●35歳ではじめての普通免許取得。抱腹絶倒の教習所通いのレポートは「獣を公道に放つな」

●エビに関する顛末記事は、「エビのある生活」参照。

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ケモノは北へ インデックス

卒業検定 6/30
普通免許交付 7/1
インプ1年点検とキュキュ取付 7/2
奇跡のエビ 7/3
ボヘミアン・フォース伝来 7/4

必要なものを選定する 7/5
ルイガノ北海道仕様テスト走行 7/6
旅芸人の商売道具 7/13
ゼファーを身売りする 7/14
モノレールマンの旅の終わり 7/15
初高速&初給油&初パーク&ライド 7/16
必要物を捨てるということ 7/21
北に向けての最終準備と地震被災 7/23
学童デイキャンプ、そして出立 7/24

東北道北上 7/25
青函フェリーのフランス人 7/25
大沼キャンプ場の讃岐ライダー 7/25
長万部でカニ飯を食い損ねて納豆巻 7/26
モノに対する考察 7/26
ビバーク地を日本海側に変更 7/26

娘の笑顔に救われる 7/27
雨は移動日とわりきる 7/27
手塩のしじみ丼 7/27
朝から焼き肉バーベキュー 7/28
稚内を闊歩するおろしや国人 7/28
稚内で1500円のウニ丼発見 7/28

捨ててでも遊びをつくる 7/29
赤蟻と黒蟻の壮絶な戦争 7/29
オホーツク紋別空港で車中泊 7/29
紋別の道産浜っ子ライダー 7/29
浜っ子ライダーと紋別山ツーリング 7/30
股間に突き立てられたメガネ 7/30

サロマ湖・竜宮街道サイクリング 7/31
雷鳴スコールの藻琴高原温泉キャンプ場 8/1
知床をチャリで無着陸横断 8/2
知床東端の相泊(あいどまり)温泉 8/2
野付半島のフォレストガンプ 8/2

道内屈指の阿寒ホテル 8/2
十勝清水で空路という決断 8/3
苫小牧での別れ 8/3
日常ランディング 8/4
エピローグ  

卒業検定 6/30

 なぜいつも発表というものを待つときは、投げやりな気持ちでいなければならないのだろう?
  昨夜から降りつづく強めの雨が黒々とした教習所路上のアスファルトで爆(は)ぜるのを、見るともなく見ていた。ああ、投げやり。修了検定のときもそうだったし、大学受験のときも、限定解除も、高校、中学受験も。

 本番に滅法強い市原家の遺伝子直系とはいえ、発表を待つときは、どういうわけだか、いつも自暴自棄。だから限定解除試験(今でいう大型自動二輪)を一発合格したとき、もうこれで金輪際、人から試されるのはまっぴら御免だと決心し、よって就職試験も受けたことがなく、大学の卒業口頭試験も回答拒否。困った教官が、それじゃあ試験と考えずに、いろはにほへとを言ってごらんと助け船をだし、「いろはにほへと」のあとがつづかず、
「それじゃあ、干支を全部言って」
 これも順序が無茶苦茶で、けっきょく「龍」のところでやめた。東京大学文学部国文学科教授会は、いろはと干支さえ言えない俺を「卒業」という体のいい烙印を押しておっぽり出した。以来、人に試されることはほとんど憎悪に近いものとなり、俺を試すことができるのは天の神さんだけであって、よもや人生折り返しにきて再びみたび試験を受けることになるとは!

 しかし今日の卒業検定は、路上一般課題走行、路上自主経路走行、所内の方向転換(車庫入れ)と、自分でも怖いぐらいに完璧にできた。試験官はけっきょく一度もペンをとらなかった。満点か、へへっとうすら笑いを浮かべつつ、おしまいの停車。
「おいキミ、どこ停めてんだ。ここ対向車線だぞ!」
 あーは? 確かにクルマを右端に停車させている。
「あ〜、んじゃそこからでいいから左寄せて」
 左ウインカーを出すのも忘れ、右ウインカーのまま試験車はぶざまに左にハンドルを切る。しかし2メートルで交差点。
「はい停まって停まって。もうそこでいいから」
「ここで?」
 試験車両は道路に対して斜め45度で頭を左端に突っ込んでいる。
「はい、じゃここで降りてください」
 待合室にもどりながら振り返ると、まるで大捕り物の最中の覆面パトカーのように道をふさいで堂々と斜めに鎮座する1号試験車両があった。あきれてひとりで笑った。ちきしょうめ、かっこいいじゃんか。

 次の受験者が発進準備をしているのを待合室のガラス越しにうち眺めながら、無意識で俺はオリンピックの体操中継のアナウンサーの真似をして、ちょっと自嘲気味に呟いていた。

 受験番号1、発着点番号1、車両番号1のイチハラチヒロ4月1日生れ、いま完璧な演技を終え、え、え、おおーーっと、ここでなんと頭から着地です! これはいけません、頭から着地はいけません、頭で着地のままテレマークです、いやぁイチハラ選手、まさかの乱心、最後の最後でとんでもないフィニッシュです、わざとやったんでしょうか、とてもミスとは思えません、まだ頭で立ってます、まだ立っています、このような着地は体操史上はじめてのことではないでしょうか。前例のないことで審判員も途方にくれている模様です・・。はぁ、やめた、あほくさ。

 待つこと1時間半、結果発表はあっさり、「1番の人、合格です」
 試験中に同乗していた2番の学生が、えっという顔で俺と試験官を見くらべた。
「2番の人、残念だけど不合格。3番の人・・」
 検定講評では、やはり満点だったようだ。
「まあ、強いていうなら、停車のときにもうちょっと左に寄せた方がいいね」
「もうちょっと・・?」
 試験官は目で俺を制する。これ以上余計なことを言うな、という目だった。でも俺は訊かずはいられなかった。
「車庫入れのあとの」
「あ?」
 試験官の目がちょっと泳いだ。それを見逃さぬ同乗の不合格学生の目が鋭く試験官を射る。
「えっと、路上の方ね。路駐車もあって停めにくかったと思うし、ま、あんなものかなあ。じゃ1番の人は、会計に行ってください」
 俺はそそくさと一人追いやられた。受験者の列を離れ、路上での停車時の左寄せは問題なかったはずだと考えながら歩いた。深く考えるのはやめよう。俺は何かと思索的すぎる。もっと素直に考えよう。合格なんだ。やったぜモナミ! 合格だっての、はっはー・・腹減った。
 昼食をはさんで卒業式を終え、帰りのバスに乗り込むとき、雲間からぱっと陽が差した。いやはや祝福感抜群のタイミングはありがたいが、雨の直後でもわもわっと立ちのぼる蒸気にむせ返りそうになりながら、ポケットから取り出した親知らずにキス。

 何はともあれ6月30日、卒業。

普通車免許交付 7/1

 2005年6月1日、抜いた親知らずに与えれた勇気に奮い立つまま教習所に入校。同月30日に卒業を果たした公道の獣。放たれた獣のほんとうの試練は、おそらくここからはじまる。
 2005年7月1日金曜日。運転免許証に普通車の項目が加わった。汚れたゴールド免許は晴れやかに真っ白な初心運転者免許に変わった。たとえ乗り慣れたオートバイで取締りにあったとしても、わずか3点で初心運転者試験を受けなければならないし、合格率40パーセントの試験(技能・学課)に失敗すれば免許を失うことになる厳しい状況だ。
 娘との北海道大冒険旅行の出発日まで1ヶ月を切っている。クルマの運転はあいかわらず気が重い。原付やオートバイのときみたいに、いても立ってもいられず早朝から走ってしまうような熱くたぎるものがない。ひたすら憂鬱だ。もし北海道大冒険旅行というミッションがなければ、クルマはしばらくおあずけにしてチャリに乗りまくりたいぐらいだ。
 毎年、この時期に北海道をクルマでまわっているモノレール運転士の義兄が送ってくれた携帯メールを読み返してモチベーションを高めよう。今年も義兄は明日、北の大地に出発する。今年はどんな旅になるのだろうか。北からの実況メールが楽しみだ。

インプ1年点検とキュキュ取付 7/2

 ちょうどインプレッサの1年点検があったので、ワイフと娘を乗せて朝イチでディーラーに行った。
 ちょうど新型のインプレッサが発表になった直後だった。Stiの試乗車があった。車体で340万円。同じインプレッサでもうちのと同じ1500ccの方は新型でも120万円。同じ名前、同じような形でも3倍近い値段の開き。クルマとはじつに階級社会であるなあ。

 北海道へは仕事の機材を積んでいくので、盗難防止装置もつけた。ドアロックのリモコンで「キュキュ」と鳴るのをワイフはものすごく喜んでいた。ハリウッド映画にでてくる高級車みたいだと。彼女は「キュキュ」というのは高級車の音だと思っていたらしい。
 また、盗難よりも危険度の高い取締り対策として最新のGPSレーダー探知機も。ヘリコプターによる取締り対応だというから、北海道にはほしいアイテムだ。衛星から時刻を自動で取得して、補正する。また検出ミスに関しては学習して二度目三度目は誤報を鳴らさないようにするらしい。各機能はどれもこれも特許の嵐。取締り対策の特許なんて、行政の裏をかく方策を行政に申請しているんだから、へんてこな話だ。

 取り付けは、配線に手間取ったらしく6時間ぐらい時間がかかった。そのあいだ代車のHONDA・CITY(オートマ車)を乗りまわして練習。ボロ車の窓を全開にして乗っていると解放感があって、のびのび走れた。俺にはこっちの方がむいているなあ。
 夜は、北に向かって旅だったモノレールマンからメールが入っていた。

モノレールマンからのメール(1) 前夜祭

昨日までの激務のためか今朝は寝覚めが非常に悪い。時計はすでに11時をまわっていた。中途半端な状態で終っていた荷物の詰め込みを終え出発したのが12:30。まあ今日の船じゃないし東北の道の駅を何箇所か回れれば本日の目標達成!なんて考えていたのが甘かった。土曜日の午後ともなればどの道も買い物に出かける車が大量に湧いてくる。これにより起こる渋滞は時間を容赦なく削る。佐野藤岡IC着は15:20。いつもの倍近くの時間がかかっている。この時点で本日の道の駅巡りも断念。これなら素直に岩槻から乗った方がよかった。
残すは今夜の宿。まだ行ったことのない道の駅の集中している岩手県南部を明日回るには今日中に宮城県北部までは行きたい。早速那須高原SAにて楽天旅の窓口を覗いてみた。幸いにも鳴子温泉の3軒の宿に空室があった。早々に予約を済ませ先を急ぐ。途中電話のため立ち寄ったPA以外では止まらず鳴子温泉に着いたのが19:00。北海道前夜祭は走っただけで終ってしまった。
走行距離/413.4キロ

奇跡のエビ 7/3

 生き物を飼っている場合、長期の旅は難しい。
 うちの場合はエビだ。
 2ケ月あまりのあいだ、まったく水替えをしていないにもかかわらず、コケが生えない。そのかわり水草が繁茂し、ジャングルの様相。水中では場所がなくなり、水面上にまで伸びている。水の状態はひじょうにいい。小さなアクアリウムの中で完全なバランスが実現した。
 その一方で、このところの高温のために1ケ月ぐらい前にエビが全滅。ビーシュリンプというエビは高温に弱く、30度を越えると「ゲームオーバー」という定説がある。これを避けるために、エビマニアはさまざまな方策を駆使して夏を乗り切ろうとするのだ。そのひとつの方法に、水槽専用送風機がある。最近のエビブームにのって、この手の商品は夏場の売れ筋商品となっていて、各社から高性能低価格なモデルが売りだされている。ただ、もはやエビが全滅したわが家には関係ない。6月後半、梅雨の中晴れの夏日に水温は連日34度を記録していた。完全にゲームオーバーである。

 エビのいない水槽は気楽だ。アフリカン・ランプアイの子どもたちも大きくなり、水草のジャングルも夏らしい。コケがでてくると水槽の雰囲気は殺伐としてくるが、水質が安定しているので2ケ月たってもコケは生えず美しさを保っている。
 7月末から北海道大冒険旅行に出るので、そのあいだに留守役のワイフでも最低限の世話ができるように水槽内の状態を留守練習モードに変更することにした。
 娘といっしょに水草を徹底的にカットし、半分の換水。
 コケ抑止剤3ml、アマゾンエキス1ml、水草育成剤15ml、中和剤10mlを新しい水に投入してのセッティング。二酸化炭素供給ボンベを新しいものに交換。合わせて軽くフィルター掃除もした。廃棄した水草は、まとめると子ども用のバレーボールぐらいの量になった。
 こうして水草を整理したことで水面を露出させ、ワイフでもエサをやりやすいようにした。あとは2週間ほどかけてエサやりと照明コントロールの日課訓練を施す。照明は昼間は通常灯のみ、夜間に植物育成ハロゲン灯を点灯。夜間点灯の理由は水温上昇を抑えるためだ。
 ワイフに講習しているとき、水槽の中で赤いものが泳いでいるのが見えて、目を疑った。死滅したはずのたった一尾のエビの生き残りだった。
 あの超高温をどうやって生き延びたのか? エビのエサも1ケ月以上与えていない。15尾の同期生たちの中で、たったひとり、特別な遺伝子を持っているやつがいたということか。エビの専門雑誌を見ても、34度を乗り切ったという報告は見あたらない。
 いじらしかった。俺はもう何が何でもこいつだけは守ってやろうという気になっていた。覚束ない運転でペットショップに行き、水温冷却用送風機を買ってきた。なんだか勇気のわいた日曜だった。

ボヘミアン・フォース伝来 7/4

 今回の娘との北海道大冒険旅行のコンセプトは、「バトルツアー第2フェーズ★渡世人一座の変転流浪の旅」である。耐乏生活の辛酸を娘になめさせつつ、来たるべきボヘミアン(流浪)人生への布石としたい。

 つまり今回の旅は、<拡張された日常>なのである。

 学生のころ、はじめての北海道ツーリングでベテランのオッサン(「奥」という苗字の人物だが、単に「奥さん」というとあやしい雰囲気になっちゃうからオッサンと呼んでいるだけで、いわゆる、おっさんという意味ではない)に連れられてキャンプしたことはじつに苛烈な経験であった。道東で雨に降りこめられ、店もガソリンスタンドも5時には閉まってしまい、おまけに熱までだし、エアーマットはパンクし、じめじめした寒いテントの中で寝込んでいた。あのときは雨風をものともせぬ鉄人オッサンが食糧を確保してきてくれたり、いろいろ世話してくれたからよかったが、以来、二度とキャンプツーリングをやろうと思ったことはなかった。(数年後、ふたたびオッサンに連れられて、「四国爆釣ツーリング」をやることになったが)
 このオッサンという野卑にして高貴なる人物、おそらく今は40歳をゆうに越えているはずだが、いまだに仙人のような精神生活をしていて、とても俺のようなヤワな人間が真似をできるようなものではないが、スターウォーズでいうところのオビワンみたいな存在とでもいおうか、俺のボヘミアンフォースの師であることは間違いない。時を経てボヘミアン革命のダースベイダーなった俺は、今度は娘の師としてボヘミアンフォースを伝授するというわけ。万物は流転する。

 人生は何かを得ようと思えば何かを捨てなければならず、すべてを得ようとすればすべてを捨て去ることからはじめなければならないという思想のベクトルに沿えば、最後は裸一貫で至福に包まれながら墓場に突っ走るわけであるが、まだ修行途上の娘と俺にとっては、ラリーレプリカ1.5インプレッサはじつに良きコンパニャーである。

 拡張した生活であるということは、衣食住に基本生活要素に加え、「働」と「走」のふたつが加わる。「働」は仕事機材一式を必要とし、「走」は自転車3機。いってみれば旅芸人一座みたいなもので、とにかく荷物がかさむ。快適さを求めればキャンピングカーとなるのであろうが、ラリーレプリカ1.5インプレッサである。積載の制約が大きいが、制約が大きければ大きいほど俳句と同じで、そこに詩が生まれるのである。

 俺はまず紙と鉛筆を用意し、何を削るかを考えた。20分じっと頭を絞ったが、紙は白紙のまま。あたりまえである。そもそも先に何が必要かをリストアップした上で何を削るのかを考えるのが順序というものだ。

 パソコンを見ると、モノレールマンからのメールが入っていた。朝がたに北海道・苫小牧上陸したようだ。海上にいて電波が届かなかったため、メールの内容は上陸前の東北地方について記されていた。
 
モノレールマンからのメール(2) 岩手秋田から仙台へ

「今日はどちらへ行かれるんですか?」「北海道ですよ」「えーっ!」
フロント係りの方の驚き方があまりに面白く思わず笑ってしまった。今日は朝から雨。昨日車に大量に付いた虫を落とすには丁度いい。まずは予定通り宮城北部二箇所「あ・ら伊達な道の駅」と「路田里はなやま」の道の駅に立ち寄る。前者はコンビニと土産物屋等が同じ建物内にあるコンビニ系道の駅。関東で言うと埼玉の「しょうわ」に似ている。後者は土産物屋と食堂がある一般的な道の駅。ちなみに"路田里"はロータリーと読む。
なるほど駐車場に入るのに駅にあるロータリーのようにぐるりと大回りさせられる。さてこの後は何処に行こうか。選択肢としては3つ。1、東北道を北上し岩手のみを回るルート。2、東北道から秋田道に入り秋田の一部と岩手の一部を回るルート。3、岩手の南部から三陸側に抜け南下するルート。1は道の駅きっぷの枚数が稼げないし3は一般道の走行距離が多いため時間が読みづらい。消去法で2のルートで回ることにした。先ほどまでの雨が嘘のように岩手最初の道の駅「錦秋湖」に着いた頃には晴れ間がでてきた。
ここから秋田までは一般道のみのアプローチとなる。つづく秋田最初の道の駅「さんない」で昼食をとる。昼時とあって店内がかなり混雑している。ここはそばが有名らしく秋田そば街道マップなんてものがテーブルの上にのっていた。なるほど確かに美味い!この後さらに内陸に進み「おがち」へ。本当はもう少し日本海寄りに進みたかったが船の時間を考えるともう戻らなくてはならない。高速を使い仙台方面へ向かう。途中岩手の道の駅「とうわ」「紫波」に寄り道し仙台港到着は19:23。
走行距離/514.4キロ

 

●人生の岐路に北海道。
惰性の日常を踏みはずしてルビコンを渡ろうとするとき、いつも北海道が目の前にあった。
35歳。
7歳の娘とともに北の大地へ。
準備のためにクルマの免許をとった。
同時にそれは20年住んだ土地を離れ、ボヘミアン行脚へと向かう決意でもあった。
出発前日、大きな地震が起こった。
(旅を終えてのブログより)

●これはひとりの馬鹿男が、三人の馬鹿家族へと拡張再生する過程を描いた、驚くほど馬鹿らしく美しい記録である。
(ぶんぶん新聞書評より)

●彼がクルマと家族というふたつを受け入れ、融和したことは、確かにおそるべき進歩である。しかし、これは同時に彼が守ってきたスタイルの崩壊という意味で、もどることのできない退化をも象徴している。いったいこの先、どこに行こうというのか。
(旧友M.K.)

 

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