆(注7)をつけたライダー発見。走る邪悪な姿から、すぐ分かる。市原さんはZXRのテールを猿のお尻のように赤くしてカモフラージュ(注8)していましたが、「尻を隠して頭隠さす」モロバレ。

 で、そのまま知らんぷりして挨拶がわりに「点にしてやるぜモード」に突入。ハイビームにして追いかけてくるぶんぶん氏。が、アクセルを全開にすると加速で離れる。しめしめ(^^)

しかし!車を抜きあぐねるとすぐ後ろに・・・

いったいあのFJは何なのだ?

最高で230までひっぱるが、引き離される。しかもにっくき乗り手は背中を立てたままのツーリングスタイルだ。こちらはレブ寸前、アクセルは目一杯、それでもなお開こうと、よじれたグリップが焦慮を露呈する。残るは気合。大音声(だいおんじょう)をもってZXRを叱咤する。

「どうしたバケモノ。それでも世界でもっとも邪悪な一族の末裔か!」

 叫びは暴力的な風圧の前に、喉元を過ぎるや虚しく霧散するのみ。

 クルマが出てくると、かろうじて前車との間がつまる。少なくとも200まで落ちるからだ。そしてクルマとクルマの間隙を抜けるときには、あえてドクターと異なるラインを選ぶ。同じラインでいけば、この速度だ、ドクターと2メートルは車間をとらねばならぬ。その車間が次の加速で致命的となる。あくまでクルマの前に出る時点では対等に並ぶか、前に出るかを狙うしかないのだ。

 ドクターは路側帯を選ぶことが多い。必然的にこちらはクルマとクルマの間。ドクターに驚いたクルマがとっさにこちらに寄ってくる。あたりまえだ。この速度差で、2台が左右から抜いていくとは思いもよるまい。ドクターが一歩もひかぬ以上、わが身はみづから守るしかない。残るラインは中央分離帯とのはざま、行け、行け、行けやーい!

 やがて空気がしんと澄み、高速コーナーがゆるやかなうねりとなって目の前をすぎていく。ドクターの巨大なバイクは、それと分かるほどリヤがよれている。あいかわらず乗り手はツーリングフォームだが、これはドクターの作戦にちがいない。そうやって相手の戦意とともに魂までも抜く。

 コーナーに集中しろ。ドクターを見るな。自らに課す。

 一つ目。ドクター捕捉。しかしタチアガリでむしろ差はひろがる。まだドクターを見ている。幻視に惑わされている。あのFJを、あの背中を、脳裏から唾棄せよ。FJにあらず、対手は魔物。

 二つ目。否、否! ツッコミで戻している。どうしても煩悩を捨てきれぬ。刹那、閃光のようにある考えが眼底にひらめいた。

 三つ目ッ!
 真空無縁、没我捨俗。
 にはくにじうの全開進入。後はまかせた即身成仏。嗚呼、まさに異界。これぞスーパーバイクなるか!

 目を開くと、コーナーの向こうには清浄の世界がひろがっていた。ドクターの結界を破る秘策。ただ目を閉じる。完璧なイメージ、自分の神経、自分の両輪、そして自分自身を信ずること。ありがとう、みんな、ありがとう、ドクター。そして、ありがとう、207GP。

 まもなく「浜名湖SA」の看板。手を上げて合図。この時点では、てっきりドクターはまだこちらの正体に気づいていないと思っていたのだ。

 SAでバイクをとめて、じゃじゃーん、実はワタクシですと、びっくりさせようと思ったら、

「ひとめで分かったんだけどね、挨拶に消しとこうと思ってね」
 と、ドクター。
 最初に会ったときにお互い手を上げて「おはようさん」ですむものを、たかだか挨拶ひとつにこだわる高潔、これも流儀といえば流儀。

 おもむろにドクターはエネルゲン(注9)のミニペットボトルを持ち出して(僕はこういう怪しげなアイテムをもっている人が大好きだ)、
「ちょっと水補給」
 と、水場へ向かった(僕はこういう怪しげな行動をする人が大好きだ)。しかし、のちにこのエネルゲンがきわめて重要な役割を演ずることになろうとは、僕はもちろん、ドクターでさえ想像しえなかった。

 さて、ドクターの農耕馬号を拝見。

 10万キロ以上走行したFJは、5万8千キロのわがクズ鉄ZXRに負けずとも劣らじのヤレ具合。二台で16万キロなら、円熟フルムーンパス(注10)の旅だ。先ほどまで全開ツッコミとか調子いいことをたくさん並べたてが、R1とブラックバードの戦いというわけではない。あくまでフルムーンバイク。お手軽なのがよろしい。

 ドクターがミニペットに水をいっぱい入れて帰ってきた。
「七時すぎちゃった」
「半ですね」
「七時までに名古屋抜けてようと思ったのに」
「そんなに急がなくてもいいでしょう? 龍神にお昼だから」
「龍神まで600km。今、ちょうど半分てとこ」
「げッ」
 げッ。甘く見ていた。

 ともに出立。こうなったらドクターについていくしかない。
「ゆっくりね!」
 と頼んだが、その後、あまりペースがかわった様子はない。しかし、オービスや覆面に対する正確な判断には脱帽した。走っているときの余裕が違う。

 かなり頼もしく、かなり旅慣れている、そんな圧倒的な信頼感。そしてそれが今日の本当の戦いの伏線になっているとは。

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(注1)クズ鉄
駐輪場に野ざらしで捨てられていたZXR750H2型を最新バイクと戦わせるべくレストアしたバイク。当紙企画サイト「最速クズ鉄伝説」参照





(注2)下町bimota連合会
北森氏主宰の全国にわたるbimotaネットワーク。ツーリング、オフ会、ML等での活動はきわめて活発。(現在は休止中の模様)


(注3)ドクター真下卿

下bi連関東部の御意見番であり、伊豆スカで嫌な衆筆頭を行く著名人。所有バイクはYB6壊とHB5(ベースはGB250)およびFJ1200。いずれも質実剛健なるボトムズ的カスタムがなされている。

(注4)ドクターと会いたくない 97年秋に催されたbimotaの集まりにおいて、某自動車道において、先行する俊子姉に追いつかんと、ドクターと羽馬伯、そしてわがZXR750は入り乱れる三本の矢となって北駆。やがて渋滞の尾に突入した。クリヤーではパワー差があってもスリヌケなら勝機ありとほくそ笑んだのも束の間、延々とつづくテールランプ縦列の左側、トンネルの側壁とのわずかな間隙を衝き、先行の2機のペースはいっこうに衰えぬ。200オーバーパッシング。その重圧のごとき恐怖の前に僕の精神は20秒で瓦解した。糸の切れた2機のテールは、それはさわやかに視界から消えていったものだ。

(注5)農耕馬 ドクターの駆る日常型対戦兵器。漆黒の旧型FJ1200をベースにマグホイール等の改造。しかし何よりもウェザリング(汚し)が最高の武器という点では、クズ鉄といい勝負。ただのオンボロと思っていると痛い目に遭うこと必定。

(注6)マルチカム方式による視点切替 映像用語から着想を得た手法。故黒沢明監督がワンカットを撮影するにおいて複数のカメラをパラまわししたことが有名。撮り直しのきかないシーンに対して編集がしやすく、同時に役者もどこから狙っているか分からない複数のカメラを意識しなければならないので全身で演技をする効果があったという。また、マルチカムとは直接関係はないものの、黒沢明監督のデビュー作ともいえる「羅生門」は、一つの事件を複数の人物の視点からそれぞれ描いてみせることによって、同じ事象が人によって、まったく異なる様相をもって現れてくることを通し、真実とはそもそも何なのかという問題提起をしてみせたといえる。文士市原は文学の手法としてこれを援用し、この作品の中において体現したのである。

(注7)背中に☆ 

市原愛用のワンスタージャケット。その昔、ワンスターがまだ世間にほとんど知られていないころ、ZZR1100のワンスター2台組に第三京浜でブッチぎられ、さらにその後、横浜から柏まで、やはりZZRのワンスターと市原史に残る壮絶なバトルを展開し、さわやかに別れた経験に発起した市原が、某用品店にオーダーメイドでつくらせた逸品。★の大きさから形、ラインの入れ方までこだわりにこだわった。しかしその後、バンソンワンスターが廉価で手に入るようになり、今ではSR系の安易な制服と化している。

(注8)お尻を赤くしてカモフラージュ


80年代スーパーバイクの証、ナナハンレプリカにケツ赤は基本中の基本。というか、当時の八時間耐久レースへの憧憬。テール部分を蛍光レッドにすることは、真下卿の言うとおり「猿類におけるセクシャルアピール」であり、無秩序に相手を威嚇し、雌を襲う、いかにもアタマの悪そうな仕様である。


(注9)エネルゲン 

大塚製薬のスポーツドリンク。持久運動時のエネルギー補給を目的とし、スパート時に必要なエネルギー源の温存に着目して開発された。身体をいたわるベータカロチンを含み、100mlあたりのエネルギーは24kcal。このツーリングにおいてきわめて重要な役割を果たすと同時に、ドクターによると、目にも良いとのこと。市原はツーリング帰還後、一時的に視力が上がり、以後、エネルゲンを買い漁るようになった。

(注10)フルムーンパス JRが発売していた特優割引切符のひとつ。夫婦あるいはカップルのあわせた年齢が二人で100歳以上になれば購入することができる。ちなみに真下氏と市原をあわせた年齢は48歳。