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9、男、大地に慟哭す

 八時半に出発。湿原をぐるりとめぐるいくつかの林道を走った。それにしても北海道の四輪は速い! 高級車のおばさまが林道を時速80キロで疾駆していくのには目をまるくした。そんなのばかりだ。
 北海道ベストロードとしてオッサンがすすめる釧標国道を走った。雄大なアップダウンのつづく道。行く先には360度の地平線で有名な開陽台。さすが観光客が多く、俺たちはそのままUターンし、あやしげな道をあえて選び、入りこんだ。
 誰もいない道をゆっくり流していると、バックミラーのなかをぐんぐん近づいてくる車一台。速い。刺激の少ないこの日、一発花を咲かせてやるかと勝負に乗る。黒のシルビア。赤ホイールに助手席に女つき。寂しい男全国代表の俺としては、もう行くっきゃないでしょう、なんていう前にすでにシフトを2速落とし、一気に加速体制に入っている。
 札幌ナンバーのシルビアは前にでるとタイヤを鳴らして加速。すぐにメーターを振り切る。思ったよりお馬鹿だ。リミッターまであと10キロ。一瞬、負けるかもという思いが閃光のように頭をよぎった。走りの修道僧とまで呼ばれた俺がこんなナンパ系の赤ホイール女つきに負けた日には、全国の寂しいバイク乗りたちに顔向けができない。しかし前傾姿勢はポリシーに反する。マッドマックスのヒューマンガスよろしく、男は風圧に耐えて背筋をのばすべきだ。もちろんアクセルは緩めない。
 と、そのとき腰もとで異様な感触があった。巨大なコウモリがまとわりついたみたいに、ばったんばったんと大きな振幅で腰を打つ。ウェストバッグが風圧でどうにかなったらしいが、この速度では下を向けるはずもない。左手で腰をおさえ右手はひたすらアクセルをひねったままの超高速走行。こりゃあ滝打ちなんてもんじゃない。バイクは苦行の連続だ。
 じりじりと間隔が広がっていく。引き離されつつあることを気取られまいと、ハイビームを相手のバックミラーに注ぎ込む。精神的余裕を与えては勝機はない。前方にゆるやかなカーブが見えてくる。チャンス! いくらなんでも大切な女の子を横にのっけてそこまで馬鹿はやるまい。やったら全国のお父さんの代理となって俺が正義をタダス。と、思っていたら、前車はほとんどそのままの速度でコーナーを走り抜けていった。片手で泣く泣く160まで減速した俺はただの敗者だった。
 あの車の中で、「バイクなんか、おっせエぜ」なんて女に豪語しているナンパ男の得意気な顔が浮かぶ。ふと、腰もとに手をやると、ウェストバッグのマジックテープがはずれて、カード入れがフルオープンになっているではないか!
 北海道の大地に、敗残の兵の悲哀に満ちた慟哭が響きわたる。なんと、クレジットカードとお札をすっ飛ばしてしまったのだった。
「そういやさ、なんかヒラヒラ〜って飛んでたなあ。」
 後から追いついてきたオッサンはンな呑気なことをいっている。こちらは死活問題だ。まったく俺はどこまでも馬鹿だ。敗北の味はつねに苦い。
 この日は早々に走行を切りあげることにした。

 

 

 

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