
人生をうまく生きる人というのは、楽しい口実をたくさん考えつく人である。
(田辺聖子『休暇は終わった』)
プロローグ 2003年9月
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万物の「物欲」を司る神がいた。その神は「お呪い(オマジナイ)」で永遠の呪縛を可能にした。「お呪い」いう習慣はここから生まれた。その神に代々仕えた帰化人、揚氏は大和朝廷の永遠の安全と発展を祈り、物欲からもたらされる大禍を大和国の丹田とされる地域、その山中深くに封印した。儀式に携わる一族の直系以外では、皇家さえもその場所・方法を知らされることはなく、文献にも位置に関する明確な記録はない。列島を横に走る中央構造線(フォッサマグナ)と、紀伊半島を縦に走る分水嶺との交差地点だとする説が有力だが、いまだその証拠となる遺構は発見されていない。
「十文字を切る、というキーワードが鍵なんです」と言うのは国立歴史民俗博物館付属資料室の木下研究員。「揚氏一族は全貌が謎に包まれていますが、ゾロアスター教の分派の影響を示す要素が散見されます」
もし何者かがその封印を解くと、いったい何が起こるのだろうか…。封印の解き方は縦横の十文字を「逆」に切る、という単純な発想以外にはありえないとも言う木下さんだが、そもそも「十文字を切る」というキーワード自体の意味の解明が進んでいないため、具体的にはどういった行為を指すかについては、どの議論も憶測の域をでていない。
(喜多川グラマロ『解けちゃった封印』からの抜粋)
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バトルツアラー市原千尋(いちはらちひろ)がこの記事について知ったのは、今回のミッション(※注1)を遂行している最中であった。それによっていくらか気が削がれたかというと、どちらかといえば、運命を受け入れようという敬虔な気持ちに後押しされた、ある種の信仰心のようなものを芽生えさせた。それに市原千尋はそのとき、ちょうど銀髪と金髪の二人組の乗ったランドクルーザーとすれ違うのに懸命だった。
左の足もとは道路が切れて崖になっている。ガードレールがあればなんでもない場所だが、少しでもバイクが左に傾いてしまえば、左足は宙を切り、そのあとは崖を転がり落ちる熊みたい転落する羽目になってしまうことだろう。この状況で銀髪の男がちょっとでも悪ふざけの気持ちを起こしたりでもしたら、と思うと体が固まって頭がぼうっとしてきた。自分の命が他人の恣意的な「思いつき」に支配されている無力感と、それをどうすることもできないという事実が、市原を綿のように締めつけはじめていた。
つい先ほど、吊橋を渡っているときと同じ感覚だった。南紀地方は吊橋が生活に密着している。深い谷をつなぐ生活路として、そこら中に吊橋がある。観光用ではないので、渡ることさえできればいいような素っ気ないつくりである。手すりもなく、揺れも大きい。足もとの板も軽く左に傾斜している。バイクをとめて、好き好んでこんな吊橋を渡りはじめたのだから、少なくとも市原千尋は高所恐怖症ではないはずだ。それでも橋の真ん中にさしかかったとき、彼の足ははたと止まった。谷底からわずかに瀬音が上昇気流にのって聞こえてきた。一度、足が止まると、そのあとはまったく動くことができなかった。一歩を踏みだすのはもちろん、しゃがみこむことさえできなかった。口の中がからからで、体中を汗が生き物のように這いはじめるのを感じ、軽い吐き気を覚えた。
恐怖に支配されると、特別な訓練を受けた者でなければ、たいていは自身の身体の制御を失う。吊橋のことがあったばかりなのに、ふたたび同じ状況に陥っている。ようやくランドクルーザーの後端が視界を過ぎていったとき、体中にあたたかい血液がもどってくるのを感じた。と同時に疲れが波のように襲ってきた。
「国道425号早期改良を!」の看板が視界のすみを通りすぎた。
国道425号線。紀伊半島を伊勢湾側の尾鷲市から紀伊水道側の御坊まで、直線距離150kmを200kmかけて曲折横断する忘却国道。途中には店という店はもちろん、自動販売機さえない。すれ違うクルマはおよそ1時間に1台。いつからかこの道は425の数字をもじって「死にGO線」と呼ばれるようになった。

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