市原千尋biography

前史:祖先から両親まで

 なんでも父系の祖先は古くは市原水軍という瀬戸内の海賊だったそうだが、村上水軍の孫請けぐらいの弱小海賊だろう。しかしこの話の信憑性はあやしい。

 新婚旅行においてオートバイで市原のルーツの島に渡り、たくさんの市原姓を持つ集落を見つけることはできたのだが、聞き取り調査を行なった結果、海賊という話は聞いたことがないそうだ。少なくとも江戸時代あたりは網元ではあったそうだが。

 ただ、この島には僕の祖母の父にあたる人の墓があった。市原敬三といって、変わった人である。イギリス商船に密航してイギリス本土に渡り、造船技術を身につけて帰ってきた。旗艦三笠の設計者(正確にはイギリスで建造された船の改造である)として、東郷平八郎から感謝状をもらっている。それは確かにこの目で見た。

 千里御殿という屋敷に住んでいたそうだ。うんこをすると、しばらくして穴の深奥から、ぽっとんという音がしたと父は言っているが、この屋敷も借金の抵当として取られた。

 つくづく投資で身を滅ぼす者が多い家系である。

父親は母親の養子だったが、じつは弟だった

 これはじつにショッキングな話である。父の兄弟5人は皆、坂本という姓なのに、父だけは市原姓。市原は父の母の旧姓である。市原の名前を残すために、母が自分の息子を養子にしたかたちである。が、後に調査したところによると「養子」ではなく「弟」の戸籍扱いになっていたとのことだ。

父の父は東大卒の法律家

 父の父、つまり僕の祖父は東大卒の弁護士。関西大学においてボランティアで司法試験クラスを率いて、みごと合格者を続出させたという古い新聞記事を見たことがあるが、酒の飲みすぎで脳卒中、早くに亡くなり、家族にとってははた迷惑な父親であったらしい。僕は会ったことがない。

父の父の兄弟はみんな東大。しかし溺死者が

 和歌山県の御坊という小さい町から出てきた家系だが、五人兄弟はみな東大を出ているが、変わり者もいたようだ。

 ショッキングだったのは、医学部卒の男がいて、これが酒を飲むと海で泳ぐという悪癖があり、ついには溺死したというのだ。

 父も含めて共通していえることは、すごい酒豪であるが、みな酒で命を落としている。

母はおでん屋の看板娘だった

 小さいころは、讃岐のうどん屋の娘だと聞いていた。

 が、よくよく聞いてみると、なんと汚いおでん屋の娘。おでん屋だからといって卑下するわけではないが、僕がショックだったのは、父がまちがなくその店で酒を飲んでいたであろう事実である。酔った勢いで、おでん屋の看板娘を口説いて生まれたのが僕である。

BACK